がんばりすぎる子どもたち
おはこんばんちは。
ブログは自動書記・おしげでございますw
こんな顔してます。
長男が「掛け値なし」の似顔絵を描いてくれまして、あまりに直球でもういっそ名刺に載せようかと検討中。
お前な、もうちょっと人生ゴマを擦らないと、いいトコにムコに行けんでえ?
お寒うございますが皆様におかれましてはお元気でお過ごしでしょうか(⌒∇⌒)
ブログ開始当初から気分が乗ると書くスタイルを貫いておりまして、最近は守護霊さんからのご指南じゃないかと壮大な開き直りをしておりますw
少し前に(私の中では『少し前』だw)、「ゲーム問題についての考察」というお題でここでうんちくを垂れさせていただきましたけど、最近、テレビやゲームについて子どもの体への影響を、中医学の観点からYouTubeでくっちゃべりましたので、もったいないからご笑納w
この視点から考える人は意外にいない、と自分で自負しております。いたらごめんねw
この問題、私に中医学を教えてくださってる人にも投げてみたんだけど、一言、
「ネットを抜く!」
って返ってきましたね。
理由・気血が足りなくなって正常な判断ができないから。やっぱ合ってたな。←答え合わせが事後っていう前のめりブリww
そんなわけでうちではゲームはいまだ買い与えておりませんが、クラスの子どもたちはみんなゲーム機を持っております。
保護者会であるお母さんが、「先生、うちの子にゲームするなって言ってもらえませんか?私が言っても聞かないんです、今の子って外で遊ばないんですね。」とのたまっておりまして、いやそりゃゲームなんて親が買い与えればやるよね?放っておいても健全に育つと思ってらっしゃる?そこ先生に言う??と、わりと驚きましたよと。
まあ世間ではそのくらいの捉え方なのかなと思ったりしますが。
それでもクラスの子たちは、うちの息子と遊ぶ時はゲーム機を置いて、サッカーしたり公園でアホみたいにグルグル走ったりしてくれます。小学3年男子、ほんとにアホ盛り…。
これってすごいことで、「翼君と遊びたい!」という気持ちだけで、あれだけ好きなゲーム機をわざわざ家に置いてきて、公園で遊んでくれたりするんですよ。
ね、ゲームなんかなくてもいじめになんかあわないでしょ?要はなんでもコンテンツなのよ。
まあね、長男も私の見えないところでは少しやらせてもらってるみたいですけど、そこまで興味は持てないようで、相変わらず家に帰ってくれば段ボール工作にまい進してます。
さくら(ダンナ実家の犬)のための、「自動水飲み器」。
さくらのばあばが好きな、「自動こんにゃくゼリーマシン」。
こんな段ボール送るのに送料が1600円もしやがってすんげえモヤモヤしたわ(゚д゚)
9歳長男様、ギャングエイジ真っ盛り。そろそろ親の庇護から離れ、お友達とつるむのが楽しくて仕方ないお年頃。
ゲーム機を買わないまでもこっそりやらせてもらう、それも大事な成長過程のようで、と今回のお題のつなぎになったりするんですが。
先日、次男幼稚園にて、「作品展」がありました。
子どもたちを4,5人くらいのグループに分け、テーマを決めてひとつの大型動物を共同制作するのです。
近くにある多摩動物公園へ行って、どんな動物を作りたいかを話し合って決めるところから作り始めます。
次男のグループのチョイスが、多摩動にはいないまさかの「カバ」でw、カバを作ったチームは園始まって以来なんだそうだww
これがねえ、子どもらを引っ掻き回す色んなドラマを生み出すのよ〜
グループ分けも担任によって隅々まで考えられていて、問題が勃発したり衝突したり葛藤しながら子どもたちがひと回りもふた回りも大きく成長していく、はっきり言ってカバやらキリンやらの仕上がりや出来はどうでも良いのだ。
大型動物をチームで作る、って、子どもには(大人もだろうけど)本当に大変で、そこにはちゃんとコミュニケーションがなければ完成には至らないのです。
地味くんのグループは意思疎通が言葉になかなかしづらいし、イケイケが集まったグループは早くできそうと思いきや、各々がやりたい事が見事にクラッシュして、作品展ギリギリまで良い人生経験を堪能しておりましたw
うちの次男は長男と違って、園ではあまり話さない主張しない、地味な人。
次男が配置されたグループは見事に地味同士で、チョイスする動物も地味。カバだしw
さあ作ろう、となっても、最初は全員が「ちーーん」状態。
でもいざ作り始めると、仕事は丁寧で良く観察されてる。
このカバ体の絶妙な色ったら!!
そしてカバの顔に輪切りストローで鼻を付けたのはうちの次男らしいwウケるww
一人で勝手に作りたいものを作る、その出来栄えをほめる、というのは親も先生もわかりやすいし簡単だけど。
作りたいものをみんなで意見をすり合わせてイメージを共有して、言いたいことを言えて相手の気持ちを考えて、世の中にはいろんな人がいて個性があって認め合って、という、そういう教育ってなかなか難しいじゃないですか。
英才教育ってなんだろうってすごく考えさせられたし、これからはこういう視点での教育が必要なんだなあと思いました。
そして。
この大型動物を作るにあたって超超超大事な学び!
「力を抜く」ということ。
この先の人生で「力を抜ける人になる」ことを教える、ということ。
うちの園はこの点で日本一進んでるらしい。と今さら外部の講師に聞いて知ったw
「力を抜く」ってどういうこと?
はい、私も成果主義の時代の人間なので、なんのこっちゃかわかりませんでしたとw
毎年年中さんが大型動物を作っているのは知ってたけど、こんな意図があって作っていたなんて知らなかったし興味もないし。
家で工作やお絵かきしているときはとっても上手なのに、とモヤモヤ。
家では
こんなのとか
こんなのとか上手に作ったりするのにね〜
親の元を離れて幼稚園で共同生活する、子どもにとってはとても疲れることです。
それだけでも大変なのに、その上大型動物の共同制作なんてはっきりいって楽しいより大変で、大人が想像する以上に子どもはとても疲れるようです。
そりゃね、作り上げる労力もそうだけど、考えたり想像したり相手に伝えたり人の話を聞いたりなんて人生初の初めてづくし、ですもの。
そこでその子の「特徴」がすごく現れてくるんです。
大型動物の制作が進むにつれて、色んな子どもの様子の報告が上がってきます。
大抵は幼稚園でとても頑張るので、帰ってくると子どもは疲れ切って暴れてしまいます。
泣いたり暴れたりお母さんに暴力を振るったり兄弟に理不尽な当たり方をしたり。
疲れて登園行き渋りになったりもします。
親も思います、こんな思いまでして作る意図はどこにあるのだろう?
行き渋りに「休む?」と聞くと、「やっぱり行く」と答える子ども。
そうまでして苦労して出来上がった時の達成感はすごく大きいものではあります。
大型動物に乗って遊び、年少さんを招待して乗せて遊んで、色々大変だったけどやっぱり作ってよかったな、と思います。
この制作を通して子どもたちは成長するし、親も自分の子の「特性」に気づくきっかけになります。
あのね、意外に自分の子って、わかっているようでわかってないもんなのよ~
親が一番わかってないかもしれない。大抵の子どもは集団では全く違う顔をしているから。
疲れて暴れる子ども、頑張りすぎる子ども、言っているようで自分の意見は言えてない子ども、一見扱いにくそうで実は自分の意見を言えている子ども、etc。
色んな面が見えてくるのです。
そこでその子の特性を生かし、個々にどんな環境を整えていくか、親も園も考えるきっかけになります。
うちの子どもたちは、疲れて制御できなくなるなどという「波」がほとんどありません。
特に次男、24時間、彼が疲れておかしくなるとか暴れるとか、そういう場面には一度も遭遇したことがない。非常に安定している。
長男は食べない子だったので、年少の頃は時々限界値で帰ってきたかな。バス停で哺乳瓶持って待機して、園バス降りてきたら口に乳首突っ込むっていうw
次男は24時間ずっと同じペースで、自分のしたいときに自分で適当に力を抜いて休めるのですよ。
教えたわけでもないのに、誰かに負けない、とか、誰かに比べて頑張らなきゃ、とか、そういうものがないんです。
これ、簡単に言うけど、できる大人ってどれだけいると思います?
みんな、「ねばならない」でずっと走り続けていませんか?私を含めて。
何に追われているのかわからない、何を目指しているのかわからない、ひたすら頑張る、追いつき追い越され、「将来への恐怖」をネタに脅されるように走り続けることを幼い頃から刷り込まれ、結果心身のバランスを崩してしまう現代人のなんと多いことか。
みんな、「がんばれ、負けるな」は教わっても「力を抜く」「自分のペースで生きる」ということについては、教わらないで生きてきた結果なんだろうなと思います。
次男の心身の体調は、非常に安定しています。
次男と対峙していると、「あれ、そこで終わり?」という場面にちょいちょい遭遇しますが、それは彼なりに「疲れたから休む」という自己判断ができているのです。
そしてそれを母である私が、認められるか(=受け入れられるか)は、どこまで彼を知っているかによる、それがとても重要な気がします。
知らなければ、やきもきしますよね、あるいは我慢が足りないとかスパルタでやらせなきゃとか子どもの現在地を否定してしまう、あるいは自分の対応を責めてしまう。
私はただ、彼の不快を取り除くことしかやってこなかった。
何があっても彼自身を否定することなく、ただ、不快を取り除いてきたんです。結果論ですがw
長男については、私も母1年生でそこまで見聞も広くなかったのでね、私自身が成果主義の塊だし、色々やらせた面はあったと思います。
できてしまう人なので、しかも楽しくやってくれるので気づかなかったんですが、彼の脾虚(脾が弱いこと)は、ここから来ているのかなとちょっと反省。
要するに長男は、「力を抜けない」人なんですね。暴れたりはないけど、不調が出る時点で身体の声が聞けてない。
そりゃね、6歳でレゴ作り飲まず食わず13時間ぶっ続けとかやってればね(つД`)←止めろよ私も〜
次男は適当に休める人なんですが、「空気を読まずに」休むのでw、大型動物の制作ではさぞグループの皆様に迷惑をかけたのではと思いますww
グループは男女二人ずつ、真面目な女の子と、次男含むパッパラな男子w
次男は疲れたりするとすぐ息を抜きに遊びに行ってしまう。
残された真面目な女子はたいそうご立腹なわけです。
でも真面目な女の子はそれこそ「力を抜けない」子なので、家に帰れば限界を迎えて暴れます。
「自分が真面目に作っているのにみんな遊んでいて、ずるい、許せない」
と言います。
お母さんに、「でも、〇〇ちゃんもおうちに帰ったら休んだりするよね?いつ休むかはみんなそれぞれなんだよ。」
と言われて、そうか、と、自分との違いに気づいたりする。
真面目に一生懸命色を塗っているつもりで、みんなの手に筆で落書きをして、自分の手にも落書きをして、「はっ!私ったらなんてことを!!」と自分で自分の違う一面に気付けたりもする。
「みんな違ってみんないい」この言葉を言うのは簡単ですが、子どもたちはまさに体験を通して個の違いを学んでいるんです。
うちの幼稚園には、「虹の部屋」という部屋があります。
普通の幼稚園であればいわゆる発達に心配な子たちが集う部屋なのでしょうが、この幼稚園ではわりと気軽にこの部屋を使います。
集団で疲れたり、自分のペースをつかめない時、虹へいって休みます。自己判断で行く子もいます。そして自分でお部屋に帰ってきたりもします。
それが普通なので、虹にいる子たちを特別視する風潮もありません。
サポーターも気軽につきます。クラスの半分くらいはサポーターつけてるかな?
