宿題問題!!

連日お暑うございます皆様、いかがお過ごしでしょうか。

お見舞い申し上げますことよ~

アレですよ、やたらめったらウナギが食べたくて仕方ない。

ウナギはこの季節の土用丑に食べるのが一般的ではありますが、ちゃんと理由がありまして、ウナギやタコなどの「巻き付きもの」は人体の命の源である「精」を強力に補充してくれる、とても優秀な食材なのです。

この時期の、暑くて暑くて血と同等に大切な身体の水を「汗」として消失してしまった屍寸前の体に、ウナギで精を補充することは大変理にかなっておるのです。

どこ産だろうが関係なく美味しく食えればいい私は、スーパーで買ってきたウナギに日本酒を垂らして時間を置き、グリルに入れて弱火で焼きます。

こうするとですね、お安いウナギでも柔らかくてふわふわなウナギにありつけますのよ♡

1シーズンに一回くらいはちゃんとしたウナギ屋さんで食べたりもするのですが、特に次男あたりから「おかわり!」とか言われるとこちらとしてもちょっと鼻血がたれるので、あまりお財布が痛まない方向でライフハックを会得していきたい。

ちなみにこの「精」をつける世界のトップランナーは、実はユンケルにも入っているという「タツノオトシゴ」だそうです。確かにシッポ巻いてるなあ…。

 

夏といえば、夏休み。

このクッソ暑いのに小刻みなナントカ宣言で、お子様がたの気を紛らわすこともできない全国のお母様がた、こちらもこころよりお見舞い申し上げます(;´Д`)

そして夏休みといえば、宿題ですねえ。

うちの子どもたちはなぜか毎年、自由研究をするのを楽しみにしておりまして。

特に長男が、アンタほんとにそれ作るつもり?な壮大な計画を立てては、本人の想像よりちょっとしぼんだ完成品を展示しているのが薄く面白かったりしてw

今年も大風呂敷を拡げては、結局何を作るか決めてないまま、帰省してしまった。間に合うのかしら~

次男は、長男ほど絵心があるわけではないのですが、例に漏れず工作や実験が大好き。

本で読んでどうしても作りたかった「光の3原色」の実験を、さすがにおひとりさまでは無理なので、お手伝い。

3色の発光ダイオードボタン電池をつけて、アルミホイルを巻いたプラスチックカップに入れて色が白くなるのを見る実験なのですが、バラバラになるLEDとボタン電池をどうやってセッティングしてプレゼンするのか、頭を悩ませていたところ、こんなん作ってきた。

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おおこれは素晴らしい案だ!お前もやるなあ~~

君のこういう発想力、大好きだ~~

 

長男様も5年生。さすがに宿題が増えてきました。

5年生になって、ひたすら同じ漢字を書き続けるとかクソ面倒くさい筆算とかを延々とやらされる宿題になって以来(他校ではもっと低学年からそういう宿題が出されるようなのですがうちでは今頃始まった)、あれだけ学校や勉強が楽しかった長男が大嫌いになってしまい、学校も行きたくないと言い出す日も出てくる始末で、どうしたもんかと思ってた1学期。

まーでもそうだよねー、そんな愚にもつかない、ゴビ砂漠をホウキで掃くような宿題が楽しいわけはないし、無理やりイヤイヤやらされていることって1ミリも身につくわけはないのでね、すぐ

「やりたくないんならやんなくていいよ」

と言ってしまう私。

でもそう言えば言うほど「やんなきゃダメなんだよ」と泣きながらやるんですよ、マジメだわあアンタ〜

人生で一番楽しいこの時期をゴビ砂漠労働で台無しにする方がもったいないじゃん。

それでなくてもすでに量子コンピュータが稼働しているこの現代にこの筆算ができることが必要な教育とはどうしても思えないし、私だって筆算なんかすっかり忘れてるけど昭和からうちにある計算機でなんとかなってるぜ?

「あんだけ毎日漢字書いてんのにテストで間違ってるんだよ、それ全く入ってないってことじゃんね?」

とママ友も言うw

 

 「何かひとことを」

と、学期末の保護者会で促されましたので、このゴビ砂漠問題を投げてみました。

するとしばらく考えた先生は帰りがけに、

 「翼くんは自由課題にしてみましょうか?」

と。

2学期から、それができる子は順次自由課題にするつもりだったらしいのですが、そこまで嫌なら前倒ししてみてもよい、と。

 

えーそんな融通が効くわけーマジかーー!

 

と大感激大感謝だったのですが、本人に伝えると何故か大泣きして、嫌だ!と。

何がそんなに嫌なのかと聞いたら、怒られる、と。

どうやら現状に不満を言うと怒られると思い込んでるらしい。

私が、今まで怒って何かをさせるということほとんどしてこなかったので、「怒られる」という行為が自分の何を指摘されているのか分からず、過度に反応しているようです。

 

人は「ありのまま」でいることを否定されることが一番、どう存在していいかわからなくなるそうです。

イコールそれが「評価」を運命づけられている現代の教育の姿なわけで。

「褒めて育てる」も一見イイコトのようで評価基準になるので、同じように存在の否定につながるわけですよ。

 

ほんでどうなったかというと。

 ひとしきり泣いた後、

「わかった、明日先生にそれはしなくていいです、っで自分で伝える」

その時の先生の応対が、

「いや、2学期からみんなでやるつもりだから、試験的に翼くんがやってみてみんなができるかどうか試してみてくれないか?」

それだったらオッケーということで、あっさり丸く収まりました。さすがだなあ〜

というわけで、もうすぐ夏休みに入るあたりから、彼だけ自由課題になりました。

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自由が爆発しておりますw

 

ゴビ砂漠労働は、言うても20分くらいで終わるものなのですが、自由課題になったら余裕で3倍も4倍も時間がかかっているw

なんなら「きょうの宿題なんにしよう」とずっと考えているので、いきなり寝る前にカブトムシを獲りに行く日もあったり。

でも「楽しかった!」と本気で言っているので、この方が彼の血肉になることは確実でしょうね。

 もちろんゴビ砂漠で点を取るタイプの子もいるので(むしろ私がそういう子どもだった、自由にやれ言われたら逃亡する)、そこは子どものタイプに合わせてフレキシブルに対応できるのが理想ですよね。

人数が多いと先生の負担も増えるからなかなかそういう個別対応は難しいでしょうけども。

大きな学校から転校してくる子の中には、あまり勉強をわかっていないまま見過ごされている子がいたりもして、そういう子たちは1年生の宿題を出してもらったりもしています。

このクラスの子どもたちは、ひとりひとりが違ったことをやっていても誰も気にしないし受け入れてくれる、と先生も助かっているそうです。

 

個人面談で宿題問題について、

「公立の学校でこういう対応をして頂けるなんて本当に光栄です」

と伝えたところ、

「いやいや、私の方が考え方を変えればいいだけの話なので。」

と言ってくださいまして、本当にびっくり貴重な先生です。体育会系の元花園ボーイなのに!

アツい先生で、個別対応で放課後生徒と将棋をさすような、ひとりひとりに真剣に取り組んでくださっている方なので、「学校に行きたくない」と思わせるのは一番辛いことだ、と思われるようです。

今年は学習指導要綱の10年に1度の改革があり、従来の暗記スキル中心の勉強から、討論や「自分はどう考えるか」を問われるやり方にガラっと変わったそうです。

例えば社会科で、「お米農家の跡継ぎ問題が深刻らしい」「日本のお米の消費量が下がっているらしい」というお題を投げて、さあ討論しましょう!という授業を実際にしているそうです。

教科書に答えなんかどこにも載っていない。

自分の考えとみんなの考えをあわせ、結論を導いていく。

私たちのころには考えもつかない授業で、本当にそんな時代になったんだなあ。

そんな中で、

「よし!みんなでお米パーティをしよう!!」

と言える長男が、誇らしいですw

幼稚園時代から自発的に動き、「みんなで考える」ということを当たり前のようにやってきた環境にあったからこそ出てくる発想なんじゃないかな。

こういうのは友達とめいっぱい遊んでコミュニケーションを取り日々を楽しんでないと身に付かないスキルなんだろうなと思うので、やっぱり放課後友達と遊ぶ権利を子どもから奪ってはイケナイ、と心底思うのでした。

 

次男様も1年生の1学期が終わり、個人面談がありました。

長男の時とは違ってクラスには15人「も」いるのですが、これが彼にはちょうど良い人数らしく、気張り過ぎることもなくいい感じで過ごせているようです。

なにより先生の話を聞いていると「彼らしく」ふるまえているようなので、担任の先生の「場作り」がとても上手なんだろうな、と。実際とても落ち着いたクラスのようです。

相変わらずマイペースなので、休み時間クラスのみんなが校庭で遊ぶことになっても、自分は教室でゆっくりしたい気分だと思えば、ちゃんとそう伝えてひとりで過ごしたりしているそうです。すげえなその勇気1割でいいから私にくれw

一日の時間割を見て力配分をあらかじめ考えるような子どもなのでw、気持ちにアップダウンがなく非常に「凪」です。

このくらいの年頃だと男の子はまだやんちゃな子がいたりして、成長の速い女子には脅威だったりするんだけど、ふと見ると、無害な男子がひとりいる。

あそこにいれば安全かも?

