そうだ。幼稚園だった。

遅ればせながら。
あけましておめでとうございます晴れ

今年の抱負。

ブログについたコメントはすばやく返す。

あ、書いただけで挫折に気づく。だって「一年の計は元旦にあり」だもんねw

ムダに反骨精神いっぱいのブログではございますが、今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
すいません、永遠に終わらないんです、私の反抗期w
ま、出入りは自由でございますればパー


そうなんです、今年の春から幼稚園なんです、うちの息子。

こういう話には、枕詞のように「早いもので」とつけるものなんでしょうけども、当人はまだ富士登山3合目くらいの気持ちですわあせるあとどんだけ登るんやぁ〜!って感じDASH!
去年の6月頃に早々に入園を決めてしまったというのもあり、その後妊娠しててんやわんやだったというのもあり、幼稚園のことはすっっかり忘れておりました。
準備とか、ヤバいかもムンクの叫び
でも、早くに決めておいてよかったなー。でなければ、つわりのピーク時にどこにしょう?!って右往左往するところだったよ…。


幼稚園入園って、確かに一区切りですよね。
息子が生まれてからの4年弱、10人前後のママ仲間に囲まれて、たいへん楽しゅうございましたキャッ☆
中には、マタニティの頃からの友達もいて。
助産師さんに、「マタニティの友達はずっと続くから、大事にしなさい」と言われたとき、
「うっそーん、つか、この私にママ友とかカンベンして欲しいんですけどカチン
とか心の中でぶっこいてましたけど、この人達がいなかったら、私は今頃とっくに自宅リビングにて発狂してましたパー
そのくらい、子育てって体力的にも精神的にも限界に挑戦な仕事だと思います。(しかも無給…)
今までやったどんな仕事よりもキツかった。
逆に、他のみんなはどうやって乗り切っているんだろう?と不思議です。
「そんなにママ友って、どこで見つけるの?」
と良く聞かれるので、「助産院よ、助産チョキ」と答えていたのですが、今振り返ると、助産院だからといってそんなに見つかるものでもないらしく。
私のお世話になっている助産院は、産後の横のつながりをすごく考えてくれていて、交流会やヨガやベビマなど、色んなイベントを催してくれているのですが、3年以上も同期でワイワイやっているのは私たちくらいなんですよね。
みんなほとんどが産前は職業婦人、どいつもこいつも家で一人でなんていられない連中でねw
ベビーサインやらリトミックやら楽器やらフラワーアレンジメントやら、さらにはママバレエなんかまで、「やりたいね」といえば、「あ、じゃあそれ私が」と全部身内でまかなえちゃう。
個々が幹事になり得るし、だからといって船頭だらけで船が山に登っちゃうなんてこともない。
みんなキャリア組だから、社会性が高いんでしょうね。
子供達もゼロ歳のころから大勢でお友達で、こんな体験できる子供も、現代じゃめずらしいんじゃないかな。
母親が具合が悪いだの急な仕事だのというとき預けあったりもしていたので、心強かったりもしたし。
核家族だらけで子育て世代に厳しいと言われる現代で、私たちはたまたま、非常にラッキーなところにハマったんだと思います。
楽しかったですドキドキありがとうでした合格


で、話は戻って、幼稚園。
以前にも触れたと思うのですが、第一希望の幼稚園をゴリ押しで獲得してきました。
「バス幼稚園」です。
平たく言うと、園舎がないの。お弁当持ってバス乗って、色んなところへ行って遊ぶ。それだけ。
毎日が遠足みたいなもんです。
何で私がこの幼稚園を知っているかと言うと、お世話になっている助産院の院長のダンナ様が経営する幼稚園だからです。
えーと、逆だ。
ダンナ様がこの幼稚園をやりたくて、サラリーマンを辞めて学校に行くのに、援助のため奥様が助産院を開業したんだ、確か。
北欧が発祥の「森のようちえん」とかが、少し知名度があるかしら。
似た感じですけど、そこまでガチに大自然に放り投げる、というほどでもないかな。
募集人数は、バスに乗れるだけ。
だから1学年8人、と少数ですが、先生は園長含めて三人くらいつきますので、結構濃ゆいですね。


私がこの幼稚園を選んだ理由ー。
色々ありますが、一番の本音は、「園長が男だから」w。
実社会経験のある園長が最前線で子供を保育しているので、非常に合理的というか、無駄が少ないんですよね。
女性だらけの集まりによく見られる、「決まりのために決まりを作る」ような組織が、一番ニガテなんです、私。
この性格ですからね、「何でですか?」という問いに「そういう決まりですから」なんて返答が返ってきたら、机蹴倒して退園しかねないですもん。(←うちのダンナは若い頃そうやって会社を辞めてきたことがある…似たもの夫婦っすね354354

幼稚園って、やたらとイベントが多いところってないですか?