サポーターと呼ばれる補助の先生(たいていは卒園ママ)が、その子に合った声かけをしてくれます。
そうやって幼稚園で自分のペースをつかんだ子が小学校へ行くと、出来上がった集団に入っていくのは苦手だから朝は誰よりも早く学校へ行くとか、休み時間までみんなといるのは疲れるから教室で遊ぶとか、自分の状態を自分で判断してペースをつかめるようになるんだそうです。
この先これからの人生で、「自分のペースをつかむ」ということを教わることなんてないから、ここで徹底して教えたい、と園長は仰ってました。
素晴らしいと思いませんか?うらやましいぜ、私も虹へ行ってこようかな1年くらいw
これができないからみんながんばりすぎて、不登校になったり保健室登校したり、親も子も苦しむんだと思うんです。
この、個の違いを、今度は小学校や社会が受け入れられるようになって欲しい、と、卒園ママたちが小学校PTAに集まって動いている学校もあるのだそうです。
幼稚園の先生が用事があって小学校へ行ったら、PTA役員がうちの園の卒園ママばっかりだったとかねwさすがみんな前のめりだぜww
でも、そうだよね、うちの空気を読まないでいつでもマイペースな次男が、小学校という箱の中でどうやって評価されるかは、未知数だもんね。評価は別にいいけど、本人の生きづらさになっちゃうと、さてどうするかなと、今現在地ココwだってうちは園から遠すぎて、卒園生も同級生も誰もいないんだもーん。
そしてここで疑問。どうしてうちの次男は、24時間マイペースでいられるのか。
それは彼が、今まで無駄に心熱や肝熱が上がることなく、マイペースで成長して来られたから。
要するに、体に不快なく自分のペースでここまで成長できてきたら、体の声を聞けてるんじゃないかなと思ってます。
私も、普段の彼を知っているから、何かあった時は「体の不快を取る」ことだけをしてきて、あとは全て彼に任せていた。放置ともいうけどw、それが返って彼のペースに口を出すことなくここまで成長できてきたのかなと。
本能的に本当に欲しいものであるおっぱいミルクを存分に与えられ温かく育てられてきた子は、不快がなくとても穏やかで、本能のままに生きています。
その「ニュートラル」な状態を知っていると、なにか変化があった時にも、「変化の原因」である不快を取り除いてやるだけで、すぐに元のニュートラルな状態に戻ってくれます。
純粋に子ども自身を信じ、無駄に子どもを否定したり悩まなくても良くなります。
私は、河口あすかさん主宰のむしろ台所診療所さんと、育児のオンラインサロン「アンテナ」を運営してますが(ほとんどあすかちゃんに丸投げですがw)、あるお子さんが、幼稚園に通い始め食が変わり体が冷え(自然派は無駄に薄着にさせる)、風邪を引いた後ひどいイヤイヤになった、と悩みを訴えたお母さんがいました。
何が悪かったのだろう?私の対応が悪かったのか?あれが悪かったかこれが悪かったか、お母さんは自問自答します。
でも、子どもからすれば、様々な環境の変化に身体が対応できなくなり、SOSを出していただけで決してお母さんを困らせる悪魔に変身したのではないし、イヤイヤが言えるということはそれだけお母さんを信頼しているからできたことだと思うのです。
だからその場合は、自分や子どもを否定することなく子どものありのままを信じ、ただ不快を取り除いてやればよい、子どものペースで戻ることを見守ってやればよいだけなのです。
ここで子どもの「真の姿」を知らなければ、「魔の3歳児」なんてレッテルを貼って、「ねばならない」にがんじがらめになったかもしれません。
普通私たちは日本で子どもを産むと、無数の「ねばならない」でがんじがらめになります。
〇ヵ月で離乳食を始めなければならない、〇ヵ月でおっぱいはやめてなければならない、〇歳ではしゃべれてなくてならなくて食べるものはなんでも食べられないといけなくてetc,etc……
「普通に育つ」モデルを据えられマニュアルに縛られて、普通って何?と疑問に思いながらも肝心の子どもの「声」を聞く余裕はほとんどありません。
西原式育児で育てているお母さんはそういう世の中の常識から離れ、ゆったりと子育てをしています。
そんなお母さんが子どもを連れて1歳半検診へ行くと、世の中の「ねばならない」に晒されて度肝を抜かれるわけですよ。
身長も体重も曲線ど真ん中なのに「食べてない」というだけで別室へ連れていかれ、パンにジャムを塗って食べさせたらどうだ、ごはんにふりかけをかけたら食べるんじゃないか、心配してくれる気持ちはありがたいですが、首をぶんぶん振って拒否している子どもに無理やりパンを口に突っ込んでおっぱい取り上げて、それで「正常に」発達できるとはどうしても思えない。
思えないですがコレを何の疑問もなくやっているのが、今の母子行政ですから。
いかに「ねばならない」が人の心身を壊していくか、いかに日本全体がなんの根拠もなく「ねばならない」に縛られているか。
そして思うの。
自分のペースで成長できるということが、子どもにとってどれほど幸せなことか
ということを。
うちの幼稚園も「ねばならない」で四苦八苦してきたお母さんたちが、育児に苦労する中でこの幼稚園に出会い、ひとつの「ねばならない」を外して、子どもが自分のペースで生きることを受け入れられるようになった。
どんな育児をしていようとも、頑張る子もいれば頑張らない子もいる、子ども本来の素のままの姿を認めて(見抜いて)、自分のペースで成長するのをただ見守ってあげること、これが「ありのまま生きる」ということなのかなあ、と自戒も含めて思いました。
子どものありのままを認める、見抜く、ここに親スキルが必要になってくるんだろうな。親自身も自分と対峙せざるを得なくなるもんね。
いつから始めても遅くない、気付いた時がきっとその人のベストタイミング。
先日小学校のマラソン大会があり、うちの「頑張っていることに気づかない」長男は、今年出場しませんでした。
親の私が大会役員でこの寒空早朝から詰めてるってのにお前走らんか!っとちょっと思いましたけどw、マラソンが好きではない長男は、「今年は練習も出なかった」と。
実際は「練習を頑張らなかった」という意味だったそうですが、去年は練習からすごく頑張って、でも当日体調が悪くても出場し成績が振るわなかったことを思えば、「やらない」と言えたことに、おお!言えた!と思いました。
これは彼のクラスの保健室登校をしている同級生が、「やりたくないときはやりたくないでいいんだよ」と体で教えてくれてるような気がします。
おかげで長男も少しずつ、自分のペースで生きることを模索しているようです。
保健室登校の子も1年生の頃から放課後引きこもりでしたが、3年生になって急にゲームを置いて長男と遊んでくれるようになり、選ぶ遊びも、鬼ごっこかかくれんぼ。私が気を遣ってボードゲームとか置いても見向きもしない。
でも体を動かすから、気血の流れが良くなってみるみるうちに顔色が良くなってきていて、教室に登校できる日も遠くないんじゃないかなと思います。
ね、人同士が関わりあうって素敵なことだよね。
次男もね、生き方はマイペースなんだけど、彼の中に「お兄ちゃん」という理想像があるので、なかなか自分に自信が持てません。
これは親の関わり方も多いに問題があったんだと思うけど( ;∀;)、「あんな風にでき
ない」と自分で自分を評価してしまっているようで、そこはもう、自信がつくまで気長に待ってあげるしかないのかな。
ひとつひとつを丁寧に味わって成長している次男は素晴らしいし発達も十分だと思うのだが、そもそも4年も先に生まれてる人と同じ土俵に立とうとするって、良くも悪くも2人目のサガかしらね〜( ノД`)兄弟ってそういうもん?
最後に。
量子医学の人に教わった、
「親も子も緩む」
簡単な方法。
子どもと夜お布団に入ったら、ゲーム感覚で思いっきり縮みます。
頭も手も足もぎゅーーーーっと縮んで縮んで縮んで〜〜、せーーーのっ!で、パッッッ!!と全身の力を抜きます。
そのままおやすみなさーい!
わざとらしいくらい大げさにやるといいです。
うちは子どもたち2人ともこれが大好きで、私が沈没してもふたりで何度もやってたりしますw
交感神経と副交感神経、要するに気が緊張するか気が緩むかの違いなんだけど、このバランスが崩れて交感神経が優位になると、自律神経失調症になったりするんですよね。
だいたいは知らず知らずに交感神経が優位になっている。身体のあちこちが緊張していると気血が滞っちゃう。
寝る前くらいはリリースしてあげると、いいことがあるかもね♡
ではまた♡♡
☆むしろ台所×そえる堂謹製・有料育児オンラインサロン「アンテナ」
入会随時募集してます。
育児の悩みをみんなで共有、解決していくサロンです。西原式育児に限りません。
興味ある方はメッセージください♡
☆おしげさんは現在・足ツボ屋さんですw
マイナスの言葉がつくる人生
いきなり衝撃タイトルですんませんw
別に世間にケンカふっかけているわけじゃないのよw
とりあえずクッション画像置いとくか。
先日次男幼稚園運動会がありましたん。
今年は予行から半袖半ズボンにしてやったぜ。
去年は長袖長ズボン履かせて、全学年向けのお便りでキビしく注意されたぜw←長袖長ズボンだったのうちの子だけだったから名指しされたも同じww
絵本「とべバッタ」の音楽劇でバッタ役になるらしく、バッタに見えるよう服は全身青で揃えてみた。
バッタは緑だって?全身緑にするとガチャピンになるんだよっ!
こちらは長男作・プラレールツインタワー。
どんなプラレール博でも、らせんで完全ループするよう組んでいる作品には今まで出会ったことがないぞ、と。
[http://:title]
これはこの間開催された西原式研究会オフ会にて、会場に我が家のありったけのプラレールを運んで、長男じきじきに作り方を伝授しましたw
「おかあさんたちへ。まず、大量に線路を買ってください」
という長男のアドバイスが、吹いたww
えーと、本題。
ここのところ、波動とか量子とか、そういう、今まで「オカルト」と一笑に付されていた分野が、にわかに台頭していきているように感じます。
特に令和になって顕著だなあと、思います。目覚め始めた人が増えてきたというか。
例にもれず私にもそういう出会いがあり、その分野にお世話になり始め、今までの自分の中での様々な矛盾点が統合されつつあります。
人はみな課題をもってこの世に生まれてきますが、生きづらさや人生の課題、そういったものの根っこはどこにあるのか、どのように解消していくのか、リアルに体験できていて大変面白いです。
体験していて驚くのは、人の人生でのネガティブな言葉や、抑圧、恐怖、そういったマイナス体験というのは、ここまで人の心や体に影響しているんだなあ、ということです。
人は誰でも生まれたときは100%光だそうですが、その魂の人生での課題を2,3歳くらいには近親者から受け取るそうです(親とは限らない)。
それは、恐れだったり、怒りだったり、憎しみだったり妬みだったり、人により色々ではありますが、生を受けたこの世でそれらを体験しながらまた、光へと還っていく。
人によってはなかなか重い課題だったり、考え方のクセのようなもので解消しづらかったり。
「自分と向き合うこと」そのものを課題として生きる魂もあるようで、それは一番辛いなあなんて思ってしまう、向き合えない違和感を感じながらも色んなところかじり倒しては、自分探しの旅を放浪しちゃうもんね。
そもそも観念でがんじがらめの人は、人生そのものがマイナスの言葉で固められまくっているように感じます。
物事には必ず光と闇の二面があって、マイナスの言葉で固まっていると、とにかく闇の面ばかりを拾いたがる。
その根っこはどこにあるのか?を探ると、親との関係だったり、今までかけられてきた言葉だったり、色々です。
人の意識には、顕在意識と潜在意識があります。
顕在意識とは、私たちがリアルに見たり感じたり思ったりといった、「体験できる」意識のことですが、これは全意識の中の10%に過ぎないそうです。
脳みその90%は潜在意識、つまり大部分は無意識で、私たちが意識的にどうにかしようと思ってもできない部分です。
ここに入る色々な情報や言葉は、実際の私たちの人生に大変大きな影響をもたらします。
そして潜在意識には、難しい言葉は入らないそうです。
例えば、最近の口の悪い子どもがよく言いますが、友達に向かって「お前死ねよ」と言ったとする。
顕在意識は、他人に向かって死ねと言い放っているのに、自分の言葉を一番聞いている自分の無意識は「死ね」という言葉を拾ってしまう。
つまり、自分に向かって「死ね」と言っているんですね。
究極の自己否定。言葉がどれだけ恐ろしいものか、がわかります。
そしてその、友達に向かって「お前死ねよ」と言っている子どもは、さて、何が原因でその言葉を発しているのでしょう。
私自身は、普通に母子手帳育児で育てられた、大変自己肯定感の低い、普通の日本人です。
子どもの頃は人見知りは激しいし、しょっちゅう扁桃腺腫らしてろくすっぽ保育園も行けてなかったし、ずっと泣いていたことしか記憶にないし、頭も運動神経もよろしくなく、いじめにもあっているし、まあ言ってしまえば「かわいくない子ども」でしたよ、ひいき目に見ても。
私の頃は食べ物も薬もワクチンも世代間濃縮が低かったので、アレルギーなどがないのが救い。そもそもアレルギーといわれる子どもはほとんどいなかったと思うわ。(アレルギーという概念そのものがなかったはず)
私の自己肯定感の低さに至っては、もうね、むしろ台所の河口あすかに「おしげさんはどう褒めたら受け入れてくれるんですかっ!」とさじを投げられたくらい、自分を認めなかった女ですw
例にもれず、闇が大好きで、物事の闇面ばかり拾いますし、被害者意識のカタマリですし、少し前までは「怒りは世界を変える」と本気で信じてました。(怒りは世界を変えない、と知った時の私の愕然ぶりったら…うつみんに教えてあげたいw)
でもね。
自分の子どもに関しては、闇を拾うことはほとんどないんですよ。
なぜだか、「この子は100%光だ」とどこかで固く信じているところがあって、この子のありのままでいいんだ、余計なことは必要ないんだ、と、疑うことがないんです、この10年近くずっと。
だから、何があっても、子どもに対して心配というものをほとんどすることがないの。
こんなハチャメチャな、子どもなんて元来好きでも何でもないし、闇ばかり拾う人間で親としてどうなのよというこの私が、自分の子どもの闇だけは拾わないなんて、おかしな話じゃないですか。
本来なら絶対、虐待親案件ですって。
むしろうちの幼稚園のママたちなんて、子育てについて本当に良く勉強しているし、子どもに対してもとても我慢強い。
だけどその努力に見合った結果が出ているかというと、まるで小さい頃の私を見ているようで。
なんでだろう?と思ってて、気づいた。
西原式育児はまさに、「子どもはありのままで全てを備えた素晴らしい存在であり、我々は限界まで余計なことはしてはならない」という、徹底して「性善説」な育児である、ということなんです。
子ども自身も、余計なことをせず育てられるので体が不快でなく、ネガティブな行動や考えをしなくてすむので、周囲からのネガティブな言葉がけも格段に少なく、闇を拾わないんです。
つまり、本能に根ざした、「子どもの光を拾える唯一の育児」なんですよ。
心身は一体、特に小さければ小さいほど体の不快は心のダメージに直結します。
どんな理由であれ身体が「被害」を受ければ、心には文字通り「被害者意識」が育っちゃうわけですよね。
この被害者意識がどれだけ厄介か、これがどうにかなるだけでも人生相当思い通りですわ。
前にも書きましたが、自立というのは、どれだけ物理的に皮膚感覚を埋められたか、に尽きるんですって。
そこ埋められてない人って多くって、偉そうにぶっこいてる爺さんでも実は自立してない人が多い。
充分に皮膚感覚を満たされた子は、安心して外へ出ていける。
逆に体に辛い思いをすれば、文字通り被害を被り、心の中には被害者意識が育っていく。
それほどまでに、心と体は一体であり、体への不快は心にダメージを与えていくんです。
お友達の子どもに、兄(6歳・アトピー喘息気味)と弟(4歳・アトピー気味)がいました。
ある時弟君がお母さんのお手伝いで、何かを並べるということを思いつきました。
発案者は弟君ですが、同じことを兄君もやりたがったので、交代で、ただし発案者の弟君が優先で、という、よくある展開になりました。
並べ終えて、同じことをもう一度やろうという時、兄君は自分と弟が並べた回数を正確に覚えていて、
「ボクは〇回『しか』やらせてもらってない!」と怒り始めました。
弟君は兄君が怒ると痛い目にあうのをよく承知しているので、あっさりとその場を譲りました。
ここで兄君は本来なら「やらせてもらっている側」であるはずなのに、「〇回しかやらせてくれない」という「被害者意識」だけが記憶に残って、弟が譲ったこともたくさんやらせてもらったことへの感謝の気持ちも、良い記憶はひとつも残りませんでした。
兄君は、闇を拾う思考癖がもう、こんな小さなころから身に沁みついている。
お母さんやお父さんが何をやっても、どんなに彼を優先しても、彼には「~してもらえなかった」という気持ちしか残らないんです。
実際イヤイヤはひどく手のかかる子ですから、親は「あの子にはあんなに手をかけたのに」という気持ちを持ち続けますが、子は「辛い気持ちをわかってもらえなかった」という反対の気持ちをずっと持ち続ける。
ここにとても不幸な親と子の不咬合が生じてしまうのです。
なるほどこうやってネガティブな記憶は形成されていくのかーと、目の当たりにしました。
この場合暴力で我慢を知る弟君にも、良い影響にはならないでしょうね。
こういった思考癖が人生に大きな影響を与えることは想像に難くなく。
身に覚えはありませんか?