担任の先生が将来を心配するほど、うちの次男は学校ではモテているそうですww

 

というわけで近況でした。

公立学校の宿題問題って、結構あちこちで深刻な話を聞きます。

量が多い、つまらない、子どもがやりたがらない、学校や勉強が嫌いになるetc…

逆に「宿題なんて全く意味がない」と学校で丸ごとなくしてしまうところもあるそうです。

どちらが良い悪いというものでもないですが、その子その子にフィットした形であれば宿題もとても有意義なものになるんだろうなと思います。

その前に日本の教育システムが、人間らしく育てようという方向に変わってきているのがとてもうれしいです。

長男が成長する頃には、人間は好きなことを好きなだけやることが最も幸せで生産性も教育効果も高いことが周知され反映される社会になっているといいな。

 

ではではまた~~

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

それぞれの成長

どうもどうも。

皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

我が家の5年生、1年生も毎日元気に学校に通っております。

1年生の次男は学校が楽しいそうで、先日珍しく「今日は楽しくなかった」なんていうからどうしたって聞いたら、「給食でサラダが出た」。

あっそう。サラダじゃなかったら?

「サイコーだった、カレーだったし。」

じゃあサイコーだったんじゃねえかそこの記憶データ書き換えられて良かったわ、と思ったので一日の終わりに感想を聞くのは幼少時代の記憶をなるべくポジティブに保つのに有効かもしんない。つーかお前の一日の判断基準給食かよって。

ちなみにうちの学校の給食は大変美味しいそうで、他の学校から転任されてくる先生たちが一様に感動してくれるらしいです。

うちの学校は小中一貫校なんですが、給食室は小学部にあるので、お昼になると分校舎にいる中学生がぞろぞろ小学部にやってきて給食を食べるっていう~

うちでは豆一粒食べない肉食長男が学校の給食は残さず食べるから野菜嫌いが先生にばれていないらしく、ちぇって感じ。

 

前回触れた次男の通級ですが。

こちらも大変楽しくお通いあそばしていらっしゃいまする。

最初はどんなことするのかなあという不安もあったようですが、行ってみるとただただ楽しいし、「通級がある日は一日が早く終わっていい」んだそうでw

そうだよね、若干6歳やら7歳で1日中ずっと座って黒板見ていることがアタリマエなんて、私たち大人の感覚の方がおかしいわ。

友達で小学校時代はオーストラリア在住だった人がいるんですが、4年生までは決まった机すらなかったそうです。うん、それが自然だと思う。

先日の通級では彼の大好きな工作をやり、その時作った「飛ばすUFO」は、「人に向かって飛ばさないと決めた人だけ持って帰れるんだよ」と嬉しそうに次男が言ってて、誰も否定しないし押し付けない、自分で決める力を促す素晴らしい指導だな、と感動しました。見習おう~

というか、私が住む市の通級は本当に素晴らしいそうです。

ひとえに星山先生ご尽力のおかげ。

他の市に引っ越した同じ園出身のママ友によると、そこでは「通常クラスについていくための通級」という位置付けだったらしく、母の目的地とはかなり違ったので、見合わせたそうです。

ひとつの価値観に揃える教育ではなく、みんな違ってみんないいが実現できる世の中になるといいな。

と、ここで映画を紹介しておこう。

私たちの運営するオンラインサロン「アンテナ」で自主上映会を行ったばかりです。

ひとりひとりがそのままでどれだけ貴重な存在なのか、どれほど私たちひとりひとりがオンリーワンの存在であるのか、言葉でなく体に入る体験ができる映画でした。

観終わった後のシェア会はみんな言葉が出なくて全く盛り上がらないというw

「1/4の奇跡」→ https://iriefumiko.com/1_4/

オンデマンド配信はこちら→ https://vimeo.com/ondemand/yonbunnoichi

 

おかげさまで次男はすっかり、我が道を行ける男に成長しつつあります。

先日ワークショップで革のキーホルダーをお作りあそばしたのですが、2時間みっちりほぼひとりで仕上げる集中力と、どんだけ利便性を説いても絶対に自分のオリジナルデザインを曲げない固い意思が育っておることを改めて確認しましたよとwランドセルに付けるオプション金具をあれほどつけたほうが良いとアドバイスしたのに…

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 ちょっとセンターがずれたけど、穴あけデザインの彼のオリジナルです。たくさんの見本を出してもらったのに、どれも参考にしない感じの悪いやつ。

↓ちなみにこちらは、長男の作品。ばあばとねえね(ダンナ妹)にあげるんだって。

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こういうところもキャラが全然違うんだよなー

 

5年生になった長男の方は、思春期突入の年齢らしく、転校生の増加も相まってクラスに色々と波乱が起き始めているようです。

今までの生ぬるいお風呂に突然の冷や水投入にわあびっくり!的な、でもそれも彼らが選んだ必要な体験だしね、私たち親は見守るしかない。

ここが例えばオルタナティブスクールだったり私立の学校だったりすれば、わりと「似たタイプ」の子どもたちが集まったりするんだろうけど、うちの学校は団地も低層も入り乱れた、家庭環境もほんと様々な子どもたちが集まる公立学校です。

だからいろんな子どもたちがいて、いろんな価値観があって、その中で認め合ったりときには否定しあったりして、楽しい時もあればしんどい時もあり、特に5年生という立場が勉強や宿題が増えたり学校での責任が大きくなったりで、「さすがにキャパオーバーかな?」と思う時も多々あります。

そういう時、親としてどう在ったらいいのかな?と、この私でも少しは考える。少しだけど。

自分が子ども時代を思い返してみて、一番の宝物&一番の悩みどころは、友達関係でした。

勉強なんて1ミリも覚えてない。なんなら長男のひっ算やれ言われたら左巻きで瞬足で逃げる。

やっぱり友達関係を、良くも悪くも命いっぱい味わわせることが、彼の人生を形作るんじゃないかな。

と、放課後は学校にほど近いうちの仕事場で、友達と勝手に遊べる環境を提供しています。イマドキ子どもらが集まって遊べる環境ってなかなかないですもんね。

「全面的に信用」しているので、全てを彼に任せている。

私がぎゃんぎゃん言わなくても、友達たちもちゃんとルールを守って遊んでおりますね。

ぶっちゃけ心配な友達関係もありますけどねもちろん、あえて口を出さない。

私は感情の受けとめ場に徹しようかな、と。

 

よく、親は説教するんでなく子どもの話を聞け、とか感情を聞け、とか言いますよね。

わかるけど!わかるけどさ!という場面に何度も遭遇するのが子育てというもんだと思いますがw、なぜそれが効果があるのか、を説明する方程式に最近出会いまして。

 

人はそれぞれひとりひとり、「男性性」と「女性性」を内包しているんだそうです。

このバランスが全てこの宇宙の根源だと。

女性性は感情を司り、男性性は愛することを司る。

内側の女性性が愛を受け入れないと内側の男性性は存在できないし、男性性は内側の女性の話を聞かず解決策ばかり講釈垂れれば、内側の女性性は愛されていないと感じてしまう。

その内側の男女の関係がそのまま外側の関係に反映されている。

いうよね、男性は解決脳で女性は共感脳だって。

その両性を皆がひとりひとり内側に持っているんだそうです。

女性の話を聞かない、はつまり、「感情を感じてあげないこと」。

寂しい、悲しい、辛い、などの感情を、内側の男性性は、「それはこうやってごまかせ、こうやって我慢しろ」と言って話を聞かないわけで、これで自分の感情がわからない人間ができあがってしまうのだとか。

お金のために我慢や競争を教育されてきた現代人は、男性も女性も内側の女性性がないがしろにされている。

真の「男尊女卑」ですね。エリート意識や女性の自立を国やメディアが煽れば煽るほど、男女の同権からどんどん遠ざかる。

そもそも「若干6歳やら7歳で1日中ずっと座って黒板見ていることがアタリマエ」なんて我慢をこんな幼いころから強要しているんだしね(;´Д`)

自分の中の男女のバランスが偏っているので、自分がわからない、感情がわからない、生きる喜びがわからない。

これが不幸せの大元になっている。

ゆえにこれからの新地球は女性性の復活が最重要な時代に突入するんだそうです。

私は息子の話をつい自分の男性性で聞いてしまい、「それはこうしたらいいんじゃん」と頼まれもしないのに解決策ばかり提案してちゃんと彼の内側の女性性である感情を聞いてあげてなかったな、これでは息子の女性性が存在できないから愛されていないと感じてしまうかもしれない、と気づき。

こういう機序で「とにかく話を聞く」ということがどれだけ大事かということが、ようやく腑に落ちました。

長男だけデートに連れ出し、ただ一緒にお茶とケーキを食べながらゴジラの話とか聞いているだけで、何をするわけでもなく彼の中がすっと落ち着き、バランスが整う感じがします。

そして相手は自分の鏡だから、相手の話を聞くことで自分の中の男女のバランスも整うわけですね。

これが親子共々思春期というものを味わうコツなのかな、とも思ったりします。

願わくばゴジラブームは終わって欲しいところだけどさ(;´Д`)ミニラの顔が坊さんぽいとか知らんがな~

 

保健体育の授業なんかも始まって、あの、ひたすらおっぱい飲んでた子がいよいよ人として一歩を踏み出してきたなあと思うと感慨深いです。

そりゃ親としてみれば怖いこととか嫌なことからはなるべく守ってやりたいし起こって欲しくないというのが正直なところではありますが、良いこともそうでないことも体験しにこのエキサイティングな地球に生まれてきてくれたわけですから、ひとつひとつを丁寧に味わおうと向き合うのが一番効率的な地球ゲーム攻略法な気がします。

親子の関係が人生の思考の全てを創ってしまうらしいですしね。

我が家では今年もまた、うちの屋根の上から目も開いていないムクドリのヒナが巣落ちしてきまして、育てて先日空へ還しました。

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あれだけベッタベタの甘えん坊だったムクちゃんが、外へ出しても怖がって私の肩から離れなかったムクちゃんが、全てが満ちて整って彼的に「スタンバイOK」になった時、全く後ろも振り返らず何の躊躇もなくまっすぐ仲間という「全体」へ合流していきました。