あれはね、幼稚園というのは補助金で成り立っている世界なので、やろうがやらなかろうが年間行事表にできるだけたくさん書いてお役所に提出しないと、お金がもらえないんですよ。

「子供のため」とか言いながら、内実、行事で子供を振り回すという結果に。

「うちは補助金もらってないから、好きにさせていただく」という園長の言葉に、たいへん合理性を感じたのでしたw←こーいうことを聞く父兄ってのもまあ、私くらいで…ムムム


うちの息子の今この年齢って、見たままを記憶するのが本能のままの姿でして、つまり今の時期に一番重要なのは、「しっかり見れる」観察眼を養うこと。

そんなときに、大人の都合や競争心で「やり方」を叩き込むのは、確かに目に見える結果は早く出るのでしょうけど、子供本人は混乱しないのかな、という危惧を持ってます。

と、アタマでは分かっているのですがね、私もね、受験世代・バブル世代の人間なので、早期教育や英才教育をやる幼稚園なんかを見ちゃうと、グラッときちゃうのよね。

だから、そういうところはなるべく見ないようにしているあせる


何故私がそう思うか、というと、私自身、受験世界と職人世界の両方を体験している人間だから、なんです。


イッツ、カミングアウトたーいむ!

私は、基本おバカではありますが、そこそこ名の知れた大学を出ております。

受験なんてテクニックですもの、あんなもん1年丸覚えすればなんとでもなりますってw←そういう方法が通じるのは当然文系なのですが〜あせる

で、バブル真っ只中に大学出て選んだ職業が、何故か美容師でして汗

こちらは完全に「見て覚える世界」。

ある程度はマニュアルがあるものの、上手だと思う人の技術は見て盗むしかない。

それまでの人生、完全丸覚えで来た私には、これがとても難しくてですね、今思えば辛い10年間だったなあウキャー!

勉強の仕方は知っているので、国家試験なんかはまあラクにパスしましたけども。(というか、同期で受かったの私だけだった…、お前ら勉強しろーパンチ!