私はありますw
幼いころの記憶って、幸せだったかしら、不幸だったかしら?
私には、泣いていた記憶しかありません。
でも私にだって良いことも楽しいこともたくさんあったはずです。
父も母も、ひとりっ子だった私を一生懸命育ててくれていたのはわかっています。
なのに、闇を拾う思考癖が身に付いているから、私には楽しい記憶があまりないんです。
そして私が泣いていた記憶は、体が辛かった記憶と直結しています。
子どもの頃の記憶が楽しい記憶である、つまり心身ともに満たされた自己肯定感の高い子どもを育てるには、体に不快のない育児をしてやることが最も近道であり、最も簡単で根本的であるのではないか、と私は思うのです。
だってね、親になる人はみんなが生まれつき子育てのプロですか?
寝ても覚めてもイヤイヤイヤイヤ、あれは嫌だこれは嫌だママ大嫌いパパ大嫌いって暴れられて、毎日どこで地雷を踏み抜くかビクビクしながらひたすら嵐が過ぎ去るのを待つ育児って、一つのネガティブな感情も持たずに子どもを育て上げられるかと言ったら、出来る人はいるのかもだけど、正直私は無理です。人間だもの。byみつを。
なんだっけ、お父さんが額の汗を拭ったらそれが地雷になって暴れまくって、通行人に「誘拐犯です」って通報された話があったなこないだ。
お父さんは世間の無理解に憤慨してたけど、違うよね。このくらいの子どもが、保護者が誘拐犯と通報されるくらい暴れるのが人間のデフォルトだとしたら、とっくに絶滅してます私たち。
子育てが不自然に感じるとしたら、それは自分や子どもや社会が悪いのではなく、育て方そのものが不自然である可能性はないでしょうか?
実際、うちの子どもたちには、無意味に暴れることもないし、闇を拾う思考もほとんどありません。
これは、自分の消化能力を超えるようなものを食べることなく育ち、胃の熱が上がりづらいから、ベースが穏やかでいられるんですね。
消化が負担で胃熱が高いと、隣の臓器である心の熱や肝の熱が簡単に上がってしまい、それでなくても子どもは陽の気が高いのに、何かがあればすぐに振り切れます。
まさに一触即発、本当に些細な、どうでもいいことでキレたように暴れたり泣きわめいたりする理不尽は、ここから来ています。
ちなみに、肝は怒りを司り、心は喜びを司るので(この場合の喜びは躁鬱病の躁状態を指す言葉)、肝の熱が振り切れていれば怒ったり泣きわめいたりし、心の熱が上がりきっていれば多動のような症状で現れます。
先日、2歳半くらいの、ちょっと心熱が上がってる男の子が、次男が一生懸命組み立てていたレゴをひっくり返しました。
「この人ってこんなに怒ることあるんだ〜」ってくらい次男様怒ったんですけど、数分で収まり、高いところに避難させたレゴの警備員に変身w
このあと、心熱の高かった男の子にある処置をして心熱を下げたら、すっと落ち着き、すぐ二人は仲良く遊び始めました。
つまり次男は、されたことを根に持たず(闇を拾わない)、平常を取り戻した男の子とはちゃんと遊びを再開したのです。(これ、誰も彼も仲良くしなさいと強制したら返って歪むよね)
普段から内臓の熱が上がってない次男は、怒っても数分で済み(我慢せず怒りを出せた、というのも大事)、さっと切り替えることができました。
これが胃熱が高いと、振り切れたままなかなか元に戻りません。
延々とぐずり続ける子どものお腹の中は、こういうことになってます。
切り替えができない、とは、子どもなりにこういう事情があるのです。
決してお母さんを困らせようと思ってやっているのではなく、本人すらアンコントローラブルな状態であり、その子が否定されるべきではないのです。
どれほど食べるものが大事か、消化が負担でないことが大事か、ということですね。
ちなみにこの心熱の高かった男の子はその後、お母さんの突出した努力とアンテナにより、今は光の道を歩み始めています。
子どもの現在地を認め行動するこのお母さんは、本当に素晴らしいです、脱帽です!なかなかできることではない〜
長男も小学校へ行きはじめてから、色々周りに影響されている部分はありますが、根っこは自己を肯定する力があると信じられるので、困難が起こっても、それも彼の今世の体験だと思って放って、じゃない見守ってwおけます。
だから、何かあっても、彼を信じた声かけができます。
フェイスブックでも書きましたが、先日こんな事件がありました。
ある朝、長男学校へ送り出して洗濯物干そうとしたら、長男クラスで持ち回りで世話してるトカゲが、死んでいるのを見つけちゃいまして。
したら、だいぶ行ったはずの長男が走って戻ってきたから、
「忘れ物?トカゲならお亡くなりだよ」
「え?!うそ?!……………ホントだ……」
「……新しいの捕まえてきて戻した方が、みんなに怒られないかもしれない」
へえぇ〜〜この人でもこんなこと言うんだ〜〜
と、内心思いながら、
「そのまま持って行きなさい、今からじゃ間に合わないから、洗濯物干したら車で送ってってあげるから」
「僕ちゃんとお世話したのに」
「そうみんなに言えばいいじゃないよ」
「だって、信じてくれないかもしれないじゃん。C君とか、きっと言うよ、何でちゃんと世話しないんだよ!とか。」
朝からだいぶ落ち込みのようで、ああめんどくせぇ展開になったなあと思いながら。
「あのね。
生き物は死ぬのよ、特に自然で生きてたものなんだし、最初から病気だったかもしれないし。
誰が世話をしても誰の家にいてもいつかは死んだの。
死んだという事実は事実でしょ、そこから自分がどう行動するかが問題なのよ。
そりゃね、新しいの捕まえてきてごまかすこともできる、なんならみんなが忘れるまで黙ってることだってできる、何をやったっていい、どれが正解というわけじゃない。
だけど、その、自分が選んだ行動の結果は、自分が受ける、ということなのよ。
例えば普段、約束を守らなかったりいつも遅刻して人を待たせていたりしたら、楽しいことや大事なお仕事があっても、どうせあの人は時間に来ないからとかちゃんと仕事しないからとかでみんな声をかけてくれなくなっちゃう。
だけど、そういう人はみんなが声をかけてくれなくなった時、
『どうして僕だけ声をかけてくれないんだ!』
と怒るでしょう。
だけどそれは、普段の自分の選択の結果が自分に返ってきただけで、その責任を自分で取ってるだけなんだよね。
あなたはちゃんと世話をしていた、C君が、今日は僕は面倒だから世話しないって言った時も代わりに持って帰って世話をしていた、そのあなたの選択の結果も、あなたが受けるの。
だから、「死んだ」という事実は事実で、ちゃんとみんなに報告して、『世話をしていたけど死んじゃったよ、ごめんね、だからみんなで埋めるのを手伝って欲しい』と言ってごらん、今までのあなたの選択の結果がそこで出るから。」
と言って、虫かご待たせて校門へ突っ込んだ。
今日は朝から幼稚園運動会予行見に行ったりお当番バッジ作ったりで忙しいのよ、君のグズグズに付き合ってる暇はないっ!
で。帰ってきて。
「そういえばトカゲどうだった?」
「うん、みんな、そうなんだ〜って言ってくれたよ。みんなで明日埋めようね、ってことになったよ。」
「でしょ。それがあなたの普段の行動の結果だよ。それを信頼というのよ。」
満足そうに笑っておりましたとさ。
私も彼を100%信じているから言えた言葉ですが。
こういう展開ができると、親子のカルマって半分くらい解消できると思うんですよ。
そう、この育児は、脈々と受け継いできたカルマを自分の代で解消できる可能性すらある、と私は思っています。
そ う は 言 っ て も 。
正直、西原式育児メソッドだけで、そこまで到達できる人は少ないです。
というか、年々少なくなっているんじゃないかと感じる。
10〜20年近く前ならもっと打率は高かった気がするけど、今は、ちゃんとやってるのに湿疹だったりアレルギーだったり、イヤイヤが出てきたりと、私が経験した部分と違う、「どうしてだろう?」と考えざるを得ないパターンが多々出てきました。
そこで、自分が学んでいる中医学が非常に明快に答えを出してくれることがたくさんあり、また、対処法をも教えてくれるのです。
例えば先に述べた胃熱や心の熱など、これほど人に起こっている事象を、理論的に明確に説明できる医学は他にないと思います。
古くて新しい中医学と、古き良き時代の育児の再生である西原式育児と、共通する部分があるのは理にかなっているんですね。
ちなみに西原式育児で結果の出ない子どもたちに大きく共通するのが、薬害です。
それは子ども本人に投与された薬だけでなく、母体の、妊娠中や出産時、さらには子どもができるずっと前に服用していたホルモン剤など、多岐に渡ります。
それもきちんと中医では説明できますし、量子医学でも確認済みです。
まさに薬はリスク、安易に薬剤を使った出産や不妊治療などは、もちろん命を守るための苦渋の選択は除いて(それでも子どもへのリスクと現在地は認める覚悟で)、よくよく考えて選択するべきである、とあえて炎上覚悟で触れておきます。
折しも先日、西原先生の運営する「西原研究所」が、先生のご健康を理由に、閉鎖になってしまいました。
非常に残念です。
このタイミングで、長年温めていた、私と「むしろ台所診療所」の河口あすかが中心となって運営する、西原式育児を中心とした有料サイト・「アンテナ」をついに公開しました。(一般公開は11月から)、
研究所が閉鎖になってしまった今、この育児を伝承していける人材は、これだけの経験と知識を蓄えた私たちしかいない、と自負しています。
西原式育児をやってみよう、やっているのに結果が出ない、周りに同じ育児法の人がいなくて不安、など、育児で迷える子羊になってるお母さん方の、大きな味方になり得ます。
私たちは、西原式育児はもちろん、中医学の観点から、さらには量子医学の観点からも共に考え、最良の道を選択するお手伝いができると思ってます。
気になる方は是非、お問い合わせください。
今回、かなーり真面目な文になってしまいましたね〜
どうしよ、最後、おちゃらけたほうがよい?
そうね。
男子6人だけの長男クラスに、初の女子が転校してきたんですよ!
もうね、あれやらこれやら、少女マンガ的脳内展開で大変なんですよ、保護者が!w
私:「ねえねえ、今日、転校生来たんでしょ?初・女子!!」
長男:「うん、来たよ」
私:「どんな子だった?(ワクワク✨)」
長男:「下品な子だったよ」
私:「は?下品?」
長男:「うん、あのね、ソーセージはち○んこで、ミートボールは金玉だって言ってたよ」
私:「……まあ、男の子6人の中に入ってくる子だからね……」
色々崩れた。
ゲーム問題についての考察
夏ですね。
夏休みですね(´∀`*)そろそろ終わっちゃうけど…
皆様におかれましてはお元気でお過ごしでございましょうか?