残された私たちはムクちゃんロスに陥ったわけですが(´;ω;`)

心配は尽きないですよ、ちゃんと自分でバッタ取って食べてるかとか、ちゃんと寝床は確保できているのかとか、猛禽にやられてないかとか、ヨソサマの頭にウンコ落としてないかとか。

でもね、たまに洗濯物干してると電線の上にやってくるムクドリが「…あれはムクちゃんかも?」と思う時があって、彼女(彼氏かもしれんが)連れだったりして、まあヨロシクやっているんだなとw

この先はどれだけ心配してもどうにもならないこれがムクちゃんの選んだ人生であって、ここまでどれだけ向き合ったかがすべての「やり切った感」であり、お互いの真の自立であり。

人間の子育てもこんな風にやり切れたらサイコーですけどねー

 

ちなみに学校では家庭科の授業も始まり、明日の調理実習が地獄だとテンション下がってるから、「なんで?」と聞いたら、茹で野菜を作って食べないといけないからウツなんだそうでw

相変わらずの肉食男子でしたと。

夕飯のメニューが魚で家出した中学男子の話があったけどな、うちも今のうち覚悟しとこう~

 

それではまた~♡

あなたがあなたのままでいるために~「通級」という最先端システム利用のススメ~

どもです。

春になり、うちの次男様も晴れて小学校へ入学しました。

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毎日の送り迎えと弁当作りから解放された日。

無事に自走式に進化しました。

この笑顔。幼稚園3年間バスに乗って一度も手を振ったりとかしたことなかったのに~

なんというかこの人、学校に行きたかったんですよね。

2歳の頃からお兄ちゃんのPTAで学校へ連れてってたから、幼稚園は「こんなはずじゃなかった」場所だったのかも。

お兄ちゃんに憧れる、二人目あるあるかしらね。

 

長男が入学した時は1年生は5人だけという、ミニマムだった彼の幼稚園よりさらにミニマムになるという衝撃でしたが、同じ学校に入っているのに今年の次男のクラスは16人もいます。多い!去年の1年生なんかたった4人だったのに!

と思っていたら、保護者会でアンテナを張るにジモティはさほど多くなく、学区外から来ている人がわりと多い。

お話ししてみたら、やはり「少人数がいい」と選んでくる人が多く、もっと言えば都内小学校口コミランキングの上位になぜかうちの学校が入っているらしく、それで今年の人数が増えたようなんです。なんとそんなことが!

ただ、増えるとその「少人数」でなくなってしまうのでそこはナイショ。こんなところで書いといてなんですがw

そんなわけで5人でスタートした長男のクラスに転校生がどんどんやってきて、5年生になった今では11人にまで増えました。

5人がスタンダードの長男にとっては教室が大変窮屈らしく、事あるごとに狭い狭いと文句を言っております。

そんなん言ったらあの空間に40人で過ごした私の小学生時代はどうなっちゃうんだって暴れそうになりますがw、彼の主張を聞いていると日本でスタンダードな公立学校の教室サイズにはせいぜい10人くらいが人間的空間なんじゃないかと思います。ナチュラルソーシャルディスタンスね。

 

入学ほどなくして7歳の誕生日も迎えた次男様。

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大失敗ケーキの前で…

学校生活も思ったより順調な滑り出しです。

入学3日目にしてケンカをし、ちゃんと「何が嫌だったのか」自分で言え、学童でもお友達と大変上手に遊べている。

昨日お迎えに行ったらサッカーのゴールキーパーをしていたので、「君を若島津と呼ぼう」とつい口が滑ったらそこにいた指導員(女性)からすかさず、「私は日向小次郎派でした!」とツッコミが入り、うっかり腐海のワナに落ちそうになりましたよと。色々と過去の悪行がバレるからこんなところで盛り上がってはイケナイw

 

何度か触れてますが、次男が通った幼稚園は、「療育」に大変力を入れている幼稚園です。

明星大学の星山教授という、この道の専門家と繋がり、星山ゼミの学生の研究園になっていたり、星山先生が定期的に行われている親向け講座を受けている保護者もたくさんいます。

https://hoshiyama-lab.com/hoshiyama/

この星山先生の教えを多くの保護者が学んでいるので、保育中に我が子にサポーターをつけることも普通に行われています。

園内療育もスタートし、うちの次男様もお世話になりました。

保育の間に園の中ですんでしまうのでとても便利だし、担任の先生や園と情報を共有して頂けるので園外の療育に通うよりずっとスムーズで効果が高いです。ありがたや~

その流れで。

うちの園の出身者は、小学校へ上がるとわりと簡単に「通級」を利用します。

ある学校では、新入生全員うちの園出身者で、全員仲良く手をつないで通級に行く、という光景もw

 

そもそも「療育」とか「通級」ってなんぞや、という疑問が沸きますが。

例に漏れず私もよくわからなかったひとり。

一昔前までは、学校の授業についていけないような、特殊で「発達のゆっくりな子」が利用する場、として捉えられていました。もしかしたら今でもそういう先入観が普通なんじゃないかな。

私もそうでした。うちの子は普通!私は普通に産んだの!「あそこ」に行く子じゃないの!…的な。大変な偏見ですねすみません懺悔します~( ノД`)

いじめ問題のハシリで競争社会MAXでぶっちぎりの偏差値世代ですからね、私にそんな観念があるのも致仕方なし。

 

たくさんの人が、特にコロナ以降「時代が変わった」空気を感じていると思います。

実際去年から小学校の学習指導要領が変わり、中学校も今年から変わりました。

今までの、「暗記」「横並び一律」教育から、「個」を重視した教育に変わり、求められるものもガラリと変わったので子どもたちは大変、と中学生の子どもを持っている地元の事情に詳しいママ友に聞きました。

高校の偏差値の乱高下も激しく、保護者の選択基準は「個を大切にする教育をしてくれているかどうか」、決して有名大学にどれだけ入ったかを見ているのではないところが、本当に時代は変わったんだな、私も自分の観念を見直す必要があるな、と強く感じます。

これからの教育には、私たち親は何を求めていったらいいんでしょう?

うちの園の先生が放った、

「子どもに『上手にやらせること』なんて、至極簡単だ」

という言葉が、とても印象に残っています。

なぜなら、私も長男を育てるときは従来の価値観で「上手にできる子」狙いでしたから、刺さったんですね~

 

療育や通級では、何をするのでしょう。

幼稚園の療育では、担当の先生と1対1で、ゲームをしたり迷路をしたり、主に机上で、ただ遊ぶだけ。楽しいので、子どもたちも喜んでお部屋へ行きます。

そこでその子の特徴をつかみ、その子の「困り感」について支援していく、というもの。

うちの次男様は、家での様子と幼稚園での様子が全く違い、家では彼らしく過ごせているものの園へ行くとだんまりになったり集団で動くことを嫌がったりしていたので、その辺でお世話になることにしました。

これ、「頭のよい子」によく起こることで、親サイドからは見逃すことが多いことです。

特に大好きなお母さんやお父さんの前で「がんばってしまう」、友達の前で「演じてしまう」子は、そのまま見過ごされると自分らしく生きられないことに限界を感じ、思春期以降そんな自分に疲れ果ててしまうことも起こり得ます。

私はこの園にお世話になったからこそ早いうちに対処できたので、とても感謝しています。

1年行って、ずいぶん家と外の彼が一致してきました。

どの場面でも「彼らしく」自然に行動できていることが良く見て取れます。からの、入学3日目でのケンカだったりするんですがw

週に1回、1年程度なのに療育の効果には目を見張るものがあります。

療育といっても様々でしょうから(他を知らない)、うちの園の場合は「星山先生効果」なのかもしれないですけども。

 

「満月理論」というものがあります。

親や教育施設は、どうしても「育てる」「教える」という視点から、子どもに「欠けているもの」を探す、つまりジャッジをしがちです。

しかし、人は本来、どの人も、全く欠けているところはありません。

ただ見ている人が「問題」と見るから、問題に感じているに過ぎません。

欠けてないなんて、問題がないなんて、そんなことが!と思うかもしれませんが、私たちひとりひとりは、過去にも未来にも現在のどの位置にも決して同じ人はひとりといない、本当に唯一無二の貴重な存在です。

そんな貴重な存在の私たちが、誰かと比べて勝っているとか劣っているとか、親や先生に認められないと価値がないとか自分らしくいられないとか本当に必要のない観念だし、私たちが「問題」と感じる行動や病気などにも、そんな完璧な私たちがこの世に存在する目的のためにすべて意味があって起こしていることです。

 

欠けている、という視点で人を見ると、その人をジャッジするという視点でしかコミュニケーションをとれないので、その人の「話を聞く」ということができません。

そもそも欠けてない「人」を勝手な価値観でジャッジするのだから、そこに育つのは、自己否定だけです。

子どもに限らず大人も、自分の話を十分に聞いてもらった経験がある人はほとんどいません。

聞いてもらえない、わかってもらえない、が、自分を受け入れてもらえない、自分が人として存在できない、人を空間を社会を信用できない、につながっていく。

人としてこじらす元凶になったりする。

夫婦ゲンカもだいたいは「話が通じない」が原因。

子どもだけでなく、親も、おじいちゃんもおばあちゃんも、そのまたおじいちゃんもおばあちゃんも、先祖代々、「私の話を聞いてもらったことがない」のです。

「聞いてもらえなかった」亡霊が、子々孫々濃縮されて、現代の教育虐待やネグレクトにつながっている、と言っても過言ではありません。

「ただ話を聞いてもらう」だけのセラピーがあるくらい、人は「話を聞いてもらう」経験に飢えている。

「みんな違ってみんないい」は、全ての人々が求めている、自己容認なのです。

 

