体に不快の起きない育児

つぅ〜な話 西原式育児の実践と検証
息子、懐石料理屋デビュー画像。
(若干顔が汚いのは、畑で毒虫に全身8箇所も刺されたから。顔中絆創膏だらけで妖怪百目みたくなってしまったなく
お豆腐とかお魚とか美味しくて子供も食べられてグーなんだけど、それでなくても懐石料理は量が少なめなのに私の分をほとんど食べられてしまい、高かった割に私が夜中に腹が減るという、納得のいかないコストパフォーマンスの悪さむかっ
食事を存分に楽しめなくなるというのも、親になるツラさ哉なく

なんとなく前回の続き。
「体に不快が起きない育児の大切さ」について。

西原育児って、2歳くらいまでは結構大変(?)なんですが、それを過ぎるとすごーく楽になってきます。
2歳を過ぎるくらいになると、みんな一様に「やってて良かった」と口を揃える。
西原育児の人を集めて座談会やったら、「西原っ子あるあるネタ」で盛り上がるんじゃないだろうか。(それをオフ会というのかパー
本当にね、公共の場で困るということがないんですよ。
子育ってって、始終怒鳴り散らしているイメージがあるけど、そんなに怒ることがそもそもないというか。
ちゃんと実践できていれば、子供自身自分をコントロールできる子供に育っているので、言えば分かるんですね。
常に機嫌が良くて愛想もいいから、可愛がられるし。
2歳まで大変、っていっても、食べ物に対する外圧とか保健所との戦いとか、本当にこれで良いのかという近未来への不安だったりして、実際には子供のことで苦労するということは少ないし、何より面倒な離乳食作りに悩まされることもない。
子供にとっても、色んな意味で、辛い思い出のない幼児時代のいうのは、無意識レベルにおける一生の宝なのではないでしょうか。

西原医師は、「今の子育ては虐待と同じ」とおっしゃってます。
前にも触れたと思うのですが、赤ちゃんはまだ動物と同じで「快」か「不快」しかなく、原因が何かなんて関係ありません。
大人でも、体の具合が良くないと不機嫌になりますよね。
ずっと体に不快を感じている赤ちゃんが、世の中に対して漠然と恐怖感や否定的イメージを持ってしまうのはある意味当然と言えます。実際に殴られていなくても、見知らぬ周囲から常に攻撃されてずっと痛い思いをさせられているのと同じなんですから。
拠り所はお母さんしかいませんから、過度に人見知りをしたり怖がりだったり、という赤ちゃんは、もしかしたらそれが原因かもしれません。
こういうことが、その子供の無意識レベルに刻み込まれて性格に影響していく、大いに有り得る話だと思います。
逆に、常に機嫌のいい子供は、放っておいても可愛がられるから、社交的な人間に育ちやすいんじゃないかな。

世の中には、子供に対して「性善説」な人と、「性悪説」な人がいると思います。
どっちが正しいとかじゃなくて、善と悪の割合は、子供によって違うように思うんです。
そしてそれは、子供自身のせいじゃなくて、子供を取り巻く環境とかもちろん食べ物とか、さらにはお腹の中でどう過ごしたかとか。
(バーストラウマは、産まれ方だけではなくて、お腹の中の居心地やどれだけ親に受け入れられていたかも大いに関係していると思うな。)