早いもので長男は9歳の小学3年生、次男は5歳の幼稚園年中さんになりました。
例にもれず二人で夏休みで、ヘタっております、親が(つД`)ノ
小さいうちの方がなんとかできたと思うのですが、長男はカンフーを始めて、発表会やら試合やらあるので中々長期間外に出すわけにもいかず、次男は少し遠い園に通っているので頻繁にお友達と遊ぶ、というわけにもいかず(結構みんな里帰りしている)、私も仕事があったりで、当然この間子どもたちをどうするか、という問題が浮上しております。
↓カンフーキッズな長男w
昔と違って今の子どもはテレビやゲームがあるので、外に遊びにも行かずエアコンの効いた部屋で一日中過ごせてしまうのですけども。
我が家は一応ゲームを禁止しているので、その手は使えないことになっている。
録画したテレビやDVDを時々観てる感じかしら。ダンナがチューナーぶっぱ抜いたのでそもそも地上波が観られないっていうw
有用なコンテンツもあるので、テレビを撤去するほど徹底していません。うちではゲームよりは身近ですので、たまには観せたりもしています。
たまたまシンカリオンとか観ちゃってさ、二人でドハマリ(;´Д`)
アンパンマンが丸いとか色々反則なキャラクターはあるけどさ、新幹線がロボットに変身ってそれもう男子的には法律違反レベルでしょ…
イマドキ、ゲームさせてないとか言うと、「子どもを抑圧している」とか「どうせ大きくなったらやるのに今我慢させると解禁したらジャンキーにはまる」とか、世間は結構そんな感じだそうですが。
私は、うちはうちで、みんな違ってみんないい主義なので、うちにお友達が遊びに来ても、
「はい、うちはゲーム禁止です。他のもので遊ぶか、外に行きなさい。」
とはっきり伝えます。
すると子どもたちは、素直に持参のゲーム機を置いて、他のもので遊び始めます。
我が家はゲームのかわりに、「ここはヨドバシカメラのおもちゃコーナーですかい?」というくらい、品ぞろえが豊富ですのでねw、飽きることもないらしく、再訪率も大変高いです。
ゲームはどこでもできるけど、翼くんの家にあるアレで遊びたい!と思わせる作戦、ができるくらい、厳選されたフェチなおもちゃがたくさんあるのですよw
なぜうちがゲームを禁止しているかと言うと。
いや、わかりますよ、私だってかつてはやってましたから。
ゲームボーイのテトリスをやらせたら、私の右に出るものはいなかったんだ←昔取った杵柄、ただし白黒バージョンに限るw
しかしドクターマリオはうちの姑には絶対叶わない。
聞いたこともないような電子音バンバン出しまくり、最終的には親指の腱鞘炎になって引退されましたw
やってましたけどね、私がやり始めたのは中学の頃からです。
うちの姑だって60を過ぎてから始めた。それもどうかと思うけどw
私に限らず、私の時代はゲーム出始めだったので、そこまで低年齢からゲーム漬けな子供は珍しかったんです。
ここでものすごく大事なキーワードは、
「子どもは大人のミニチュアではない」
ということ。(西原医師格言より)
脳みそも、腸も内臓も、子どもは我々が想像するよりずっと未熟なのです。
子どもは、大人をそのまま小さくしたような存在ではない。
だからこそ、「子ども目線で考える」必要があるし、そこを守るのが大人の役目だと思います。
昔の人はそれがわかっていたから、子どもがやってはいけないことに、ちゃんと線引きがされていた。
お父さんが晩酌のアテに刺身を食べてても、子どもに食わせることはなかった。
それは別に一家の長だから贅沢が許されるとかいうことではなくて、贅沢とはそういう意味ではないことがちゃんとわかっていたからだと思うんです。
まあそうでない人もいたかもだけどさw
少なくとも今よりは人間の本能がちゃんと働いていましたから、子どもが食べたがるからとマグロをてんこ盛り食わせるなんてことはなかったわけです。
生魚は脾を痛めますのでね、それを3歳4歳の子が常食することは、アレルギーのリスクを高めてしまいます。(アレルギー=脾の問題)
ダンナの同級生で、物心ついた頃から、ある時間までは日本語だけ、ある時間からは英語だけ、で厳密に育てられた人がいたそうです。
この人が成長してどうなったかというと、英語は確かに100点なんだけど、あとは全て0点なんだって。
人間の脳の仕組みってそうなってて、使う場所は特化するけど、使わなければあとは退化するんですよ。
これは何も脳に限ったことではなくて、筋肉も他の内臓も同じ。
寝たきりになったら筋肉衰えるでしょ?それが内臓でも脳でも起きるわけです。(廃用症候群といいます)
例えば長年ステロイドを使っていれば、動きを止められた腎は衰えて、機能しなくなってきます。
子供の脳などは特に発展途上なので、小さければ小さいほど、外からの刺激に影響を受けやすい。。
この話を、英語でなく、ゲームに置き換えてみなせえ。
小さい頃からのゲーム漬けは、脳みそがそこに特化してしまうんです。
低年齢からやってる方が、よっぽどジャンキーになると、私が思う根拠です。
何度も書いてますが、長男のクラスは、彼を含めて6人しかいません。
その6人中ゲームをしていない子どもは6人中3人だったのですが、年明けに、長男を除く2人がゲームを買ってもらったようで、とうとう、クラスでゲームをしていない子どもは、うちの子だけになってしまいました。
学童はゲーム禁止だけど、となりの児童館はオッケーなので、学童仲間だった同級生2人はもう、学童へは行かず、自宅にランドセルを放り込んだらゲームを握りしめ、児童館に走って行ってお友達と一心不乱にゲームをしているそうです。
学童で突然同級生のお友達がいなくなってしまった、長男。
さすがに不憫です。
「ひとりになっちゃったね」
と言ったら、
「うん、でも、みんなひとりなんだよ」
「どういうこと?」
「だって、友達とやっているようで、ひとりでやってるんだよ。気がついたら周りはゲームしかないんだよ」
この人にはかなわないなあ、って思ったなあ。
確かに、親が子どもを孤独にしてどうすんだ。
その視点はなかったわ。
この、コミュニケーション能力を磨く大事な時期に「共通の話題を持つ」というだけに終始して、人の気持ちを考えるとか相手の気持ちを想定するとか、そういう高度な技があの電気信号を見てるだけでつくとは、やっぱり私にはどうしても思えないです。
でね、この、年明けからゲームを買ってもらった同級生二人。
最初は夢中になってやっていたんですが、半年ほど経ったころ、わりと学童に戻ってくるようになったんです。
平たく言えば、「ゲームに飽きた」。
もちろんまだ時々はやってはいるんだけど、ちゃんと他の遊びにも目を向けるようになったというか、ゲームを介する以外の時間が断然増えてきたんです。
距離を置いた付き合いができているというか。
家庭環境が複雑だったりLD(学習障害)だったり問題がないわけではない子もいるんですが、ちゃんと「本人」にアクセスする道があるんですよね。
幼いころから際限なくやっている子には、この回路がそもそもない気がする。脳みその構造自体が変化しているというか。
だから、2時間やっても3時間やっても、飽きるとか満足するとかいうことがないルーティンワークなの。
うんうんわかるわかる、特に目的のないルーティンなんだよね、テトリスハマってた時の私もそうだったよ。
自分もそうだったからわかるけど、そういう子に「いい加減やめて勉強しなさい!」と怒鳴っても、それは抑圧にしか感じないんだよね、自分で止められないくらい脳みそが傾いているから。
それでも私は「ゲームスタート遅い組」だったので、「これを最後に辞める!」と自分で決めて、押し入れに封印して、大学受験の勉強を始めましたがw遅いわww
このときはほんっとしょーもないゲームにハマっててさ、大学受かってやっと解禁~♡と取り出して再開してみたら、クッソつまらなくて3分でやめたw
ゲームってもう、それっきり。
そんな程度のもんなんですよゲームなんて~~
幼い頃の脳への影響を考えたら、人生までかけてやるもんじゃないですって。
子どもは、12歳くらいまで、体と心がつながっていないそうです。
頭でわかっていることと、体験することが、つながっていないの。
だから体験をして、繰り返し繰り返し体で学ぶ必要があるのです。
極端に言えば、例えば、「殺す」という概念と、実際に「殺す」という体験が、つながっていない。
バッタバッタと斬り倒していくような仮想現実を見続けていると、そこに体験がなければ現実とあやふやになってしまうんですよ。
だから、「うっかり同級生を刺しちゃった」とか、大人には理解を超えたことが起こる。
友達と遊んで、自然と遊んで、なんなら虫さんたちに命を犠牲にしてもらって、心と体をつなげるのも、幼少期の大事な学びです。
だからこの、最近ゲームを始めた同級生二人が戻ってきてくれて、また学童で長男と遊んでくれていることが、私にはすごくうれしくて希望が持てる出来事でした。
今日からこの子たちと長男は、富士五湖の西湖まで学童のキャンプへ行っています。
「僕ね、A君とB君(学童の同級生)と一緒に遊ぶことが、人生で一番楽しいんだ!!」
そうか、そりゃよかったねえ。
なんか天気悪そうだし、キャンプファイヤーもできなそうだけど、いいんだなきっとそういう問題じゃないんだな~楽しんできたまえ。
端的に言えば、親として子どもに
「ゲームよりもっと面白いことを思えることを提供しているか」
ということを問われていると思うんですよ。
ほっぱらかしといて、やれゲームするなテレビ観るな宿題しろじゃ、そりゃ理不尽だよね。
勉強と遊びって同じじゃないですか。
同じと捉えれば、遊びや勉強の質もおのずと変わってきます。
知り合いはひたすら魚釣りに連れてったって言ってましたけど。
うちは決して「頑なに時代に逆行しろ」という方針ではなく、抑圧せずにいかにその上を提供できるかを心掛けておりますので、
例えば、ゲームはやらせなくても、レゴを組み立てて、iPadでプログラミングして動かす、みたいなのはやらせていたりするわけです。
今のレゴは進んでおりますねえ~。
iPadはまだ早い~!と私は思っているのですが、誕生日に買ってもらっちゃったもんだから、せめて電磁波ガードかけましたわ~
食べ物にしても遊びにしても、時代はどんどん変わっていきます。
その中で、いかに生物としての本能を逸脱せず、そうありながらも子どもを抑圧せず、難しい采配が求められる時代に生きていますが。
やはり子どもは「体験がすべて」。
なんでもいいから体験してみる。
気に入ったら、反復する。
頭や視覚刺激だけのものを与えっぱなしにするのではなく、身体の感覚を伴う遊び(=勉強)に誘い出す。
そして子どもは、表面上どんなに突っ張ってても、そういう遊びを本能的に求めています。
ゲームしかやらない、って言ってる子が、うちでこんなおもちゃにドハマりしたりするんです。
↑歯車の組み合わせを考えるおもちゃ
もっといえば、人間には皮膚感覚がとても大事。
物理的に皮膚感覚を養うことは、そのまま自立へと繋がります。
幼少期に親と肌をべたべた死ぬほど触れ合った子どもは、十分に甘えの欲求が満たされて、自立できる。
ほとんどの人はその時間が絶対的に足りないので、90のじいさんでも自立できてない人がたくさんいるんだそうです。
自立させようと早くから個室を与えられて一人で寝かせられていた子ども時代を送った世代は、足りないんじゃないかなあと、まだまだ親にくっついて寝ている長男を見ると思います。
やべ、もっともっと子どもたちを食い荒らさなくてはw
ま、長男は今でも、私のパンツのレースを握りしめて寝ているんですけどね←暴露w
同じ理由で、できるだけ子どもと触れ合うこと、友達と触れ合うような遊びをすることが、大きく人生に影響を与えるのです。
友達と約束して公園へ行っても、座り込んでお互いに通信ゲームやっているようでは、どうしてもその辺の感覚をつけることが足りなくなっていきますよね。
相撲とか、して欲しいよなwガチ正装でww
この間長男が、ぽろっと
「ゲームってさ、誰かが作ったお話の中で勝手に勝った負けたって怒ったりしているんだよね、おかしいよね」
と言い放ちました。
「アンタもう、そこまでわかってればいいわ、いいからゲームしてきなよ。うちじゃ買わないけど、友達のやつやらせてもらってくれば。大丈夫、アンタはハマったりしないわ。」
「えっ!?(´⊙ω⊙`)」←こんな表情になってましたけどねw
もちろん人生は自由意志、だけど、判断できるようになってから選ばせるという「子どもという未熟な存在だからこそ必要なハンデ」も、考慮する必要があるんじゃないかなと思います。
私は、親は子のリーダーである、という思いで日々接しております。
過度に機嫌を伺ったり友達気分になったりと子どもにおもねるのでなく、かといって放置するのでなく、人生のリーダーとして、背中を見せる。
ほら、「子は親の背中を見て育つ」っていうじゃないですか。
ロクな背中じゃないかもしれないですけどね( ̄◇ ̄;)、少なくとも、鏡であることには間違いはないんですな。
「あーもーどうしてこの子はー」の先には、自分の背中が内包されているわけでw
うちの長男様は、もう、学童で出る市販のおやつや私が作るケーキすら、甘過ぎてイヤなんだそうです。
このタイミングで、今まで寝る前にどうしてもやめられなかったミルク一本から、急に卒業しました。いや、ほんとに急にスパッと(@_@)
自分の体に必要ないと判断できるようになったんでしょうな。
こういう感覚が付いてくれたことが、すごく嬉しいです。
やってて良かったなあ、「待つ育児」。
長男9歳!!