じゃあ話を十分に聞いてもらうとどうなるかというと。

空間への信頼が生まれます。

空間を信頼できると、自分を表現することができる。

つまりこれが自己信頼につながっていきます。

まさに、次男を見ていると思うことで、療育でただ遊んでいるだけのように見えて、親でない他人の「大人」に十分に受け入れてもらう経験を積み重ねていくことで、社会に対する信頼が生まれ、外でも自己表現ができるようになった。

だから小学校へ行っても、彼は空間への信頼があったので、何が嫌だったのか、をはっきり言うことができたんですね。

これができないとどうなるかというと。

「妄想」が得意になりますw

あの人がああ思っているんじゃないか、自分はこう思われているんじゃないか、という妄想から勝手に自己完結し、自分が勝手に生み出したものだけを信頼してしまいます。

そして勝手に「拒絶」という自己イメージを作りだし、拒絶を拒絶してさらに妄想膨らんで人当たりの良い自分を演じていく、そうです。

わーこれ全く自分に思い当たりがあり過ぎて( ノД`)、小学校から中学校丸5年間イジメにあった私の、このキョーレツな妄想癖はそこからきていたのかーーーーー的な。

 

そんなわけで思ったより順調な小学校生活を送っている次男様、これは小学校での通級は要らなくねえか?とも思ったんですが。

1年生から通級利用なんて他に誰もいないので、学校側はずいぶん色々準備してくださっていたようで、校長先生以下たくさんの先生たちからのさりげない見守りがあり、おトク感ハンパないです。

校庭に出てただ一列に並ぶ、という行為も、「誰かより速く並ぶ」という競争感を持たない次男は、昇降口から人がはけてからゆっくり靴を履き、みんなが並んでいるのを見渡してから、重役ペースで自分の所定位置にハマるw

そんな時彼はまさに満月理論で見ていただけているので、「ちゃんとやることはわかっているんだよね」と、彼のペースを尊重してもらえるのです。

これが「出来るのが当然」という視点だと、「早くできない」という欠陥でしか捉えられず、次男も期待に応えなくはならない抑圧で学校生活そのものが楽しくなくなることもあったでしょう。

私の住んでいる市では、療育関係の先生たちはわりと星山先生の講義を受けているそうで、共通認識があるのもスムーズに進む理由かな、とも思います。

「みんな違ってみんないい」

これを絵に描いた餅にしないためには、療育や通級を発達に心配のある特定の人だけを隔離するような位置づけでなく、全ての子どもが自分らしくいられるために子どもの話を十分に聞いて存在を受け入れる場として積極的に活用していくことが、これからの個の時代に必要とされるのではないでしょうか。

長男のように1クラス5人とかだとそもそも必要ないかもですがw

私もね、ずっと40人のマンモスクラスで横並びで育ちましたから、子どもの頃にそんな対応されていたら人生違ったのかもな、とちらっと思ったりもします。

子どもだって毎日色んなことが起こっているのに大人数の中で頑張ってへとへとになっている。

週に1回くらい息抜きして全存在をまるっと認められる時間を取ったっていいじゃないですか。

そうやって受け入れられた時間を充電にしてまた、元気に教室に戻っていける。

なぜか子どもは風の子的万能な扱いになってる風潮がありますが、子どもだって打ち出の小づちじゃないからねえ、大人と同じように悩みもすれば息切れもする。

人生で息切れしない自分のペースをつかむにも、療育や通級は大変有効ですね。

 

次男に関しては1,2年やってみて、軌道に乗っているようなら外していってもいいかなと思います。

だいたいは中高学年になってこじらせてから入ってくる子が多い。

「頭のいい子」ほど弱みを見せず頑張り過ぎて動けなくなってしまう可能性もあるので、「うちの子はそんなところに行くような子じゃないの!」という観念は外して、せっかくあるこの最先端無料システムを上手に利用する人が増えるといいな、と思います。

 

「子どもに『上手にやらせること』なんて、至極簡単だ」

上手にできることももちろん大事だけども、それよりも、生涯にわたり彼が彼として存在できて人生を楽しめるお手伝いができる幼少時代を送らせることができたらいいなと、日本の公立学校でもそういう教育も選択できるんだということを、広く知ってもらえるとうれしいです。

 

まあ今のところうちの男子どもは口を開けばうんこちんこうんこちんこ言ってて、こちらの影の努力が報われる気配もないんですけどね。

これいつ終わるのかな…終わらないのかなやっぱ……

 

次男劇の会と、長男1/2成人式と、次男卒園

皆さまおはこんばんちはです♡

いかがお過ごしでしょうか。

めっきり春めいてきて、うちのビオトープのメダカさんも動きまわり始めました。

冬の間は寒かったので動かず、ご飯も食べず、体もキュッと締まったお魚さんになり。動かないと食べないとはお魚さんは優秀ですね。反省。

魚類は変温動物なので寒いと動かなくなるけど、我々人間は恒温動物なので、どんなに寒くても体温を上げていこうする生き物。

だから身体が冷えると基礎体温まで体温を上げようと体力を消耗します。海でおぼれる人はこういう理由で体力が尽きておぼれるのよね。泳ぎが云々じゃなくて。

ここに「頼むから寒い恰好はするなあああ!!!」の根本的生物学的物理学的理由があるのでございますよ。

西原先生方式で全て口に入るものを42度まで上げて食すると、相当温存されて体を作る力に体力を回せるので、不妊の人は子どもを作る力も出るし子どもの不具合もなくなるし、アラフィフお母ちゃんのアンチエイジングになりますわよ。

お試しあれ~♡

 

長男10歳、次男6歳。

色々節目の行事が入れ食い状態の春です。

このコロナ禍で制限されつつもなんとか工夫しつつ最大限にやってあげたいという学校や幼稚園関係者の気持ちがビンビンに伝わってきて、本当にありがたいです(´;ω;`)

特に次男は年長で、3年やってきた成果刈り取りのとってもとっても大事な時期。

みんなの成長がこの年長最後の「劇の会」に集約されるので、どんなにミッションインポッシブルでもやり遂げるぜという園長の気合と決断が素晴らしいw

 

長男の幼稚園の時は行事らしい行事はほとんどなかったので、運動会はともかく作品展とか劇とか、必要?と最初はあまりピンときていませんでした。

確かに保護者に見せる「先生方の成果発表会」ならその時間もったいないから子ども外で遊ばせてくれと思うでしょうが、うちの幼稚園での行事は子どもの成長のための大事な大事なキッカケ作り。

そこまでやる?と保護者全員が感動するくらいひとりひとりにとことん寄り添い、子ども自らが「できた!超えた!」という気持ちを創っていくことに徹底してフォーカスしています。

だから地味だし、見た目「よくできた」劇ではないけども、ひとりひとりが成長した姿に母ども号泣で化粧流れてアラフォーのお顔が大変なことにw←平均年齢割と高めww

 

うちの地味男の次男様、年中さんの劇の時は、「やらない」の一点張り。

とにかく絶対やらない、やらない、やらない、で、本番一週間前にクラスの子が、ひとりでは恥ずかしくてできないから手伝ってくれないか、と言われ、それでも2日考えて、それならやってもいい、と、「ゆーりが承諾した!!」とお便りが回ったほどw

そこまで待ったもらったことに実は大きな大きな意味がある、と今になって知るんですが、そんだけゴネて彼がやったのは、ミミズに見立てた毛糸を咥えて右から左に走り抜けるフクロウさんの役、という、どこを見ていいか全くわからなかった年中の劇の思い出w

なのでね、芝居の内容もやる場所も環境もずっとレベルアップする年長の劇にうちの子が出るはずはないだろう、と、もう裏方でいいじゃないか、と、音響とかライトとかうちの子きっと役者というより監督タイプなのよと腹を括っていたのですが(実際どうしても出たくない子にはそういう任務が与えられます)。

なのに今年はなんと、最初からやるつもりになっている(゚д゚)

そしてなぜか最初から「村人役」チョイス。

もちろん主役ではなく、みんなで石を掘って石垣を積み上げるという地味~な役。

アレか、セリフのないその他大勢に紛れてとりあえず参加した感出してお茶を濁すつもりだな、と思っていたら。

その村人役にクッソ本気なんですよ!!

めっちゃリアルに鍬を振り、豆絞りで汗をふきふき、紙の岩をとんでもなく重そうに運ぶ!!

おマエ村人の劇団四季!!

