「できないこと」ができる、ということ
お久しぶりになってしまいました。
師走の候、いかがお過ごしでしょうか。
うちのやんちゃ坊主どもも大変元気でございます。
次男小学1年生、長男と同じ学校に通っているので、アタリマエですが長男が1年生でやったことと同じことを反復してくる。
同じことをやっていても、二人で違いがあって面白いです。
うちの学校では、1年生の夏休みに育てたアサガオの蔓をドライにしてクリスマスリースを作ります。
そのためのオーナメントを100均で買ってきて持たせるのですが、みんなと同じじゃつまらん欲の深い母、長男の時はモールでサンタとトナカイを作って持たせ、さて今年の次男はどうしてやろうか思案してたところ。
ずいぶん前に買って放置していたポンポンで作る小鳥キットを次男が探し当てて持ってきた。
「じゃあさ、この鳥さんを作ってさ、リースの真ん中に置いてさ、周りをリボンで飾ったらどうかな?」
「いいね!それやる!!」
と先に大盛り上がりしちゃってからキットを開けたら、これ子どもに作れるレベルのものではなくて( ノД`)、夜なべして私が作るという墓穴を掘る( ノД`)
やっと作って持たせて、できたリースがこれ。
なんとか飾れるレベルに作ってきてくれて、夜なべが報われてうれしい私…
小学校では今年、学芸会も開催してくれました。
パンダが南京玉すだれを披露するという、開会式の「校長先生のあいさつ」。
(一応、校長先生のお友達のパンダ君が応援に駆けつけてくれました体)
スベったときのために、パンダの大ファンである私に事前にサクラをお願いしようと思ってたと副校長先生に言われ、こんなに面白いことなんで誰もつっこまないんだろうと…ああ校長先生どうかあと1年で良いから転任しないでくれえ~~
人数の少ないうちの学校では、2学年ずつ合同で劇をやります。
人前で話すのが恥ずかしい次男様も無事出演しました。
幼稚園の劇ではセリフのない役でしたが、今回はちょこっとだけセリフあり。
ち~いさい声でしたが、無事に言えた♡
終わってから「どうだった?」と聞いたら、
「うん、緊張したよ」
と。
感想を言ってくれる、この人にとってはココ大きな成長ポイントなのです~
今までは、話をそらしたり、なんてことないよ、と言ってにごしたり。
ちゃんと自分の気持ちを自分の言葉で言えたんだね、と、とてもうれしかったです。
君は君のペースで育ってくれたまえ。
長男の5、6年生になると、曲決めや演出から照明まで、全て自分でやります。
今回長男のチョイスは、不良役。
選曲に悩んで、
「ねえママ、不良の曲って何があるの?」
「…つっぱりハイスクールロックンロール←昭和」
朝起きたら、youtubeでエンドレスに銀蠅かけて踊りまくる長男の姿が。
「ねえ、ボク、将来不良になるのかな?」
って聞くから、
「若いうちにしかできないんだから、やっとけば?」
と言っときましたと。
なかなか5年生というのは忙しいようで。
こんなご時世で行事をできるだけ中止せずにやってくれる学校には感謝しかないのですが、自主性を重んじていただける分、やることがとてもたくさんあって体力的もキツイようです。
ほぼ中休みも昼休みもなく準備に追われ、ひとりずつ脱落していくと、体力のある人に最後のしわ寄せがやってくる…うちの長男w
何に対しても一生懸命なのはいいんだけど適当に力を抜くことが下手な彼は、それでもやることの方が楽しいというので、気血を補う漢方をチョイスするという後方支援くらいしかやってやれることもなくて。
「週に1度くらい休みが欲しい!」
と人生に疲れたおっさんみたいなことを言われたり。
いやまて、サラリーマンだってお昼休み1時間はあるじゃん、中休みも昼休みもないってそれはちょっと、人間がやることじゃなくね?