うっかりすると、誕生日ネタの連投でブログが終始してしまうマイペースのおしげでございます、おはこんばんちは、みなさまにおかれましては健康でハッピーな毎日を過ごされておりますでしょうか~。
毎年自動的に作っている、その歳の形の誕生日ケーキ。
こりゃあラクでいいやと何気に続けてきてとうとう「9」まできたわけですが。
気づいた。
来年から2ケタじゃん!!
どどどどうすんの?!鉄板2枚焼くのかこれ?!
動揺してたらお友達に、
「次男君用のパウンドケーキを10の位にしてしまえばいいのでは」
と目からウロコのアドバイスを頂くw
そうなんです、次男はまだ生クリーム的なものは解禁していないので、次男用にパウンドケーキを別口で焼いているのです〜
彼の大好きなナッツ類やドライフルーツを入れて混ぜて焼くだけなんで、簡単だから良いんですけどね?、イマイチ特別感が薄れるというか、片っぽなんでもないのにアタシの労力2倍じゃんローソクが乗ってるか乗ってないかの違いじゃねえのかとか、脳内文句小一時間。
次男はパウンドケーキは大好きですが、お兄ちゃんが違うものを食べてても、アレが欲しい!ってならない子なので本当助かります(^^;
我慢させるのでなく、本人が大好きな代替え品や代替えの楽しいこと(遊びやおもちゃ)を用意することに手を抜かないのが、異年齢をうまくさばくコツかなと。
私だって面倒だよ毎回毎回ケーキ2種類焼くとか( ゚д゚)
でも後のこと想像するともっと面倒なのが目に見えてるから、頑張る(~_~;)
子どもたちも年齢が進むと、だんだんと手が離れてきて、本当にラクになってきたなあと実感してます。
思うに、1人の子どもにかける最低時間って同じなんじゃねえの?と。
ダラダラ長々かかわるのか、キュッと集中的に関わってさっさと自立してくれるか。
小さい頃に中途半端に子育てをアウトソーシングして一時的にはラクになったように思えても、子どもが求めてるのは結局母なので、その分手が離れるのに時間がかかる。
対して長期授乳は3年ほどベッタリですが、離れた後は面倒が少なく感じます。
こっちもやり切った感があるので、後腐れがないw
どちらかというと私が、毎日子どもらの顔にベタベタチューチュー吸い付いてるw、その辺は親の権利というより嗜好品かしらねww
余分な毛が生えるまでの、今だけの嗜好品〜
おかげさまで子育てで悩むことはほぼないので、毎日全力で好きなことをやらせて頂いております♡感謝♡
私が、中国医学医師の国際免許を目指して勉強を始めて、そろそろ3年ほどになります。
難しいんだよ、弁証論治がよ(~_~;)
でも、すごく面白いです。
私が中国医学に興味を持ち始めたのは、長男1歳半の頃。生理が再開しておっぱいの量が減り、西原式育児の完遂が危ぶまれたころに偶然出会いました。(まあ世の中偶然はないと言いますがね)
それまでおっぱいトラブルで平均3日に1回ほど助産院に通い、カルテが電話帳のようと要らん伝説を打ち立てていた私ですが、おっぱいの詰まりをマッサージで物理的に取るというよりは全身の気血を流すことで、私の不具合は劇的に改善し、無事母乳育児を継続することができました。
私にとって中医学は、西原式医学と少しも矛盾するものではありません。
むしろ、西原式育児を完遂するために必要なものが中医学だ、という位置付けです。
だからこそ、この古くて新しい医学に真実を感じ、学んでみたいという意欲に駆られました。
そこに、私独特の、私にしか思いつかないであろうニッチな領域があります。
例えばミルク。
西原式育児では、ミルク育児を大推奨しています。
ミルクを否定する育児は自然派育児では普通にありますが、西原式育児ではむしろ腐った母乳よりはミルクの方がよっぽどマシ、と結論づけます。(そこ時々誤解している人がいるのよね、西原は母乳だけで3歳まで育てろなんて誰も一言も言ってませんよー!ちゃんと読んでー!!)
しかし中医学では、その「腐った母乳」をなんとかする術があります。
産後の母の体力を上げてやりながら、ミルク育児の中でも無理なく母乳を併用するところまで持っていくことも(人によっては)できます。
そして、離乳食の開始時期を無理なく延ばす方法として、「ミルクキューブを齧らせる」という邪道を思いついた私ですがw、今ではかえってキューブで良かったと思っています。
母乳とミルクは似て否なるもの。
母乳は液体ですが、その水分は「母親の気血そのもの」で、ただの水では決してありません。
気血そのものだからこそ子のエネルギーとなり得るのであり、母乳の「水分」は子どもの消化の負担には決してなりません。
しかし、ミルクの水分はただの水なので、内臓(特に腎膀胱)がまだ未発達な子どもには、大量の水分は消化に負担です。(いわゆるミルクデブってやつですね)
だから、水分のない「ミルク成分」を母乳や通常のミルクの補填として食べさせるのは、腎に負担のかからない最善の方法だったんじゃないかなと。
例えば、冷え。
西原式医学では、冷えることは絶対に絶対にNG行為です。
身体を冷やすような行為はもちろん、冷たいものを食べることも飲むことも違法ですw
さて皆さん。
6月に入り、世間はプール開きのシーズンですね( ̄∇ ̄)
幼稚園や保育園、こども園や支援センターまで、日本はどこでも子どもを水に浸けたがります。
それでなくても「湿」が溜まる梅雨のシーズン、脾に負担がかかるというのに、途端に汗疹や湿疹や、下手すると発熱に悩んでいませんか?
次男の園でも、6月に入った早々にプール開き、大して気温も上がってないのに子どもたちは大喜びで水に飛び込みました(T ^ T)
確かに子どもは水が好きですがねー、自然派はこういうところがね……
案の定、次男様、
「背中がかゆい!!」
と泣き出した次の日の朝。
うわーーー!出たーーー!
やっぱ膀胱経に入ったじゃん!!( ;∀;)(背中には背骨に沿って、冷えが一番入る膀胱の経絡が貫いています)
本人に聞いたら、
「プールも冷たいけど、その前のシャワーがびっくりするほど冷たいんだよ!」と!
なんだと、この寒空に冷水シャワー浴びせてんのかー!年寄りの冷や水じゃないんだからさ大人は自分だって冷たいシャワーは浴びんだろーが?!!(体力的には年寄りも幼児も似たようなものです)
ちょっとしたパニックに陥り、連絡帳やプールカードに「冷水シャワーはかけないでください!」と書きまくる私w
↑何書いてあるかわからないテンパりっぷりのプールカードw
「せっかく(小麦)アレルギーが収まったものが、再発する恐れがあります!」
と、話を盛りまくる盛りまくるww
いやその、小麦アレルギーは偽装ですけどね…小麦アレルギーになる前の予防ということで…
……で、冷静になってみたら。
「……あ、そうか。衛気を養えばいいのか(°_°)」
と、思いつく。
衛気とはなんぞや?
人間の身体の外には、バリアのように身体を守る気の層があります。
これがしっかり厚いと、外邪(ウイルスや寒さや気候の変化)に強くなります。
私は度々紹介していますが、柔らかいタワシで身体をこすると、この衛気を養うのに効果絶大なのです。
サトオさん
私もサトオさんに働いてもらうのは、寒邪のシーズンの冬ばかりと思っていましたが、そうか、微妙なシーズンのプールや夏場のエアコン対策にも使えるよね!?と思い立ち、早速サトオさんで子どもらの身体をゴシゴシやっております。
今のとこは雨ばかりでその後のプールの機会がなく、うちの息子への効果のほどはまだわかりませんが、サロンにきたお客さんのお嬢さんが汗疹が酷いということで勧めたところ、一度でほぼ汗疹が引き、体温も上がったそうです!
やっぱサトオさんいいオトコ!仕事できるわーーー(//∇//)
ここまで子どもを冷やさないように冷やさないように育ててきて、一度のプールで汗疹大発生でガッカリ感半端なく、それでも子どもは水が大好きでお友達と楽しそうに入ってる姿を見ると、自分の子だけ我慢させるのは西原先生に怒られたとしても忍びない。
そんな時!「どうして冷やすのはダメなのか」「どうして冷やすと皮膚が痒くなるのか」を知っていると、健康も楽しさもどちらもあきらめることなく、子どもに我慢を強いることもないこのような折衷案が、ふっと思いつくわけですよ〜
例えば、靴下。
西原式育児では、靴下を脱ぐことも厳禁です。
↑こんな時でも靴下は脱がない次男w
世間では相変わらず裸足育児が全盛で、支援センターやら保育園やら、靴下を履いていると猛タックルで即脱がされるとか。
なんでも赤ちゃんは足の裏で温度を調整しているそうで、赤ちゃんの足は冷たいほど良いのだとかw
これ良く聞くけど、誰が言い出したんだろうね??
むしろ、
「足の裏から体温調節はどうやってしてるんですか?」
って聞いてみたら、100%誰も答えられないでしょうね。
確かに足裏の湧泉というツボからは熱は吹き出すんですが、それは内熱(=内臓の熱)が高いからで、だから裸足にしたらいいかというと、余計に内熱を上げてしまうんですよ。
中医学的に陰虚という体質の人(体が冷えて血や気が足りない状態)は手足裏だけがむくんだように熱くて、タイルとか乗ったり触ったりしたがるんですが、それと全く同じ状態。
そういう人や子どもは、靴下を履けといっても足の裏が熱くて履けないのです。
つまり体温調節論が腑に落ちる支援センター員は、ご自分も陰虚なんでしょうな。
ちなみに陰虚という状態は、内臓の力が弱っている状態なので、「赤ちゃんの足は冷たいほど」不健康に育ちます。
つまり、ぐずり、泣き、イヤイヤ、多動、それら育てにくさの全てです。
そしてそれは、一生の健康に影響します。
まさに西原先生の言う、
「赤ちゃんを冷たく育ててはいけません」
は、中医学的に証明されるのです。
中医学では、冷えは腎に入るといい、腎は全ての臓器の中でも最終の臓器です。
腎が悪くなれば心(臓)が止まります。
逆に、腎を上げてあげれば、全ての臓器は上がっていきます。
まさに、
「冷えは万病の元」。
身体さえ温めれば細胞のミトコンドリアが活発になって全ての病気は治る、と主張する西原医学と全く同じです。
赤ちゃんを冷たく育てるなんて、「愚の骨頂」であり、赤ちゃんを健康に育てるには温かくすることが全てに優先するのです。
逆に、西原先生がこうおっしゃっているのに、
「うちの子靴下を履いてくれないの」
と自分や子どもにバツをしたり、無理やり履かせようと抑圧したりする前に、こういう身体の仕組みを知っていれば、靴下を履いてくれるためにはどうしたら良いか?という視点から考えることができます。
つまり、中医学を知ることにより、無理なく西原式育児を実践する方法を考えることができると思ってます。
こんなことを言われている人もいました。
靴下を履いていると「内反小趾」になるからやめなさいと。
今、子どもの内反小趾が激増しているのだそうです。
はい、ではお聞きしたいです。
その、激増している内反小趾の子どもたちは皆、靴下を履いているのですか?
いないですね?
むしろね、足の小指は腎膀胱経絡の場所で、そこが内側に歪んでいるということは、腎膀胱が悪いということ。
つまり、冷えているんですよ。
やっぱりなんだかんだで、原因は冷え。
冷えている子どもの内反小趾を治そうと靴下を脱がせることが、どれほど愚かかわかりますね?