そこに園長からのお手紙がささやく。

「子どもに役の上下はない」

目からウロコがポロンポロン。

そうか、彼は村人を、やりたくてやっていたのか。

「地味な役」と思っていたのは私で、主役を張ったりセリフの多い役をやることが「いいこと」だと、「良くできた子ども」で「他の子どもに勝っている」と思い込んでいたのは私で。

「先生の成果発表の劇なんてフン」と思っていた私の思考が一番、成果発表を期待していたんだな、と、愕然としました。

彼には、主役を張って目立ちたいとか、セリフをたくさんしゃべって高評価を得たいとか、そういうヨコシマな気持ちは微塵もなく、ただ自分がやりたくてこのチョイスだったから、ここまで真剣になりきれた。

他の子どもたちも、みんなで劇を作るということにひとりひとりが自主的にフォーカスしているので、どんな役も重要で、みんながひとりひとりに真剣にフィードバックしている。

役を決めるときも、やりたい子が複数出ると自主的にオーディションをします。

いつもは身体も声も小さい女の子が、どうしてもやりたい役に立候補し、オーディションしたら、「そんなに声が出るの!」というくらいすごい演技だった。

でも本人はそう言われてもキョトンとしていたそうです。

そのくらい人の「やりたい」という気持ちと「決める」という気持ちには、計り知れない力がある。

そこを引き出すために、先生たちが色んなタイプの子に徹底して寄り添う。。

みんながカオスになって劇の練習をしている隅っこの机でひとり迷路かなんかをやっていたうちの息子に先生が、「あれわけわかんないんだけど何やってるか教えて」と言ったら、めっちゃ詳細に状況説明したそうで、見てないふり参加してないふりして実は誰よりも前のめりで参加していた、次男。

こういう子もいるんですよ~と例に上がってたw

途中でいなくなっちゃうタイプの子には、とっとと覚えちゃって何度も同じことをやることが苦痛でいなくなったり、入り込み過ぎて疲れちゃうから自主的に避難したりと、言葉を発さないだけで個々の子どもには色んな理由がある。

それをただ、「その場に最初から最後まで大人の望む形で参加するのが良い子ども」という価値観だけで押し込めると、子どもの個性を読み違う。

参加しない子、座っていない子、いなくなっちゃう子、みんなそれぞれに「肯定的理由」があって、そこを尊重してもらった思い出が、子どもを大きく成長させます。

 

細かく書いたけど、同じ理由で悩んでるお母さんがいたら是非心にとめておいてほしいと思いました。

あ、うちの子そんな感じ!と思ったら、順調に育ってる証かもw

 

だってね。

人には、内側の自分と外側の自分がいると思うんです。

「ホンネの自分」と「タテマエの自分」。

それ自体は普通のことで、良いも悪いもない。

どちらも同じだけ大事にできるか、が、人生が楽しいか楽しくないかのコツなんじゃないでしょうか。

何言われても「どっちでもいい」と人と合わせているのは、タテマエの自分だけ大きくなりすぎて本当にやりたい人生を歩めないですよね。

大人の都合の良い子どもを演じていると、「どっちでもいい」という発言ばかりになる子どもになる。

自分をあきらめてしまっている。

ただ座れる子どもを作るなんてとても簡単だけど、座りたくて座っているのか、座っていると褒められて評価が上がってお母さんが喜んでくれるから座っているのか、は、座っているという事象は同じでもどっちの自分を大切にしているか、という面で大きく違ってきます。

我々昭和の世代はただただ箱に押し込められてきた教育だったけど、これからの子どもたちには通用しないし社会も人に求める部分が大きく変わってきているので、自分をあきらめてしまった人材自体が通用しなくなるんだろうな、と感じてます。

 

「待ったもらったことに実は大きな大きな意味がある」

と先ほど書きましたが、これがどういう意味を持つかと言うと、

「自分で決めたことはやり遂げる」

という、人の特性の根幹に関わってくること、ということなんです。

だから、「決める」という力を育むことがとても大事になってくる。

決めるところまで待ってもらうと、どんだけ大人が悠々の時を感じようとも辛抱強く待ってもらうと、最後の最後で、人は自分の言葉で語りだす。

パパッと決められる人もいるけど、半分くらいは「周りを待たせているから」妥協が入ります。

うちの次男は年中でぐじゅぐじゅした分、ものすごく「決める」力がついてきたなあ、というのと、私も彼の本音を引き出す「コツ」をつかみました。

彼は靴を選ぶのも、とても時間がかかります。店員さんに一度ご退室願うくらいw

でも時間がかかるのは、彼なりに見た目と履き心地と走りやすさを熟考しているだけで、一度決めるともう他の靴には見向きもしません。

ただその靴を愛します。

大人である私は色んな事情からどうしてもせかしたくなるのですが、彼が「決める」ところまで待ってあげると、あとがとてもスムーズであることに気が付きました。

 

極めつけは。着物。

次男が劇で村人役をやったのにはもうひとつ、実は「着物が着たい」という気持ちがあったのです!こだわるところソコ!?って感じww

衣装合わせでワクワクしながら衣装を着たら、村人なんで、彼の予想に反してモンペだった。

彼にとっては「モンペは着物でない」という判断だったらしく、珍しく文句を言っていた。

一応と思って担任の先生に掛け合ったのですが、「いやあ村人はモンペじゃないと岩が運べないしねえ、ゆーりに言っとくわ」

劇の話はここは終わったのですが、それでも私が気になったので、

「ゆーり、着物が着たい?」

「うん、着たい」

「卒園式、着物着る?」

「うん、着る」

「言ったね?今言ったね?着るね?絶対着るね?言ったね?じゃあ言うけど、うちの園で着物着るのって他に誰もいないと思うよ、多分アンタ一人だよ、それでも着る?」

(ちょっとひるんで)

「うーん、どっちにしようかなあ、神様に聞いてみよう…、ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な、……着るって、出る」

「結局着たいのかw、じゃあ予約するぞわかったね?」

 

というやり取りからの、コレ↓

 

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 見事にやり切りました。

彼は見事に、「自分で決めた」ことに対して、やり切りました。

そして私も、彼の本音が出るまで、ここまで待つことができました。

私にとってこれほど感慨深い着物はないんですよ~!!(´;ω;`)

(大人からしたら結構なくだらないレベルの話だけど)この着物姿は3年間の集大成、色んなことが報われた、この瞬間でした。

卒園に着物は長男も着たけど、アレは私が「着せた」、だから長男は「ママが着るなら着る」と条件を出した。

あのころはそんなことも考えもしなかったからねえ。

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 このころ絶賛授乳中で、どうやって着物で授乳するかで盛り上がった思い出がw(正式には身八つ口というウワサ…よっぽど巨乳か伸びる乳首か志村けんじゃないと無理な気がする)

 

人は自分で決めると、自分の行動に責任を持ちます。

どんな小さなことでも人に決められたことをやることは、抑圧になる。

だから他人軸になり人の評価ばかりが気になり、自分の人生を歩みにくくなる。ああ耳が痛い…( ノД`)

だから折あるごとに園では「決める力がついたかどうか」を見ている、と言われていたのか、と卒園近くになってようやく気づきました。

子どもひとりひとりの決める力を引き出すために、最大限のサポートをする。

次男は、100人近くいる卒園生の中でたったひとりになろうと、自分のやりたかったことはやり切ることができた。(結果的にはうちの子含めて袴姿が5人もいたんだけど…流行ってんの?)

自分で決めることができた。

これから先小学校へ行って、想定できないような色んなことが起こるでしょうが、この「決める力」を持っていれば、どこへでもやっていけそう、という自信があります。

子育ては色んな悩みが尽きないことが普通のことだと思います。

この子はどうしたらいいのか、どうなっちゃうのか、親の心配は尽きないでしょう。

そんな時、「私たちの役割は、子どもが自分で決められる力をつけることだけだ」というところだけにフォーカスすると、子育ても迷子になることが少なくなるんじゃないかな、とこの園に3年間お世話になって感じたことです。

そして、親や大人の都合に合わせるのでなく、子どもの決めるところを待ってあげられる社会が実現すると、いいですね。

 

長男の1/2成人式も、子どもたちがやりたいことをできるだけ実現させてくれた式でした。

子どもたちが自分で企画進行し、自分たちの言葉で語り、みんなで作り込んだ、気持ちがたくさん伝わってくる素晴らしい式でした。

休み時間も自発的にずっと話し合ったり楽器の練習をしたり、先生方もこの状況で開催の決断そのものが大変だったろうに、子どもたちに任せここまで見守ってくださって本当に感謝です。

保護者と子どもの間でお手紙の交換したり、決意の言葉を述べたり、みんな精一杯頑張っていて、ここまで大きくなったんだなあと感慨深いです。

子どもたちが大好きなお父さんお母さんに喜んでもらいたい、という姿がたくさん伝わってきて、やっぱりぼろ泣き~

1/2成人式って言い得て妙だなあ、ちょうど10歳って、方向性が変わっていく節目なんでしょうね。私の子どもの頃はなかったから羨ましい。いつの時代ってツッコミはなしでね?

今までの子どもたちの世界でのベクトルは親でした。彼らにとっての社会=家族だったから。

この目がいよいよ社会に向いていく。ここまで十分に家庭で存在を認めてもらった子どもたちは、その自信をバックボーンにまっすぐに社会へ目を向けていけるでしょう。

これからはお父さんお母さんが大好きと言う気持ちをそのまま、社会に向けてほしいなと思い、以下の言葉を送りました。

 

「恩送り」という言葉があります。

良いことをされた時その人に「恩返し」をしないと、と思うと、世界が広がっていきづらいですが、その気持ちを是非、他の人に送るという「恩送り」をしてください。

お父さんお母さんに返そうとするのではなく、これから関わる全ての人達に送ってください。

そうして、住みやすいステキな社会を自ら創っていってください。(めっちゃ要約)

 

 これから大きく変革していく社会に生きる子どもたち。

自分たちの力で思いやりにあふれた社会を創っていってほしい。自分のことは大棚にあげますけど…

 

 

最後に、

次男卒園アルバムに書いた、寄せ書き。

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今だけを生きる彼らしい発言だなあと思いましたw

さあ~次は小学校だ!

まだまだネタは満載だ~!

 

ではまた次回~

いじめって何?~コミュニケーション能力を鍛える~

遅ればせながらあけましておめでとうございます。

今年のお正月はどこも行かずにお家で過ごした、というお宅は多いんではないでしょうか。

うちも例に漏れずでこんなに出かけない正月は何年ぶり?何十年ぶり??

去年の年末年始は、長男はダンナ実家へ次男は私の実家へ奉公に出したので久しぶりに家の中に子どもが不在で、あのね、子どもがいないとね、家の中が散らからないんですよ!

私が片付けた、まんまの姿で部屋の中が何日も変わらないの!