先日動物園へ行きまして、子供とライオンバスに乗りました。
子供向けサービスでライオンカードを頂いたのですが、私がそれを持って歩いていたら、通りすがりの多分2歳過ぎくらいの男の子が、「あ?これ何?」と言って、いきなり私の手からカードを取ろうとするんですよ。
いや、これは子供から預かってるしそう簡単にあげるわけにはいかないから、「ごめんね」と言って振りほどこうとするんだけど、ものすごーい手の力で、絶対に放さないの!もうカードがくちゃくちゃガーン
こらお前、無邪気を装ってやる気でやってるだろう!?むかっ
「○○ちゃん、だめよ〜」ってお母さん笑ってるけど、いやいや、これ軽く強盗だからお母さん!
そこまで欲しいものをガマンできないって、どうなのよ?
これは明らかに、自分でコントロールが効かなくて、彼の中の「悪」の部分が強く出てしまっている例ですよね。
公共の場で騒ぐ子供も、どんなに大人が金切り声で怒っても、言うことを聞かない。聞かないというより、聞けないのよね、子供自身自分でもどうにもならないんだから。
そんな風に自分をコントロールできなくなった子供を見て、大人たちが子供嫌いになったり、子供に対して不必要に「性悪説」になったりする。「しつけがなってない」と陰口叩かれるのがイヤで、お母さんもますます辛く当たったりね。
そうやって、親からも周りからも自然に「善」ではなく「悪」の視線ばかり向けられてしまう子供は、世界には善が溢れていることを感じづらい人間に育ってしまうんじゃないかしら。
結果、人生に否定的になってしまったり、冒険や挑戦に対して臆病になってしまったり。
めいっぱい愛されて育った子供は、たくさん自信が持てるから社会に飛び出していける、とよく言いますよね。
親だって人間です。
自分の子供とはいえ、あらぬ行動をとったりひどいイヤイヤな子供を、そんなに広い心で愛せるものでしょうか?
ましてや他人が。
子供への虐待が社会問題化してますが、それを非難するのは簡単だけど、もし自分がそこにいたら、プツッと糸が切れてしまう可能性が100%ない、と言い切れるでしょうか?
それでなくても多くの母子が2DKの個室に二人っきり、誰も止める人がいない環境で、これは誰しもに起こる怖れのあることであって、対岸の火事な話ではないのです。
子供だって、大好きなお母さんにめいっぱい愛されたいのに、どうしてもそういう行動を取ることができない。
それがもし、食べ物や環境のせいだとしたら、それこそ子供に対して「虐待」していることにはならないでしょうか?
しかも一生に渡って。
せつない話です。

私自身、地を這うように低い自己肯定感の持ち主なので、どうしても自分と息子の違いを思い知らされずにはいられないんです。
うちの息子には、不必要な「怖れ」がありません。
いや、おばけさんと怪獣さんは普通に怖いんですけどパー
うちの2階には、「ダースベイダー」という名のおばけさんが住んでるしドクロ
無鉄砲なわけでもないんです、意外に慎重というか、できないことはやらない。結構信用できる。
少なくとも、世の中はわけの分からない恐怖に包まれている、とは、思っていない。
だからこそ自転車なんかも、余計な先入観なく乗れているのかなあ、と。
卑屈なところがないから、こいつはいじめられっ子にはならんだろうなあ、と筋金入りのモトいじめられっ子な私は思うのだったムムム

自己肯定感は、高すぎてもいけないです。いますよね、自意識過剰で人の話を聞かないタイプ。
そうまでして触れられたくない部分があるほど、弱いんだろうなあと思います。
やっぱりめいっぱい愛されなかったから、正面から向き合うことが怖いんでしょう。
だから友達が、みんな友達じゃなくて「手下」。恫喝人生は寂しいだろうなあ。
こっちのが根が深いかも。
こういう子がいじめっ子になりやすいのかな、と思ったりして。

子供の世界を「善」で満たしてあげる、大人の義務のように思います。
そのためには、「体に不快が起きない育児」は、もっとも大切で有効な手段かもしれない。
もちろん私も自分が子供を産む前は、バリバリの子供性悪説、そんな責任なんて考えもしなかったですけどねー。

今は早々にアレルギー検査をして、その食材は食べさせない、なんて無菌室育児が主流のようですが、百歩譲ってそれでアレルギーを避けられる人生を送れたとしても、それはただの対処療法で、根本解決にはなっていません。一生無菌室に入れておくわけにもいかないだろうし。
ただ皮膚に出なければオッケー、て話ではない。
根本的に、アレルギーとは何なのか、を考える必要があるのです。

この辺で負の連鎖を断ち切りたいところですね。