あのね、足は、チョコレートの型じゃないんだから、靴やら靴下でなんとかするとかいうものじゃないんです。
靴に高いお金払わなくても、しっかり温めて死ぬほどハイハイさせれば、足の形対策はそれでオッケーなのです。
内臓の状態は全て足に出るから、結局健康に育てることが、足の形を良くすることで、決してチョコレートを型に流し込むことではないんです。
そういうのを対症療法って言うんだわ。
そりゃね、極端に合わないとか小さいとか、そういうのは変形しますよ、それは論外でしょ。
西原先生は、赤ちゃんを温めなさい、ハイハイをしっかりさせなさい、と口を酸っぱくしておっしゃいます。
体幹鍛える=内臓も丈夫になる=足の形もキレイになる。
子育てにショートカットコースはなく、生物の進化の過程をきちんと踏むことが、健康で丈夫な身体に育てるコツなのだと、先生はおっしゃっているのですよ。
このように、生物の進化にちゃんと沿っていて、我が子の「フラット」な状態を知っていれば、この時期に湿疹が出てきて急に靴下やスパッツを脱ぎたがり、グズグズし出し急に抱っこ魔になり明らかに様子がおかしくなっても、それは「外的な要因から来ている」ということがわかるので、自分の「子育ての失敗」だなんて思わなくて済むのです。
そんな報告がFBに上がってきたりすると、「うちも」「うちも」「うちもだー」と、「季節的なもの」の裏付けが取れたりして面白いです。
だいたい日本人皆「脾虚(脾臓が弱い)」と言いますが、この梅雨のある気候も大きく関係しているでしょうね。
湿(気)に弱いのが、脾ですから。
そんな日本人に、生魚や生野菜など薬膳的に脾を痛めると言われている食材は、どんなにマクロに栄養素が〜酵素が〜言ってても、厳禁ですよね。
ほら、「生は食べてはいけない」と言われる西原先生と、ここでも合致する。
週末にやっすい回転寿司に家族連れの行列ができていると、心が痛くなりますな。せめて子どもには生魚食わせんのやめようよ……
ちなみに、子どもで湿系の湿疹が出たら、食べ物を離乳食初期くらいに戻してやると、スッと引くことがとても多いですよ。
ミルクとかおかゆとかミルク粥とか。
脾に負担がかかっているということは、消化能力を超えているということです。
だから誰でも消化できるような、ミルクとかミルク粥にしてやると、未消化毒を皮膚から出さなくてウンコとしてお尻から出せるので、湿疹が引くのです。
ここでもやっぱり、西原式育児の正確さが光ります。
長男を産む随分前から西原式医学に出会って、今長男9歳。
私の中での情報の蓄積とプロファイルは、ここまできました。
確かに私は何の資格もないただのおばさんですが(がんばってるけどね、弁証論治が…←まだ言ってる)、私にしか見えない思いつかない領域もあります。
日々勉強と実践を重ね、まず私と私の周りを幸せにしていきたいな、と思ってます。
まず自分、刺身の誘惑に勝とうか(つД`)
こないだやっちゃったのよね、梅雨だってのに朝獲れカツオ大セールにハマってカツオ一冊食い…めっちゃ消化止まって眼底出血まで行った…( ;∀;)土克木(脾が肝を克する)…ああ誘惑が……たまにこういうわけわかんないことすんのよね私……
そうそう、次男のプール問題その後。
担任の先生との個人面談に持ち込み、理解して頂きましたー。
「わかるよ、小麦アレルギーの子って走ると湿疹出たりするじゃない」
まあその仕組みは置いといて。
ホースに溜まってる温かい一番シャワーをなるべく使うとか、足だけにするとか、風の強い日は寒いので気温が高くても園でもプールは考慮するとか、「子どもにとって何が一番良いのか」を一生懸命考えてくださってました。
有り難い〜(T ^ T)
この勢いで園長に、子どもの長袖服装について突撃する算段をつけてますが、何せ園長は回遊魚なんで(止まると死ぬ)、捕まらなくて捕まらなくて実現してない…
でもやっぱり、プールに入れないと我慢しているのは可哀想、と言われると、親としては揺らぐなーーーー頼むわサトオさん!!
もう一人息子がいますが。
長男の個人面談は、1人持ち時間30分のところ1時間半もぶっちぎりで担任と盛り上がり、副校長先生が「働き過ぎ改革〜」とたしなめに来られましたw
こちらも寒い日のプール問題とか、エアコンはなるべく入れて欲しくないとか、給食はゆっくり噛んで食べさせてほしいとか、うちの息子には無理難題ふっかけろとか、さらには先生自身の健康や最近アキレス腱をぶっち切りした他の先生の食生活占いまで、まー言いたいこと言う言うw
人生、願えば叶う♡
次男5歳!~5年前は私も産道を使ってましたw~
こんにちはです。
バタバタとしていたら、うっかり子どもたちが小学3年生と年中さんになってしまい。
さらにうっかりしていたら、次男が5歳の誕生日を迎えてしまいました。
米粉と、レーズンとカシューナッツをテキトーにぶっこんだ誕生日パウンドケーキ。
に、次男チョイスのデカデカろうそくをこれでもかとぶっ刺すw
こんなテキトーでも、喜んで半分以上ペロリと食べてくれます。
食べてくれる子って神だ(´;ω;`)
長男だったら絶対食べてくれない。なんなら今でもあまりフォークが進まない。
なんなら遠足や運動会など長男の弁当を作る機会があると、次男の何倍もキンチョーします…要求の多い長男と、何詰めてもキレイに完食してくる次男の違いだ。
誕生日プレゼントは、クソでっかいミニ四駆セット。
付いてるプラモは当然長男が作るので、ダレ向けかイマイチ不透明な品ですが、そんなことより、
次男のハートをわしづかみにした、「ポップコーンマシーン」。
この顔です。
この顔w
まるで打ち出の小づちを眺めているかのようw
至福の笑顔でボール1杯キレイに完食します。
「え~ポップコーンマシーン?(・Д・)」
と最初は私も思ったんだけど、コーンをちゃんと良いやつチョイスして、海塩かなんかをかければ、ヘルシーで話題性のある、子どもウケするおやつがお手軽に作れるわけですよ、しかもロープライスで!
これはいいですわ、ダンナのナイスチョイスプレゼント!
一家に一台ポップコーンマシーンだね、おススメ♡
このあとは、ばあばも連れて、とうふ屋うかいでお食事。
コース料理イッパツ目でごま豆腐が出て、本気で涙目になる長男。
「ねえ、頼んでないんだけど。これだけ?これだけなの?」
コース料理の意味を全く理解していない庶民な我が子があまりに面白すぎて、
「そうね、これだけかもね?」
とちょっと意地悪してみましたw
そんな長男をしり目に、長男の分までごま豆腐を完食する次男。
同じ腹から出してここまで違うのか~と、今さらながら思います。
まあ、長男は、ワクチン薬害からくる味覚過敏があったのかなともちょっと想像してますが。
次男5歳のスペックは。
身長・多分100センチくらい。
体重・多分16キロくらい。
テキトーですみません。身体的心配がないので、追跡する気が起きないんですわ(;´Д`)
ほんとーーに体調を壊さないので、助かっております。
この冬1度だけ、38度の熱を出しましたが、半日で下がりました。
その時サロンに入っていた予約が2件飛んだ時、子どもが体調壊さない前提のスケジュールがずっと当たり前で、そのありがたさに無感覚だったなあ、と気づいたわけですよ。ありがとう神様とかお子様とか(´;ω;`)
良く食べますが、食べた分はきちんと消化して身になっているようで、きゅっと締まった、巡りの良い体をしています。ブラウンファットは消え失せたわ。
でもこの人にとってはまだまだ、お肉とアブラは負担になるようなので、制限しています。
そうするとね、長男は肉食で、次男はあまり肉を食べさせない料理で、更に大人用と、ヘタすると3人3様の食事を作る日があったりして、こんなに作ってんのに私がなぜかジャンクになったりとかなんか理不尽な展開も…
でもここに配慮しての今の生活ペースがあるわけだから、ここは手を抜かないんだ~
気になるおっぱいですが。
絶賛フェードアウト中です。
本当に5歳で選手交代。
あんなにおっぱい星人だったから、これちゃんと卒乳できるのか?と不安だったんですけど、吸うのが毎日でなくなり、3日に1度になり、1週間あき、1ヵ月ぶりに吸い、と…。
考えてみれば、
「はいこの日からきっちりおしまい!」
て、なんて乱暴で大人勝手なのかしら、と思ってしまう。
おっぱいは今まで命の源だったんですよ、そんな急に今日から固形物だけにしなさいって、お腹だって対応できないですよね。
「断乳」という考えを無意識に刷り込まれていたなあと、長男の時はコレをやったので、「ボクはあのときとても悲しかった」といまだに恨まれているのです。
そしていまだに寝る前のミルク1本を欠かさないっていうw次男はとっくに興味ないのに、うちのミルク缶購入は8歳のために続いているww
余計な事をしないで子どもの本能に任せていれば、腸が整うタイミングでちゃんと自分から卒業していくんですね。それが必要なくなれば。
逆にまだまだ足りないのに無理やりやめさせれば、抑圧になったり依存になったり、どこか体に不具合として出たりするんでしょう。
長男の時は私も初めての育児で経験不足でしたしね。仕方ない運命と思って受け入れろ長男w
5歳といえば、待ちに待った腸の節目です。
七五三という行事がありますが、これは死なずに無事にこの歳を迎えられたという、昔ながらの結構ガチなお祝い。
つまり、7歳と5歳と3歳に、腸の発達の節目がありますよ、ということ。
5歳にもなれば、腸もある程度育ってきているのでリーキーガットになりづらい、この歳まではアレルゲンの高い食べ物(小麦や乳など)は避けた方がトラブルになりづらいよ、ということらしいです。
実際長男は、5歳になるまで、ほんとーに食べない子だった。
5歳過ぎていきなり、幼稚園ママが作ったシフォンケーキを食べたときは、涙ながらに感動したものですわ。(今思うと、別に食べなくてもそこまで悩むことはなかったんだけどね…)
次男は長男と違って食べる子なので、逆に色々制限をかけています。
パンも、米粉ならいいんじゃないかと頭をよぎりましたが、一度解禁すると、出てきたパンが米粉由来だろうが小麦粉由来だろうが本人には関係がなく、これは良いけどこれは良くない、という事態になると無駄に混乱させてしまうので、食べさせないできました。
でもね、そこまで神経質にならなくても、味を知ってしまったからといって、「どうしてもそれが食べたい!!」という愚図りには一度も遭遇していないんです。
これはやめておこうね、これは半分だけにしておこうね、というと、きっちり半分残したりします。
自制が効くし、「おなかが満たされている子」は、そこに執着したりしないんだなあと思います。
今年のゴールデンウイークの大型連休で、長男はお姑さん宅に、次男は私の母宅に、それぞれ奉公に出しましたw
出す前は両家とも散々メールをやりとりしたものなのに、孫が到着したら一切音信不通w
親がなくともそれぞれに満喫しておられるようです。なんでもいいけどいつ帰ってくるんだお前ら( ゚д゚)
学校と幼稚園始まるまでには返してね?とババ共にメールしてみたら、お習い事ぶっちぎり日程でギリギリまで権利を主張されたわ~(*_*)
孫パワーって絶大!ババ共がめっちゃ若返っている!
孝行ができてようござんした。
私もやっとここで今までの苦労(どこでもおっぱいとかねw)が報われたというか、座るがままに食うは家康というか(意味不明)、8年ぶりに子どもがいない家を満喫しております。
あのね、子どもがいないと洗濯物が激減するのよ!衝撃!!
でも子どもがいないと、普段食べないスイーツをやたら解禁したりして体調下げたりね、あっという間に生活リズムが乱れたりね、子どもはいた方がいいやね、うん(._.)
普通、80歳近くの老人に子どもを預けると、「孫は可愛いけど体力が限界」に付き早々にご返品されるのがセオリーだと思うのですが、うちの子どもたちは愚図ることも無理を言うこともすることもないので、まるでペットのようにかわいがられます。
危ないこともしないので、老体で追いかけなくてもすむしね。
私も子ども2人連れてどこに預けるでもなく仕事も家事も学校も幼稚園もこなしておりますが、何も困ることも我慢することもありません。
邪のない子どもは、本当に周りを幸せにしてくれます。子ども本来の姿ですから。
世の中どうやら自己啓発的なものが全盛で、
「好きなことだけしよう!」
が大流行りですね。
ハッピーちゃんとか?
もちろんそれも良いと思うのですが、意味を取り違えるとただの「対症療法」に陥りがちなんじゃないかなと。
嫌なことを我慢しない!といくら宣言しても、「変わらない」現実は歴然としてある。
子どもが愚図るとか、イヤイヤとか、なにかしようとしてもすぐ病気したり、ヘタすると入院したり。
何を自由にしようとしても「子ども」という「負担」が重くのしかかる。
ああ女は損だ、どうしてもそう感じてしまう。
そういうことを見ないふりしてフタをしても、ことに対子どもに対しては問題が残ると思うんです。子どもはナマモノだからね。
我慢しないことを無理に我慢してやっても、自分のメンヘラを子どもに受け継がせちゃうだけ。
どんなに見方や考え方を変えても、「現実」を変えない限り、それは逃げだからね、追いかけてくる。
子育てをアウトソーシングしちゃう前に一度、腹を据えて、子どもの不快を取り除いてやることをやったらいいと思うんです。
まず子どもに体を冷やす格好を絶対にさせない、冷たいものを徹底して飲食させない、アイスクリームも氷入りのジュースも飲ませない、砂糖や小麦粉乳製品たっぷりの食生活を見直す、添加物だらけの市販のおやつを見直す、etc。
だいたい3週間~1か月くらい踏ん張れば、「邪」が抜けてきます。
そうやって子ども本来のポテンシャルを引き出してやるんです。
アレですよ?超オーガニックでマクロビな「アイスクリーム」とか、本末転倒ですからね?だったらコンビニで井村屋のアンマンの方がまだマシよ?
みんなが食べてるのに、食べたいモノ我慢させるなんてかわいそうと思いますか?
そりゃ最初は泣くでしょうけど、本当の優しさってなんでしょう?
冷たいものや砂糖や添加物は麻薬みたいなものですからね、ジャンキーが中毒で薬くれ~って言ってるのを与えないなんてかわいそう、って思います?
ジャンキーに際限なく薬を与える人が優しい人ですか?
可哀想だからって、じじばばならこっそり麻薬をあげても許されるんですか?