おかげで、人生知識だけでも、なさすぎでも良くないんだな、ということは学びました。


マニュアル主義というのは、教えられたことをとにかく片っ端から丸覚えすればよいのです。

それは逆に、見る力、考える力を奪います。

そうやってそれなりの成績を上げてきた私は、いざ社会に出ると、カンも鈍く、「目が開いていない」。

観察眼が低いから、どうしても「やり方」を教わろうとしてしまう。

頭ばかりが先走って、自分の目や耳を信用できないんですね。

「教えてちゃん」ってやつですよムムム


このマニュアル思考というのは、微に入り細に入り非常に厄介でして。

考え方のクセみたいなものですからね。

自力で抜け出すのには多大な自覚と努力が必要です。

システムを維持するコマとしての人間を育てるのであれば、優秀な教育法でしょう。

しかし、すべてに答えを求めてしまうので、自分で考えるということを放棄してしまう。

「信者」とは、そうやって作られてますよね。

ひとつのメソッドに全ての答えなんてあるわけがないのに、マニュアル思考はそれを要求する、すると見えているはずの現実が見えなくなってしまう。

「先に答えありき」なんでしょうね。

かつて世間を騒がせたオウム真理教の幹部連中の学歴が非常に高くて世間を驚かせましたけど、そういう思考にピッタリ当てはまる答えを常に用意していたのでしょう。

自分と正解を同一視してしまうと、何をどう言われても、自分に対する批判にしか捉えられなくなっちゃう。

「○○先生だってこう言ってたわよ、私の何が間違ってるってわけ?!キーッ!!むかっ」ってね。

なんでもそうだと思います。

西洋医学にしても東洋医学にしてもマクロビにしても、もちろん「西原医学」にしても。

ひとつのメソッドに、全ての答えなんてあるわけがないのです。

私は自分の中のこういう部分をなんとかしたいので、なるべく盲目にならぬよう、常に現実優先・結果優先を心がけようと日々もがいております、これでも。


というわけで、せめて子供には、なるべく方法論が先走らないように育てたいと思っています。

それにはどうしたらよいかと考えたら、やっぱり子供自らが何にでも興味を持つように環境を提供することが大事なんでしょう、月並みではありますが。

例えば、はさみの使い方ひとつをとっても、「こうやりなさい」「こう切りなさい」と強制されるよりは、切りたいという気持ちが生まれるような環境で、使う人を見て、どうやって使うんだろうと観察したほうが、ずっと身につき易い。

使える頃には、刃先に注意できるくらい身体条件が整ってくるでしょうしね。

早く使えるようになるために、「子供に使い易い安全はさみ」なんて底上げは、必要ないんじゃないかなと思ったりする。あくまでも私は、ですが。

私はあえて、文字なんかを積極的に教えたりはしていないのですが(面倒、という本音は置いといてw)、たまに息子が偶然ひらがなを書いたりするとね、ものっっすごい上手な楷書体だったりするんです。

多分、積み木に書いてあるひらがなをそのまま記憶でアウトプットしているのよね。

この積み木のフォントがもしポップ体だったら、ポップ体で書いたりするのかしらと思うと可笑しくてw

書き順なんかめちゃくちゃだけど、そんなのいつでもいいのよね、今その文字を観察できる、ということが大事。ここで書き順から教えちゃうと、マニュアルになっちゃうんだろうなあ。

音楽だって、今聞いている音階が「ド」だと分かる必要はどこにもない。

聞こえている音楽をそのまま再現できることが必要で、それが集中して聴くことや音楽への興味やセンスの育成につながる。

なのに、ヤマハ音楽教室に体験で行ったら、3歳児相手にト音記号から教えるのよね。

30分の体験で、真っ先にそれ必要??

確かに、幼稚園児が楽譜読めてましたけどね〜。

ドレミファソーラファ、ミ・レ・ド〜、ってか。


できるだけたくさんのことに興味を持って、「見る力」を養って欲しいので、幼稚園は、教えてくれるところよりは「体験型」を選びました。

建前はこうだけど、子供に体験させるような体力が親にないので、単純にアウトソーシングした、ってだけの話よねムムム

がっつり疲れて帰って来て爆睡してくれれば、それでもう本望。

わたくしは、その他のサポートをさせていただきますわいー

幼稚園でデスクワークして、家でぐるぐる回られたんじゃ、こっちが持ちませんしガーン

見る力を養うには前頭葉の発達が最も重要で、前頭葉を鍛えるには、体を動かすしかないんだそうです。

子供が遊ぶの大好き、体を動かすのが大好きなのは、ちゃんと理由があってのことなんですよね。

ゲームしている場合じゃないんだよ〜!

ゲームしている時はボケ老人と同じ脳波を出しているんだよ〜。

そんな小さい頃からボケててどうするんだームンクの叫び

親は、ゲームより楽しいことを提供できない環境を再考すべし。(と、柳生博さんが言ってたよん。酔っ払ってたけどw)


余談ですが、ちょっと前にうちの息子が描いた、「怪獣さんの絵」。

美容師引退後、ダンナの仕事を手伝ってCG屋をやってるので、多少〜〜の絵心はあるのですが、私はこの絵を見てかなり驚きました。

3歳児の絵に、遠近感がある!!

私が遠近を理解したのって、そんなに昔じゃないと思うぞ〜。

描く絵はいつも古代エジプトテイストw

これもやっぱり男脳と女脳の違いかしらねえ。

面倒くさがり屋の私がこの作品だけは珍しくファイリングしようと思ったのに、この後この絵はBrush upされ過ぎて原型をとどめなくなってしまい、証拠はこの写真だけになってしまった…泣

教えたりはしていないので、まあコイツなりに、観察眼が育っているのかなあと思いました。

もしくは、カーズの観すぎ?w