散らかす人がいないんだから当然といえば当然なんだけど、そんな当たり前の物理の法則すらすっ飛ぶほど、子ども2人の破壊力は強烈なわけですよ~

そして、去年ラクをした分だけ、どこいかず子どもフル出場な今年の正月の破壊力は倍率ドン。

それでなくてもヒマさえあれば段ボール工作している兄弟、色々すっかりあきらめたので正月の記憶がすでに消えてますわ私。

何してたんだっけか?

そうそう年賀状と、消しゴムハンコを作ったわw

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いやね、長男の冬休みの宿題が消しゴムハンコを作る、で、なんだよその楽しそうな宿題昭和はそんなエンタな要素のある宿題なんか出たことなかったぞと対抗心がフツフツ沸きまして、次男のためという名目で母が創作意欲を消化させていただきましたよと。次男大喜びw

 

入学当初5人で始まった長男のクラスですが、なぜか順調に転校生が増え続け、今やなんと10人になりました!

プロパー数の2倍になるって何気にすごい。

本人たちは、最初は「人数増える!」って喜んでいたものの、だんだん「このくらいでもういいよ」モードに。良い経験をしてますなあw

要するにあの、日本で一般的な教室のサイズでの上限人数は、10人ってことなんだろう。ナチュラルソーシャルディスタンスw

そりゃね、何事もスペースに見合った「人数」というものがあると思うのよね。

うちのザリガニのザリジェット君だって、ハウスに見合った大きさにしか脱皮しない。水槽のサイズアップすると急に脱皮すんのw

椅子が入るだけ箱いっぱいすし詰めにすりゃ効率的かと言ったら、満員電車と一緒でストレスも軋轢も爆上がりするから返って悪くなる。

もうそろそろこんな昭和なやり方は終焉して良いんだろうなあ。

 

というわけで当初は男子ばかり5人だったのに、いまや女の子も4人に増え、なんと長男に彼女ができました。

告白されて、付き合うことになった日、帰ってきて開口一番、

「パパ、告白って何?付き合うって何?」

意味わからず承諾したんかいお前~💢

しかし放課後公園で一緒に遊んだあとはおうちまで送っていき、その時彼女のカバンを持ってあげているそうで、そんなこと1ミリも教えてないのに、なんなら私のカバンだって持ったことないのに、お前のどこの潜在意識に入っているんだそのデータは。

 

狙ってここまで少人数な学校に入れたわけではないのですが、結果的に少人数でよかったな、と思ってます。

最初男の子ばかり5人でスタートした長男のクラスですが、5人の中でしっかり信頼関係を築いた後、少しずつ転校生が増えたので、ひとりひとりとじっくり関係性を築くことができた。

転校してくる子たちは明らかに「カラーの違う子」たちなのですが、一つの価値観で撥ねたり仲間に入れたり、ということではなく、クラス全体でその子そのものをまるっと受け入れるので、転校してきた子もなんというか「浄化」される気がするのですね。

考えてもみて、自分が若干6歳や7歳で誰も知らない人ばかり40人もいる環境に突然入って、「みんなと仲良くしましょう」的なプレッシャーをかけられたら、どうやって集団の中で自分を位置づけ40人とうまくやっていくんでしょう?

大人だってめちゃくちゃ高度な政治力を求められると思いますよ。私無理だったのでこの人生の歩み方だったりするんですがw

そんな難しいところで一日の大半を過ごし親の期待を裏切るまいと子どもなりに一生懸命頑張ってきた子が転校してくると、新しいクラスでどうやって自分を受け入れてもらうか、自分の活路を見出すかと、色んなことをするんですね。わーおばちゃんその気持ちわかるわ~私は一度しか転校してないけどあれすごいプレッシャーだったなあ~転校が多かった人は本当に大変だったんだろうなと想像にかたくない…。

でも、受け入れられようと頑張らなくても、クラス全体にまるっと受け入れてもらえると感じていくと、だんだん落ち着いてくる。

自分は自分のままでいいんだな、と、クラスというパズルのピースのひとつにちゃんとなっていくんですよね。

そんなパズルにずっとハマってこなかった自分にとっては大変羨ましい環境でございますよw

 

でもここに至るまでにはやっぱり彼らなりの紆余曲折を通ってきていて。

それなりにトラブルもあるんですが、ちゃんと超えてお互いの凸凹を認め合っているんですね。

私は長男の友達への向き合い方に感動すら覚えていて。

彼には大好きな同級生がいます。あ、男の子ね。

ある日ちょっとした勘違いによるトラブルがあり、先生に呼び出されてこっぴどく怒られてしまいました。

「ボクは話が大きくなるのが嫌なんだ」

と、子どもの関係に大人が出てくるのを最も嫌う息子は「もう〇〇君とは深く付き合うのはやめる」宣言をしました。

と思ったら翌日夕飯を食べながら、

「やっぱり僕は〇〇君が大好きだから、もっと深くつながりたいんだ」と、いや私だってこれだけ生きてきて人生で一度も発したことないというかっこいいセリフを吐きやがり。

次に別案件で問題が起きたとき、「大人に言わないで僕たちで解決しようよ、そうすると成長するよ」とのたまったらしい。

〇〇君も長男のことが大好きで、いつも長男のことを気にかけてくれているイケメン野郎なので、その言葉もちゃんと心で受け取り、それからは何かがあってもまずお互いで解決策を話し合うようになったそうです。

ええ話やあ~と親バカ全開ですみません。

でもね、こんなコミュニケーションが取れたら、そもそもイジメってなに?って話になりません?

 

市の教育委員会からこんなアンケートが配られたことがあります。

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 長男の夏休み宿題なんですよこれ。

普段プリントものはほどんど目を通さない放置親ですが、「保護者から一言」書く欄があるから見ざるを得ず。

もうね、長男が書いた答えが明らかに

「こう書いておきゃ文句言われずに通るだろ」

文なわけ。

教えられたとおりの聞こえの良い美辞麗句並べてるだけだから、文法がめちゃくちゃ。

こんなもん先生はダマせても親はダマせません。

 

「言いたいことはわかるんだけど話がつながってないからさ、もう一回自分の頭で考えて書きなよ。本当にこう思っているんでしょ?」

「…うん」

「別に内容変えろって言ってるわけじゃないんだって、話が通じるように書き直せばって話よ」

「…うん」

消しゴムで消しても、鉛筆進まず。

「だってさ、これ、何回読んでもなんて書いてあるのかわからないんだよ!『どうすれば誰かに話ができるだろう』ってどういうことなんだよ!?」

おお、君、よくそこに気づいた。さすがだね。

「どうすれば、誰かがいじめられていることを誰かに話せるの?」

「…勇気を持つこと?(←模範回答)」

「じゃあそう書けば?」

「…うん」

「誰が?誰が勇気を持つの?」

「……、僕?」

「そう思うんならそう書きなさい」

というわけでこの、取って付けたような回答になったんですがw

 

そう、わざとなのかそうでないのかこのリーフレットは、「誰が」という主語が、わりとあやふやなんですよ。

長男は幼稚園で、トラブルが発生した時大人を頼らず自分たちで解決することを訓練しているので、『どうすれば誰かに話ができるだろう』などというこの主語のないお題の意味が、本気で何を言っているかわからないんですね。

「いじめを見たときは大人に言え」とは、先生たちが命がなくなるような事態を真剣に避けようとしてくださっているのはとてもわかるのですが、あまり根本的解決にはならないように感じます。

私子どもの頃いじめられっ子最前線だったからわかるけど、大人に言うと問題って地下に潜っちゃってこじらせちゃうんだよね。

いわゆる「チクる」ってやつ。

「自分の言い分を聞いてくれない」は、いじめっ子もいじめられっ子も思ってるわけですから、一方の見方だけで悪者にされるんであれば、当然承服できず矛先はさらに鋭くいじめられっ子に刺さっていきます。

いじめをゆるさない、がすなわち大人に報告しなさい、では、どちらも解決策を自分の頭で考えることをやめてしまいます。

子どもの社会は大人の社会の縮図であるならば、いじめ問題が発生したのなら、大人も、大人自らが自分と向き合うきっかけになります。

この場合の本当の主語である「誰が」は、大人である私たち。

つまりリライトすれば、

「大人がどうすれば、子どもは誰かに話ができるだろう」

ですね。ほら、すっきり入るでしょう?w

 

というわけで、文句ババアから一言。

「『私は私のままでいい』『あなたはあなたのままでいい』ということを全ての人が受け入れられれば、いじめはなくなりますね。自分を信用し、仲間を信用し、勇気を持つ。自分や人のありのままを認め合える、そういう社会や教育であってほしいと願います。」

 

自分の属する集団を信用して、ありのままをさらけだせるかどうか。

クラスという集団を信用できている長男のクラスでは、だからありのままを受け入れ合うことができる。

つまり、傷ついた仲間を癒せるのは、仲間だけなんですよね。

親や先生じゃない。

これが「大人を頼らない」という本当の意味なんだと思うんです。

次男の幼稚園もそこをわかっているので、徹底して訓練しています。

お受験でも早期教育でもなく、これが幼少期という一番大事な時に一番訓練すべきことだし、幼少期にやれておけばあとは勝手に自走してくれると、10歳まで育ってこうやって芽吹いてきた長男を見ると思うのですよ。

 

認め合うということは、固定の「こうあらねばならない」という価値観が薄いということ。

柔軟性があり、そこに競争意識は全くない。

対して先生という世代には、まだまだ「ねばならない」が強い。

しかし次世代の子どもたちにそんな競争は必要ないので私はむしろこのまま好きなことをして過ごしてほしいと思ってます。テストも通知表もいらねえ~

 

良く言われることですが、自分の真ん中と繋がっていれば、ブレることがありません。

自分の真ん中と繋がるということは、自分の好きなことを好きなだけする、ということです。

長男は放課後になるとうちの仕事場と隣の公園で、毎日真っ暗になるまで同級生と遊びます。(そのあと彼女を家まで送っていくんだけどさ、彼女のカバン持って←まだ言ってるw)

このくらいの年齢になるとイマドキはお習い事や塾で遊ぶ友達が減っていくそうですが、この子らはむしろ友達と遊びたいのでお習い事を減らすというw

友達とアホほど遊び、バターになるまで鬼ごっこをする、今この人たちに本当に必要なのはこういうことなんだなあと感じます。

将来へのアレコレは大人が勝手に後付けしたものに過ぎなくて。

人生は過去でも未来でもなく、今という瞬間の積み重ねだということを思い出させてくれます。

アホだからね、うちの仕事場でかくれんぼしてゴミ箱からガキが出てくるとか、宿題を公園の砂の上でやって真っ黒にしてるとか、ほんとこいつらアホですけどね?