ジャンキーにどんどん薬与えてて、暴れて困るんですって言ってたら、そりゃお母さんから更生しなさいって思いますよね。
子どもを本来の姿に戻してやると、見える世界が全然違ってきます。
親にも子にも、本当の「我慢しなくてよい」境地が訪れます。
想像してみて、大好きな子どもといつでもどこでも一緒に、好きなことをして好きなことを創っていける世界。
撹乱している状態での「要求」は、本来満たされたい要求ではないのです。
本当の要求は、「身体の不快を取ってほしい」ことなのです。
そこをクリアして初めて、本当の子どもの声を聴くことができます。
不快を取り除いた後の彼らの欲求には、我が家はほぼ全て応えています。(ゲームテレビを除く( ゚д゚))
だからイヤイヤもないし、自己主張も満たされているから、落ち着いている。
大人しかったり駄菓子を与えなかったりしてると、よく、「我慢させてる」とか「抑圧している」とか言われますが(新しい学童の指導員に転任1発目で言われたw)、うちの子どもたちに抑圧がほぼないのは量子力学的にも確認済みです。
長男はちょっとあるかな、私もはじめての子育てだったし、学校とか関わる世界がまた違ってるからね。
撹乱してなければ、それも含めて自分の人生自分でどうするか、の判断ができますから。
親というバックアップに全面的信頼があれば、何かあっても「自分で解決してこい」で、送り出せる。
そもそも自制が効いていて危ないことや人を傷つけることなんてしないから、こちらも信頼からのスタートができる。
そして、こちらも親以前の人間としての生存権を主張できます。そもそも無体な要求はしてこないんだけどね。
アイスクリームをダメということと、あれしちゃダメだこれしちゃダメだあれしなさいこれしなさいと始終怒鳴り散らすのと、どっちが抑圧になるでしょうか。
長男同級生ママの、「10連休怒鳴りすぎて声が出ない…もう無理だから誰か遊んでやって〜」という魂の叫びLINEが辛すぎて( ;∀;)←弟君が大暴れ系で、リアルに包丁振り回すそうな…
子どもと一緒に人生を謳歌するのが、人間本来の姿なんじゃないかしら。
みんなが子どもと好きなことができたら、社会は間違いなく変わります。まず子どもが社会から隔離されなくなる。低年齢からの保育園も要らなくなる。
子育てにおいて我慢しなくてはならないということは、それは本来の姿を引き出していないということ。
子どもはお母さんを困らせようなんて思っていないんです。「何か」のおかげで、自制が効かなくなってるだけなんです。
「お母さんお仕事大変ですよね、うちのコンビニ飯でもカップめんでも利用してくださいね」
というのは、巧妙なプロパガンダで、お母さんを労わっているようで家族を犠牲にし経済奴隷にさせる、負のループにハメる罠です。
生物として本来優先するべきことはなにか。
そこに立ち返ると、本当の幸せも近くなるんじゃないかなあって思います。
思えばずいぶん長いことブログを続けております。
きわめてニッチな「西原式育児」という分野で、実践してみたいけど情報がなくてためらっている、という人に少しでも情報が提供できれば、という、下心何一つなく始めたこのブログ、アップの頻度は最低レベルですが(;´Д`)、「このブログのおかげでここまでこれました」と言って頂けることが、最近しばしば出てきました。
冥利に尽きます(´;ω;`)
ほとんどは自分のために書いているようなものですが、このブログのおかげで自分の考えもまとまるし、ここから広がった世界は私にとって、本当に無限で貴重です。
これからもどうぞよろしくお願いします。
とシメたところで、またまた新作youtubeですw
冷えが如何に体に影響するかを、ねちねちと語っておりますww
よろしかったらご笑納♡
https://youtu.be/mvlTpB4F1nc
出すとか、出さないとか。その2
どーも。
ど珍しくブログを連投しているおしげです♡
こいつぁ新春から景気がいいや~
←まず新春の出だしが旧暦ってかw
ただの、一回分のネタを分割する節約根性ww
出すとか出さないとか、その2。
ここからは陰謀論とか量子力学とかのかなりディープな話になります。
引き返すなら今です、今。
この先の読後は責任持ちません。いや今までも責任なんて取ってないですがw
私は、「そえる堂」
というサロンをやっておりまして。
ふとしたキッカケから、あるホメオパスさんとお知り合いになり、私のサロン主催でホメオパシーの基本講座を開講する運びとなりました。
以前から、「中医学」という視点から見たらどうなんだろうと興味があり、学んでみたいなあと思っていたところに、あれよあれよと言う間にまるで見えない力にお膳立てされたように実現してしまいました。
最初は一人でどこかに通って勉強しようと思っていたのにね、まさか自分が主催することになるとは~
「中医学の視点から」なんてカッコいいこと言いましたが、ウソです、懺悔しますw
私が興味を持ったのは、「ホメオパシーは水銀やアルミをデトックスできるらしい」という話を聞いたから。
水銀?
アルミ?
何言ってんの?
環境ガーとか吠えてるやつ?
と思われる方もたくさんいらっしゃるでしょうが、実は大変に深刻な問題であり、これが「ワクチンを打ってはいけない」大きな理由なのです。
すべてのワクチンには、水銀やアルミ、ホルムアルデヒドなどが入っており、これが脳に溜まることによって、水俣病様の症状を引き起こします。
生まれたばかりの赤ん坊へのワクチン乱用が、昨今の世界中での発達障害児激増の真相なのです。
「支援の輪が広がった」とかウソ言っちゃいけませんw
例えばインフルエンザワクチンは、こういうことです。
ワクチンとは、魔法の薬じゃないですよね。
では、どんな方法で「効かせている」と思いますか?
まず、インフルエンザならインフルエンザのウイルスそのものを、直接体に打ち込みます。
打ち込んでもそのままでは健康な体にウイルスが留まってくれませんから、体の免疫を「意図的に」下げます。
この「体の免疫を下げる」ために使われているのが、水銀やアルミなど、「アジュバンド」と呼ばれる成分です。
皮膚から取り入れた水銀やアルミは、お尻から出ていくことなく脳に溜まり、脳にウイルスが入るのをブロックする大変に重要な部門「血液脳関門」を破壊してしまうのです。
水俣病と全く同じです。
こうやってワクチンを接種した幼い子どもの脳には水銀が溜まり、血液関門の破壊によって脳みそがウイルスだらけになり、脳の発達を滞らせます。
子どもが高熱を出した後に成長するように見えるのは、この脳に溜まったウイルスなどが熱で一掃されるから、です。(八王子中央診療所・山田先生談)
体温40度ではガン細胞すら死滅するのですから、定期的な発熱はお炊き上げの絶好のチャンスなんですね。
ちなみに脳の血液関門は、3歳ごろまで開きっぱなしです。
早期離乳食などで消化できないばい菌が体中をめぐると、やはりこの血液関門から脳にばい菌が入り込み、発達を遅らせるイチ原因になり得ます。
特にインフルエンザワクチンは、打つと、ワクチンにより体に入れたウイルスが、呼気(吐く息)から放出され、周囲への感染源になります。
ワクチン接種者の呼気からは、未接種者の6倍のウイルスを放出しているという、きちんとしたデータがあります。
そしてそれは、飛沫感染などではなく、「ただ息をしているだけで」放出されます。
マスクうがい手洗いすべて、無駄ですね。
良かれと思ってインフルエンザワクチンを接種した人が、実はウイルスをばら撒く感染源になっている、という衝撃の事実がここにあります。
どうりで、国内でインフルエンザワクチン接種者が5000万人を超えていても、罹患者が増え続けるわけですね。
そしてさらに問題は、このワクチンは毎年毎年繰り返し打ち続けるということで、銀やアルミを脳に追加投入していること。
お年寄りに認知症が激増している要因でもあります。
昔はね、お年寄りは賢者になったものなんですけどね、今や認知症が当たり前。
これだけの人間の変化を、おかしいと思わない方がおかしい。
幼いころにワクチンを接種したり薬を乱用したりしていない人は、ものすごくポテンシャルが高い、と思います。(昔の日本人ですね)
須崎動物病院〜薬に頼らないで体質改善(原因療法・手作り食・サプリメント・電話相談・診療)〜
という、もう10年以上前から知ってる近所の動物病院があるのですが、ここの院長は体力も意欲も考え方の柔軟性もハンパないです。
何度か講習会にお邪魔したことがあるのですが、お母様の方針なのかご本人はワクチンを一本も打っていないらしいのです。(もちろん今も薬になんて頼ってない)
私はここの院長と同い年ですがワクチンは打っていますから(インフルエンザなんて小学校の時鉄砲注射で針回し打ちだったんだぜえ、今じゃ考えられねえズラ~)、この年代では貴重な存在だし、これが彼のあふれる体力の秘訣なんじゃないかなと、思います。直感ですが。
で、なんでこんな話をするかというと。
うちの長男は、常々脾臓が弱い?と感じていました。
一応中医学を勉強しているのでね、この人の症状は肺でなく脾臓だろうとアタリが付いているわけです。
同じように育てた次男は、少なくとも臓器には何も問題ないように思うので、両者の違いは薬剤としか考えられなくて。
次男は、検診のネタで「麻疹ワクチン」1本しか打っていないのに対し(それもどうなんだろうと思うんですがw)、長男は1歳になるまでの最低限の定期接種は受けています。
いくら西原で育てているとはいえ、打っている以上はうちの子だってもれなく水銀の害はあるだろうし、もしかしたら何をしても弱い脾臓の原因はここかしらと、ホメオパシーを知った時は、ここはしっかり向き合って「デトックス」してやろうかと思いまして。
中医学ではそういう方法はないので、そこはホメオパシーで補えるのではないかなと期待をしました。
ホメオパシーとは何ぞや?
現代医学をアロパシー(逆症療法)というのに対し、ホメオパシーは「同種療法」と訳されます。
例えば、現代医学では熱を出したら、熱を抑える薬剤を投与して熱を下げようとするのですが、ホメオパシーでは逆に熱を出すレメディ(薬のような役割のもの)を摂って、熱を出し切って治そうとします。
レメディとは、ある物質を極限まで薄めて振動を与えたものを小さな砂糖つぶに染み込ませたもので、どれだけ分析しても成分的には出てきません。
つまり、「量子力学」や、「波動医学」の範囲にあります。
レメディの対応範囲は幅広く、日常の発熱や咳の対応から、水銀やインフルエンザ、放射能までほぼ無限にあります。
ところで、ちょっとこちらのリンクをご覧ください。
ワクチンのデトックスで鼻からすごいものが・・・・。(片上敦子 40歳) | 日本ホメオパシーセンター練馬平和台
さあ、これ読んだら、子どものためとはいえさすがに勇気が出ないというか、レメディを摂る気なくしますよね?(´;ω;`)ウッ…
私もさすがに子どもへの使用はその気をなくしたのですが、自分ならまあ、良いかと思ってね、私も子どもの頃散々ワクチン打ってるしね?、モノは試しにと対応チンクチャーを服用してみました。
何も起きません。
普段の行いが良くてとっくに出て行ってくれてるのか、おばちゃんは水銀とのたれ死ねと言われているのかw
なーんだ、なんも起きないじゃん、じゃあ、次男だったら1種類しか打ってないし、見たところ何もワクチンの影響はないみたいだし、飲ませてみようかな~っと、やや油断した気持ちでチンクチャーをボトル水に溶かして飲ませ始めました。
前の日の夜に飲ませ始めて、次の日の午後3時ごろ。
出かけようとしたら、「痒い!!」と泣き崩れる次男。
なんだなんだどうした?と服をめくってみたら、
きゃあああああああ!!
きっちり、胆経に出ております!!!
しかし5分、10分で消え、また場所を変えては出る、を繰り返す。
「気持ち悪い…!」と嘔吐2回。でもすぐ良くなる。
次の日は、顔がパンパン。
鼻が埋まってるw、目が埋まってるww
右が腫れたと思ったら消えて、すぐ左が腫れて。
3日くらい全身を大陸移動のように漂流した後この症状は消え、5日目くらいに5ccくらい赤い鼻血とどす黒い鼻血を出して、通常モードに戻りました。
その後1か月飲み続けてもこれ以上は何も出ないので、それがいいのかよくないのかわからないけどとりあえず飲むのは終了しました。
こういうのをじんましんというのか?子どもも私も出したことがなくて見たことがないからわからないんだけど、飲み続けながらも収まっていき、その後症状は二度と出ないから、アレルギー反応等ではないと思われます。
驚いたのは、経絡の正確さ。これほどきっちり経絡上に出るなんて!