相手が子どもだと、どうしてこう、打ち出の小づちみたいな、やればできる的な無茶になっちゃうんだろう。
と、先日近くの週末開催のプレーパークに突っ込んでみました。
「いろんな学校のしがらみを忘れて遊べて楽しかった!!」
とこれまた黄昏たおっさんみたいなセリフを吐かれて。
保護者会でも子どものストレスが溜まっている、との訴えがあり、先生がストレス解消法を子どもに伝えたりしているそうですが、やっぱ子どもは中学生くらいまではこうやって全身使って遊ぶのが一番必要なんじゃないのかなー。
まあ先生も痛風になったりしてるけどね。先生のストレス解消法は苦い水かしらね?プリン体接待でもしていやがらせしてやろうかしらw
一生懸命やるのはとてもいいことだし、その方が思い出にも残るし成長するし、ではあるんですが、自分がやればやるほど、目の前には「やらない子」がちらついたりして、それもさらにストレスが溜まってくる原因のようです。
この3次元のシステムは、全てが相対になっており、正反対のことが表裏一体で離れることなく、同じ大きさになるようになっているそうです。
例えば、大きいがあれば小さいがある、表があれば裏がある、正義があれば悪がある。
大きいだけでは小さいはわからず、裏がなければ表は存在できない。
だから、できる、があれば必ずできない、も同じ大きさで存在する。
片っぽだけに世界を染めることは絶対にできない。
陰陽のバランスですよね。
「良い」を目指して頑張れば頑張るほど、同じ大きさで逆のものが目の前に成長してくるのが、抗えない宇宙の法則だそうです。
私たちはなぜこの世に生まれてきたかというと、魂の成長のため(宇宙は成長しつづけているから)。
つまりこの世には、すべての体験をするために、生まれてきた。
すべての体験ということは、「できる」という体験もそうですが、「できない」という体験もまた、貴重な体験である、ということができます。
「できる」か「できない」かは、個人の勝手な価値観によるジャッジであり、時や場所やシチュエーションでコロコロ変わる不確かなものにすぎません。
宇宙目からみたら、「どちらも同じ」貴重な体験。
なのに私たちは人間特有のジャッジにより、「できる体験」を良しとし、「できない体験」を良くないものとして、避けたり抵抗したり、出来ない自分を否定したりします。
それがそもそも人間の根幹の苦しみだったりするんですよね。
できない自分へのコンプレックスから、親が「教育虐待」をしてしまうことは、普通にあることですよね。
それだけ親御さん自身が子どもの頃に、「できない」を認めてもらえず親や学校からのジャッジや否定で苦しんできたのでしょう。私も例に漏れずですが←昭和臭
学芸会でお疲れの長男様に言いました。
「できないこと、が、できる、って、すごいことなんだよ。」
ちょっと考えて、
「…僕は、できないこと、は、できない。」
と言われてしまいましたが(;´Д`)
そんな話を最近ちょくちょくするのですが、横でじっと聞いている次男が、
「僕、ポジティブとネガティブって知っているよ、僕はポジティブの方が好きだよ。」
と。
通級でそういう自分を見つめる訓練をするのでしょうね。
自分には、ポジティブだけでなくネガティブもある、両方を俯瞰してどちらもあると認識し、でも僕はポジティブの方が好きだ、と言える。
客観的に自分をとらえて「できない、をできる」視点を授けてくれているんですよね。
だからこそ、他人のできる、できない、を受け入れることができる。補い合える。
さすがプロだなあ~
静な次男に対し、動な長男は動きの幅が大きい分、日々の体験もとても大きいです。
そこもバランスで、どちらが良いとか本当に言えないですが、どちらもそのままのあなたでいい、とほかならぬ親に受け入れてもらえる体験が、これからの人生でどんな体験も恐れることなく味わっていけるのでしょう。
できない、が、できないと思っている長男も、そのうちできないことも必要な体験なんだ、と彼自身が学ぶでしょう。
世界中のすべてのことを、自分でできるわけがないんですから。
最近長男一派は、近くの児童館で放課後バスケットボールをすることが多くなりました。
5年生になってやっと鬼ごっこから男子らしい遊びに進化したか?
私、男子のバスケットボールって大好きなんですよね、パスがスムーズで、見ててとても気持ちがいい。
やっぱ動体視力が違うんだよね、とダンナと話してて、男女は筋肉量が違うから仕方ない、と言ったら、長男が、
「えー違うの!?そんなわけないじゃん!!」
お前はまだ雌雄同体か。
「女の方が筋肉少ないの?そんなん、損じゃん」
「損かどうかはそれこそ考え方でしょう?」
どうしても現代は競争社会なので、「できること」が良いこと、と捉えがちですけどね。
女性の柔らかさ、産み育てる力、そこの価値に目覚めるのはまだまだ先なんだろうな。
ま、どうせね、今は暇さえあれば兄弟でうんこちんこ叫んでるけど、あと数年もすれば巨乳が良いとかナマイキ言ってるんだろうからさ~
染色体1本足りない生物が2匹、生暖かく見守っていこうと思っておりますわ。
では、また~
良いお年を、かしら?
今年のサンタも財布が大出血で参ってまーす。男子二人でトランスフォーマーにハマるのはやめてほしいなっと。