 

春になったら、釣りが大好きな子どもらのピアノの先生に、船釣りに連れて行ってもらう約束をしています。

今までは次男がまだ小さかったので親同伴必須、しかしダンナも私も乗り物酔いが半端なく(私なんて電車ですら酔う)、船なんてとんでもないと敬遠してたんですが、大きくなったので子どもだけ連れてってくれるという有り難いお言葉♡

私のお友達のお子さんはずっと魚つりばかりしていて、大学はお魚研究室にいるそうです。さかなクン的なw

本当にしたいことをしているその先に、本当にしたいことをする人生が見えてくる。

別にうちの子たちにさかなクンになれとは言わないですが、そうやって人間は自然の一部であることを実感しながら日々を楽しんでいれば、おのずとやりたいことが見えてくるのでしょう。

そうやって仲間と繋がり自らを自然の一部であるということを忘れず心と体で対話をしていれば、狭い世界で小さなことで諍いが起こっても、自らの命を危うくすることもないと、思うんですよ。

 

 

自分と一致すること

おはこんばんちはです。コロナ風邪騒動の中、お元気でお過ごしでしょうか。

先日わたくし、生まれて初めてディズニーのチケットをネットで取ろうとトライしましたが、どんだけ張り付いてもアクセスすらかなわずあまりに歯が立たなくて世間の分厚さを体で実感しました。みんな根性すごいわ…私なんて足元にも及ばん。いくらババ孫コンビのためとはいえ、これ以上はムダにスマホ老眼を加速させるだけなので断念しました(´;ω;`)

行楽地にはいつもふらっと出かける我が家。

家出て現地着くのが夕方とかwなのでディズニーもアフターなんちゃら専門。

ところがこのコロナ騒動で色んな施設が軒並み予約制になっていることを全く学習せず毎度子どもらを泣かせているので、たまには予定のある行動をしようと心を入れ替えたら、コレ。

近くのプラネタリウムも予約制なの知らずに行ってたまたま空いていたので入れましたが、「3席空けて座ってください」と言われ、「ええ?四六時中顔を舐めまわしているような自分の子どもと、プラネタリウムに限って離れて座れと?!」と周りを見たらカップルも離れて座ってて、いちゃいちゃしにきたのにあら残念と思ってしまいましたとさw

 

そんなご時世の中ではありますが、次男幼稚園が無事に運動会を開催してくれました♡

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「密にならないよう」と綱引き競技が玉入れに変更になってましたけど、玉入れこそ我を忘れて密にならないかね?綱引きの方が少なくとも秩序が乱れることはないよね?と小一時間。まあそんなことはどうでもいいんですが。

もうね、特にうちの園では年長の運動会は3年間の集大成のひとつであり、醍醐味であります♡

子ども自身もそうですが、親も、わけもわからず自分の子の「出来る出来ない」だけ観覧していた年少時代とは違って、幼児教育とは何かがなんとなくわかってくるこの年長時期の運動会は、我が子のみならずクラスの子たちの成長ぶりに自分の子でもないのにみんなが涙するのですよ。

うちの園では、保護者に、数日前に行われる運動会の予行を観覧することを推奨してます。予行から本番のたった数日間に、子どもが大きく成長するからです。その数日で子どもたちの本気とか覚悟が決まるんだよね。

 

しばしば、次男のマイペースっぷりをここで吐露させてもらってますがw

わかりやすい長男と違ってマイペースな次男自身、はてどこまで運動会を楽しめるのか、若干(というかかなり)不安ではありました。

 

種目は、

・とびばこ

・荒馬

・リレー

の3つ。

 

の前に。

私には「開会式」という大きな関心ごとがあるw

開会式の準備体操として「できるかな体操」というのを全学年でやるんだけど、予行の時ひとり後ろを向いてふざけたりしてほとんどやらない人発見…うちの次男様だw

担任の先生いわく、「ゆーり君はこういうのがバカバカしくてやってられないんだよ」だそうで、そんな話を運動会直前の懇談会でシェアしたら、開会式のできるかな体操の時だけピンポイントに次男の注目度が上がってしまうというww

お前な~世の中というのはな~恥ずかしいからってやらないと返って目立つんだよ~~

おかあさんといっしょ」をちゃんと観せておけばよかったと今さら後悔…だって「だんごむし」って歌えばほぼ日本中の幼児が一斉に転がるじゃんw

でもシェアしたおかげで「私ゆーり君のそういう気持ちわかる~」「うちの子も実はそうだと思う、やってはいるけど」という本音の声も聞けたのでした。

まあね、母親の歩く道がずいぶんとナナメですから、子どもにまっすぐ歩けという方がおこがましいわな。

 

荒馬とは、青森の伝統芸能で、収穫の時働いてくれた馬に感謝する踊りだそうで、うちの園の伝統行事です。

毎年運動会で年長さんが披露し、終わると使った荒馬を年中さんに引き継ぐ儀式があります。

ほとんどの園児が年長の馬に憧れを持つ中、荒馬なんぞ全く箸にも棒にも掛けなかった次男様でしたが、今年はどういうわけか「今までの中で一番楽しい!」とのたまい、「荒馬やるよ~」の掛け声に誰よりも早く集まるハマりっぷり。

演技にも真剣で、「ゆうりターン」と呼ばれるほどかっこよく回ることにこだわっておりましたw意外にナルシストだったかww

 

どうしても目に見える成果が欲しい親としては、「出来ない」「やらない」と主張する我が子を持つとやきもきする場面ですが。

出来ない・やらない、を受け入れられて初めて、自分から出来る・自分からやる、気が起きるようになる。

年中の1年を通して「やらない」を貫かれ、結構悩んだ1年でしたが、そこで彼の「やらない」を尊重しみんなに認めてもらえたからこそ、年長の今ここで花開いたように思います。

やらない子の親はモヤモヤするけど、いずれやろうとする力を信じることが大事。

園からも「いずれやろうとする力を信じて」もらったからこそ、彼は今年の運動会は自発的に楽しめた。できるかな体操も強制されたりやらないことで問題視されなったのは本当に有り難いw←園によっては、だよね?こういうの~

一説によると、2012年以降に生まれた子どもには、クリスタルチルドレンと呼ばれる子どもがたくさんいるのだそうです。

詳しくはググるとでてきますけど、周囲に迎合しないというか今までの価値観とは合わないというか、そういう特徴の子どもたちなんだそうです。

多分うちの次男様それw徹底して忖度がないww

そういう子どもが従来の箱に収まるかというと、微妙だなあ。と今さら小学校が悩ましい…

 

自分に集中しているときの次男は素晴らしいんです。走っているときでも荒馬でも、体にピーンと一本柱が通ってるみたいにキリッとしている。

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先日、現役大学生に魚獲りを教えてもらいに川へ行ったのですが(こういうの私はあまり教えられないから、魚獲りで家庭教師を雇ってみたw)、ゆーりの腰の入り方が素晴らしいと大絶賛され。

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普段はくにゃくにゃなんですよこの人。私と買い物しているときとかご飯食べてる時とかめっちゃ気が抜けてて、しばしば怒られる。

普段は気が抜けているくせに、自分に集中しているときの彼は非常に姿勢が良い。

お 前 は 羽 生 結 弦 か っ て の 。

 

人間、自分に集中しているときって、雑念がないんですよね。こういうのを神がかっているというのかな。今風に言うと「神ってる」w←長男がどこから聞いてきたのか時々使うww

自分の中の「神」と繋がっている状態なんだろうね。

そういう時人は、体がまっすぐになる。体が歪まず、自分の体の正面で作業をしている。

周りの目や評価を気にしたり、「やらねばならない」概念で動くと、体が歪む。

最近中医学を学びながらも量子をちょこっと学び始めているのですが、余計な概念や感情など波動の低い部分を体から消していくと、この体の歪みがどんどんなくなっていくんですよ。

歪みがなくなっていくと、自分の中の神がでてきて、そこと繋がっていける。

子どもはそもそも繋がっているものだけど、この世で色々な体験をしているうちに、知らず知らずに体に闇が溜まって歪んでいってしまうんですね。
だから大人になると大抵の人は「ねばならない」にがんじがらめで身体が歪みまくっていて、様々な不調の原因になったりする。

自発的でなく、大人が課題を「やらせる」というのは、この「体を歪ませる」行為にあたると思うのです。

お母さんが望むから、先生が評価するから、周りの人がやるから、やる、これは全部「外側からの動機付け」ですよね。

人間というのは、やらされることはたとえどんな小さなことでも抑圧や強迫観念になってしまう生き物。

勉強やお片付けも、「勉強しないと〇〇になっちゃうよ」とか「片付けないとおもちゃ捨てるよ」とかいうよくある強迫的な「しつけ」は、全く解決にはならないどころか子どもを歪ませてしまうそうです。