胆経絡は、肝経絡と表裏で、肝臓は毒を出す臓器。確かに「なにがしか」をデトックスしたのでしょう。
これをやったあと次男の様子が何か変わったかと言われたら、元々落ち着いた子ではありましたが、さらに落ち着いたと思います。
つまりこれが、この人の平常運転だったのですね、今まで水銀と共生させてて申し訳なかったわ~~(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
しかし申し訳ないとは思うものの、長男に飲ませる勇気が出ない。
そこで長男は「量子医学」のプロにお願いしてみました。つまりオカルトです。そしてこの情報はこれ以上はシークレット案件です。
医薬添付文書を手に入れ、何が入っているか全部調べ上げて。
まああ、出てくるわ出てくるわ(´;ω;`)、全ての臓器がまんべんなくワクチンに攻撃されている。
特に脾臓!脾臓を攻撃されていました。私の見立て通りだ。うれしくねぇ~~( ´Д`)y━・~~
もちろん脳みそに水銀ちゃんもきっちり棲んでおりましたことよ(´;ω;`)
施術してくださった人はワクチンのデトックスは初めてだったそうですが(こんなこと依頼してくる頭オカシイ人は私くらいだw)、思ったよりものすごく深く影響していたそうです。
ついでに次男も診てもらったのですが、こちらはホメオパシーで本当にデトックスされていたようで、残りは簡単に取れたそうです(つまり全部は取り切れていない)。
オカルトなのでね、マユツバと言われればそれまでですが、じゃあそのあとなんか変化あったの?というと。
次の日の夜、長男が突然言いました。
「ボクはね、今日から突然変わったんだよ。」
「へえ、何が変わったの?」(←プラシーボを避けるため、本人に詳細は一切知らせていない)
「あのね、走るのが急に、速くなった。」
「へえ~」
「あとね、………、部屋がきれいになった。」
もちろん、掃除なんてしていませんw
本人も自分の言葉の不自然さに、こないだボクが片付けたからねと後付けしていましたが、多分本人の頭から、わちゃっとしたものが整理されたのでしょう。見え方なんて個々の主観だから、親とはいえわからないもんね。
五臓をまんべんなくやられていたのを戻したのですが、気血が流れ始め活動が正常化し変化が目に見えるのは、細胞が入れ替わる数か月先ではあるでしょうけども、明らかに体調が根本的に底上げされた感があります。
まず肺の症状が落ち着きました。
肺は五臓の中では一番初めに症状を出し、治るのも肺から治っていきます。
これを今まで放っておいた、気づくタイミングは人ぞれぞれとはいえ、親としては申し訳ない気持ちにならざるを得ません。
無知は罪だと、改めて~( ノД`)
昔の人は、病気の理由が単純だったと思います。
私がしばしば勧めているコウケントー(人工太陽光線)という健康機器には、分厚い症例本がありまして、まあ色んな病気をこれひとつで治している実例がてんこ盛り載っております。
しかし、今の人がコウケントーだけでこれほど病気が治るかというと、「病気になる要素」が多すぎて、そうそう簡単にすべてのダルマを落とせないのが現実だと思います。
あのね、ペットは良く治るのよ、病気の原因が簡単だから。
犬猫は人間と同じようにワクチンしてるしフィラリア薬も飲んでるしフロントラインも垂らしてるしイマドキはストレスも多いだろうしフードは粗悪だしで、一概に言えないかもしれないけど、鳥とか魚とか医療の手が及びにくい生き物には、よく効きます。
私が一連の体験を通して言えるのは、これこそを「デトックス」といい、してもよい、するべきデトックスだと思います。
だってここを超えないと、何をやってもこのキョーレツなラスボスは落とせないんですもの。
臓器をやられ、五臓が正常に動かず、虚(虚弱体質)に陥った人をサウナだよもぎ蒸しだとデトックスしたところで、ますます体力が奪われて病床が近くなる。
ワクチンに限らず、抗生剤やタミフルなども臓器を攻撃していると思います。
タミフルの添付書を読むと、副反応には「アレルギー、喘息、脾臓の損傷」と書かれています。
まさに、脾臓の損傷による喘息やアレルギーの発症です。
一生涯にこれだけのリスクを背負ってまで、今この瞬間の熱を下げるためだけにタミフルを服用する理由は、少なくとも私には思い当たりません。
例えば糖尿病の人なども殆どが脾臓をやられているそうで、この病気も子どもの頃の薬害が原因である疑いもあるのではないかと思ってます。
幼い頃に埋められた時限爆弾、これの発火がアレルギーや生活習慣病の発症につながってる、という可能性はないでしょうか?
子どもの頃からワクチンや不要な薬を避けている須崎動物病院の院長のポテンシャルが高いのは、至極当然のように感じます。
賛否両論あると思いますが、「私は」やって良かったと思っています。
ただし、私は曲がりなりにも中医学を学んでいるし、西原医学もそれなりに理解しているので、子どものコンディションを見抜いた上での、踏み出しです。
それでも長男については、ホメオパシーでデトックスすることには勇気が出ませんでした。
「出すべきものの多い」子が同じことをやって、負担もうちの次男と同じかと言ったら、それはわかりません。
うちの子は好転反応が比較的軽く済んでますが、リンクした先のお子さんのような激しい反応は、もしかしたら子どもに負担かもしれません。
ただ、知らなかったとはいえ「やっちまった以上」は、何らかの落とし前をつけるのも親の役割のうちじゃないかな、と、私は 腹をくくりました。
その際は、「余計な感情を乗せずに淡々とやる」のがコツです。
親が余計な感情を乗せてしまうと、取れにくかったり余計にこじれたり、するそうです。
というわけで、今回は相当ディープなお話でした。
これが良いとか悪いとか、勧めたり討論したりというのではなく、あくまでも私イチ個人の「体験談」としてお読みいただければ幸いです。
さぁ〜、イヤ感満載の読後でしょw
私ウソはつけないんだよねww
ではでは、また次回〜👋
出すとか、出さないとか。その1
あけおめことよろおはこんばんちはでーす。
節分も過ぎたころにノコノコとどーもしんつれいします~
相変わらずの文句ぶつぶつブログですが、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げまする。
↓わるいごはいねが~、とカンチョーしてくる52歳。(鬼面・次男作)
巷では風邪が大流行りでございますが、皆さま御無事でお過ごしでございましょうか。
インフルだとかインフルでないだとか、どこどこは学級閉鎖だっただの学年閉鎖だっただの、学校も幼稚園も毎日その話題でもちきりです。
うちの長男の学校はとても少人数なので、学級閉鎖=学年閉鎖になってしまうというw
どの学年も閉鎖はしてないようですが、うちのクラスはなにげ~にひとりずつインフルに罹っているようで、低空飛行ながらも開店続行中w
今のところ、6人中4人がすでに罹患済み。
すごい確率ですねえ。
なんでもインフルワクチン接種者は全国で5000万人以上いるとか。
こんなにみんなで「防いで」いるのに、なんでこんなに大流行りするんでしょうね~不思議ですね~(棒
うちは子どもたちはもちろん、親どもも無事です。
万が一インフル発症したとしても、仕組みは完全に理解しているので、「罹るうぬが悪いんじゃ、お炊き上げと思って罹り切れい!」で乗り切るつもりですw(有事に備えて一応対応レメディは準備している)
とはいえ、普通の風邪は引いてます。
次男がこないだ、人生3度目の発熱をしました。
出ても38度くらいで1日で引いたので、単純に寒さに負けたんでしょうな。
幼稚園は寒いし、家はサンタ贈呈の巨大昆虫に気を遣った温度設定(しかもエアコン)。
こりゃイカンと反省し、服装は上下ともダブル穿き、リビングのエアコンをストーブに変えました。おかげでカブトムシが腐らないように温度管理するのがめっちゃ大変です( ノД`)
(なぜストーブに変えたかは、こちらの動画をご覧ください。
「なぜこたつで寝ると風邪を引くのか?」 | 足つぼ・経筋施術そえる堂
私ったら最近、酔狂なことにYouTuberデビューしました(大笑)。
自分でこんなこと言っててうちでエアコン使ってたんじゃねえ…。)
イマドキの子どもでこの発熱回数は、とても少ない方だと思います。
イヤイヤなんかもそうですが、
「うちは熱をあまり出さない、イヤイヤもない」
というと必ず、
「熱を出して排毒した方がいい」
「うちなんか40度を〇回も出して大変で(なぜか自慢する)」
「熱を出した方が子どもは成長する」
「イヤイヤないなんて抑圧している!」
などと言ってくださる方に出会ったりします。
そりゃ「熱を出す体力もない」ようじゃ可哀想なのはもっともだし、抑圧されて言いたいことが言えないようじゃその育て方は反省した方がよいでしょうな。
だけどね、本当に子どもに必要な発熱って、元来このくらいだと思うんですよ。
ほとんどは、食べ物や生活習慣の間違いで、「ムダに」発熱している。
ムダに感染しているから、定期的なばい菌のお炊き上げ熱が必要になってくるんです。
熱なんか出さないで成長したほうが良いに決まっていると思うんですけどね、発熱前が感染で成長がおだやかだから、発熱後が脳みそのお炊き上げが進んで成長したように感じるだけで。
ついでにそこが間違っているから、ムダなイヤイヤに苦しんでいるんですな。
身体に不快が多ければ多いほど、自己肯定感も下がってくる。
ただ道を歩くだけで、突発行動を起こさない様に神経使って金切り声を上げられる方が、日常よっぽど抑圧されている。
子ども自身も脳が混乱していて要求がシンプルに伝えられないし、自分の要求そのものが自分でもよくわからなくなって、結果したくもない行動に走る。
イヤイヤなくシンプルに要求を伝えらえる、これが「自己主張」で、これには真摯に答えるべきと思うし、ここにしっかり答えられている子どもは、満たされ方が違います。
原因をちょっと取り除いてあげるだけで、辛い思いをしなくても無駄に親が恨まれなくても成長できるわけで、それをしない人の『子育てタイヘン自慢』は、私にはあまりピンとこないです。
幼稚園の懇談会は、そういうお母さんの悩み事を言い合い、共感し、慰め合う場だったりします。
もうね、そんなこと、食とワクチンやめるだけでほとんど全部解決なんですけど!
さめざめ泣いているお母さんを前に、こんな真面目な人たちをここまで苦しめるアレやらコレやらってなんなんだ~!
と歯がゆい思いをしながらも、これも個人の選択なので仕方ないですね。
世の中「デトックス」流行りで、どこもかしこも排毒排毒、排毒がお金になる時代です。
お風呂屋さんのサウナに始まって、マッサージ、よもぎ蒸し、入浴剤、サプリメント、etc、etc…
夜中の通販番組から知らないおばちゃんに「するんと出た!」と連呼される異常事態…なんだなんだ何をどこから出したんだ頼むからいらんこと想像させないでくれおばちゃん!w
子どもの発熱も「排毒」と捉える向きがありますよね(結果的に排毒にはなるんだろうけど)。
やたら〇コを出させたり、大量に汗をかくと「毒が出た!」と喜んだり。
そんなに何が溜まっているんだかと思うんだけど、デトックス信者はある意味パラノイア的要素があって、とにかく見える形で「出す」ことに固執する。
結果ガリガリになって顔色土色になって明らかに体力奪われているのにも関わらず、まだまだ、「出したがる」。
デトックス信者は、痩せている拒食症の人にどれだけ説得しても「太っている」と思い込んでいるのと同じです。
実は、中医学では、世間の言う「デトックス」は、絶対にやってはいけない禁忌事項なんですよ。
便秘を薬で出すとか、下痢とか嘔吐とか、誤って毒を飲んじゃって吐かせるような、よっぽどな緊急事態でしかやってはいけない。
汗をかいてデトックス、なんて一見とても良いことのようですが、
大量に汗をかくことは、大量に出血することと同じ意味
なんです。
大量の汗と一緒に、大量の気も流れ出てしまうから。
私の友達で、軽い気持ちでデトックス~とよもぎ蒸しをやって、肺炎になってしまった人がいます。
それほどに、「気」は大事。
デトックスは、やっていい人といけない人がいる。
「経皮毒」なんかもね、色んな方法で皮膚から出す試みがありますが、皮膚表面上に留まっている化学物質なら多少はアリだけども、皮膚にアトピーができているとか(たいていは肺と大腸の問題です)、子宮からシャンプーのにおいがするとか、そういう臓器の問題になったら、臓器にアプローチするのが、筋。
皮膚じゃない。
ごく一部は皮膚から出せるかもしれませんが、全部出だそうと思ってはいけない。
毒は、通常ルートに乗せて〇んこから出すのが一番です。
五臓六腑がきちんと働いている人、結果として〇んこから出せる人が、本当のデトックスができている人。
皮膚から出そうというのは短絡的であり、「好転反応」と言いながら実は別の病気を発症してしまうという、結果的に遠回りなことになりがちです。
もちろん入れるものが毒でないに越したことはないし、なるべく避けるのは体に余計な負担をかけないという意味ではとても重要です。
そりゃ、体に負担のかからないものを摂っている人とそうでない人とでは、ゴールにたどり着く距離が違いますからな。
ちなみに私、諸事情でうっかり毎月よもぎ蒸しをやるハメになってるんですがw、アレをやってもほとんど汗をかきません。
中医学はじめて、本当に汗をかかなくなりました。
じゃあ私に毒が溜まっているかというと、湿疹も吹き出物もとんと見ないので、世間一般に言う「毒」は、皮膚からは出していないようです。
余談ですが、青タンも作らなくなりましたね。
おっちょこちょいは変わらないのでw、体が変わったんでしょう。
青タンは打撲によっておこる毛細血管の損傷。
血管の強さ脆さも「腎」の管轄で、青タンができやすい人は腎が弱っている。多分骨も歯も弱いかも(同じ腎の管轄だから)。
お箸の持ち方が悪いと腎に負担をかけるそうです。
逆に言うと、腎が満ちてくるとお箸が自然と持てるようになるんでしょうね。
お箸なんて元来、日本人の多くの人が自然に持てる形が正しい形なわけで、スパルタや便利グッズで無理くり持たせるようなもんじゃない。
身体が整って(内臓が整って)初めて、持てるようになる。
長男の時は無知や見栄もあってw、エジソンなんとかとか持たせちゃってましたが、次男は無理に持たせず自然に任せています。
そうしたら、5歳を前に急に持てるようになり、今ではこんにゃくの佃煮なんかもお箸にぶっ刺すことなくちゃんと持てていて、この人私より上手だわとショックだったのでしたw←私持ち方ヘンw
本当に腸は5歳が一区切りのようです。
デトックスについてはまだまだ続きます。
以下次号!(初・引っ張りw)