部屋中を荒らされる男子の親としては発狂に堪えないことではありますがっ。

わかってはいても、本棚の本全部出して秘密基地作られたりするとね、とっさに模範回答とか無理ですから💢すみませんね未熟な親でさっっ

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この笑顔……

 

だから子どもには、できるだけ「やりたいことをやらせる」。

やりたいこと=自分の中の神とつながる、ということ。

やりたいことをやっている子どもは自分の中の神と繋がっているので、自分に集中している。

子育てのコツというのは、やりたいことをやらせる工夫が必要、に集約されるのかな。

そこを大事にしてくれる家庭教育であり幼児教育であり学校教育であるかどうか。

大人の都合をはみ出たとき「発達障害」と切り捨てたりしないかどうか。

ただし、じゃあやりたいことがテレビやゲームだからってそこを手放していいかというと、アレは人が「本当にやりたいこと」から切り離す意図のあるアイテムだと思うんです。

つまり人を自分軸で喜びや楽しいことで人生を歩かせることを阻んで、闇に結びつけるためのもの。

他者に人生を支配されちゃうんだよね。自分の車のハンドルを自分で握れなくなっちゃう。

友達のダンナさんが毎晩結構な量の酒を飲んで、具合悪いって昼過ぎまで寝ていたのが、最近酒を減らしたら体も調子よく、酒を買うために散財していたお金も浮いて趣味の熱帯魚グッズを嬉しそうに買ってくるようになったって、人生の主権を自分に取り戻したんだなあ、良かったねって素直に思いました。

アイテムがお酒に限らずこういうことってたくさんあるんだろうなあ。

 

「生きている以上何者かにならなくてはならない」

というのが、現代の貨幣経済を生きる私たちの、最大の強迫観念。

現代の社会も教育もすべてここから始まっていると言っても過言ではないでしょうが、それが本当に生きたい生き方なのかしら?

人生をお金に紐づけすることが、すべて悲劇のはじまりなような気がする。

好きなことを仕事にするっていうのは、自分の神性をお金に換算するということで、人によっては逆に抑圧にもなったり。

大人の目から見て「良くできた子ども」というのは、つまり、「その時の社会の価値観にばっちり合った子ども」という意味で、歴史を振り返ればそんな価値観ほど流動的なものはありません。

その時の価値観だけに無理せず合う子どもって本当に一握りで、問題がないと思われているような子どもの大半は、外側の評価を取り繕うためにがんばってしまう。

何年か後に価値観が変わっていったときには、本当の自分に還れずに疲弊するでしょう。

いずれ世界はお金の要らない世界に移行していくと確信していますが、お金のためでない本当の生き方を問われたとき、我々の子どもたちが「自分と繋がっている生き方ができているかどうか」は、今私たちが自分と繋がった生き方をしているかどうか、に集約され、明暗をわけていくんじゃないかなと感じます。

大人の、なんとかしてあげたい、なんとかせねば、という心配する気持ちはわかるし有り難いけど、子どもをそもそも信じて待ってほしい、と長男の担任の先生にこっそり思う今日この頃…w

 

なんてマニアックなことを考えながら観覧していた運動会でしたと。

なにが素晴らしいって、子どもたちは勝ち負けでなく、仲間と支え合い、個の違いを認め合いながら成長しているのがホントに良くわかるのですよ。

年長になると、「帰りの時間です」とマイクで放送するという権限が回ってくるのですが、ずっとマイクを前に話せなかった次男が、つい最近ちゃんと喋られるようになって、その時同じクラスの男の子がお迎えに来た私を見つけるなり走ってきて食い気味に「ゆーりがピンポンパンポンちゃんとしゃべれた!!」と自分のことのように報告してきてくれまして。

この子は一般的には療育に通うタイプの子なのですが、いつもまっすぐ友達と向き合って、良いことも悪いこともストレートにぶつけてくる、純粋な魂の男の子なのです。

何が良くてなにが悪いかなんて本当に、ない。

子どもたちには光そのままの魂で成長してほしいな、と願います。

 

そして汚れた大人である私wは、自分に集中する時間を作って浄化するべく、一円もカネにならない趣味を作ろうと思いましたww

せっかく生まれてきたんだし。子どものように人生を楽しもう~~

 

 

 

 

うちの次男が素晴らしいと思う件その3

先月、長男がめでたく10歳になりました。

10年!

ひり出して10年ってか!早いようなそうでもないような~

 

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この数字ケーキは彼が1歳の誕生日から毎年続けて作っております。

今年から2ケタということでどないしようと頭抱えておりましたが、スフレパンケーキのレシピを友達に教えてもらい、この生地を1と0の型を作って流し込めば2ケタも楽勝!と言うは易し、そんなに簡単にできていれば今頃ククパにそんなレシピがあふれているはずでw

味は美味しくて大好評!本当は3倍高さがあったはずとかわざわざ言わなきゃわかりゃしないさ。

しかしこれいつまで作るのかしら私ったら。「15」とかでギブアップかなあ?

 

コロコロコロコロ騒がしいご時世、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

やれマスクをするだのしないだの、世界保健機構とかいう団体すらコロコロ態度を変えてますからね、我々下々のものが安定した対応できるわけはないですな。

学校も幼稚園も始まりましたが、学校の方の行事関係はもれなくストップ。

次男の通う幼稚園は、「行事は子どもを育てる大きなタイミング」と捉えているのでなんとかどうにかどうしてもやりたくて園長必死w

プールも入る。プールバッグを持って登園する次男を恨めしそうに見つめる長男。ほんと子どもって水が好きだよなあ~。←ちゃんとウエットスーツを着せてます♡ハイシーズンならともかく梅雨時の入水はチビにはきつい。

 

例年ならこの時期の年長さんはとっくに合宿へ行っている。

うちの園の合宿は「おとまり保育」なんてふわっとしたもんじゃなく、5歳児が2泊3日で御岳山という山へ登って山小屋に泊まるという、ガチな合宿。

今まで母と離れて寝たことすらないという園児も多く、おねしょの問題やら体力の問題やら親と離れた不安と寂しさやら集団とのかかわりやら全てを乗り越えるために母も子も向き合い、先生たちもひとりひとりの能力と超えるところをカスタマイズし子に「合宿行って楽しかった!」という思い出を生涯に刻むことに総勢でコミットするという、多分ちょっと普通では想像できないナナメ上な年中行事。

どのくらいカスタマイズするかというと、子どもによっては「この子に2泊は無理です」宣言を下され独自メニューを提案されるとか、一人でお風呂に入れない子には家族が近くの山小屋で待機してお風呂だけ家族と入ってまた合宿に戻るとか、前後の懇談会は暑苦しいくらい子育ての悩みをぶちまける涙涙の吐露合戦になったりなんかもうそりゃ私もこの園は初めてで初体験なので、何がどうでどの辺をどうすればよいのかも全くわからないですw

特にうちの子は、生活全般身の回りはとっくに自立してますしね、お泊りもなんなら3歳くらいの頃からばあばの家へしょっちゅうピンで泊まりに行っていますし、どの辺をどう心配してどういう力をつけさせることにコミットすればよいのか、みんなの涙の中でわりと宙に浮くっていう…←共感力の欠乏w

そんな園生活きっての一大イベントが、今年はできるかどうかの危機にあり。

今のところ2学期に日帰りで、の予定ではありますが、それもどうなるかわからないので、「合宿に行かなくてもつけさせたい力をつければよい」というますます私が困る展開になりつつあります( ノД`)

 

年長になると、グループ活動に「リーダー決め」という課題が入ってきます。

わけもわからず最初は結構な数の園児がリーダーに立候補するんですが、リーダーとは何をするのか?そもそもリーダーとは何ぞやと聞くと、「…背の高い人?」とか「走るの速い人?」とかなかなかほほえましい回答が返ってくるw

仲間で話し合っていくうちに、なんで自分がリーダーにふさわしいと思うのか、なんでこの人にリーダーをやってもらおうと思うのか、というディスカッションと通して子どもたちはコミュニケーション能力を磨いていきます。

何度か触れてますが、アクションがデーハーな母親(=私w)とは真逆なうちの次男様は、宇宙レベルにマイペースで地味な人。

わちゃっとした雰囲気も好きではないので、お部屋の片隅に専用のイス机を置いてもらい、そこで好きな迷路や折り紙なんかをしながらみんなの話し合いに耳だけダンボで参加しているそうです。

リーダー決め話し合いがあった時はもう、最初から全拒否で、話し合いにも参加したくない、リーダーはやりたくない、誰がリーダーになっても文句は言わない、と取り付く島もない。

「なんで嫌なの?」と聞いても、「どっちでもいい」とか意味不明な回答しか得られず、母は表面は平静を装っても脳内で息子の胸ぐらつかんで奥歯ガタガタの刑に処す。

しかし、幼稚園のおまつりに出店するおもちゃを作るリーダーを決めるときはなんと、「作るの好きだからリーダーになりたい」と立候補し、「ゆーりくんは作るの上手だからリーダーがいい」と周りも推してくれて、リーダーになったそうです。

いやあこの人は幼稚園にいる間はやらんだろうなあ、と思っていたので意外な急展開。

担任の先生に「私なんか変な圧かけましたかね?」となきついてみたら、「ゆーりくんは誰かに言われて動くような子じゃないですから」と明答されるw

そう、本当にやりたくないことはやらないし、興味がないことは本当に動かない。でもそれが興味があることであれば、やる。全くもって心配のしがいがないのですw

体調の上がり下がりも感情の起伏もほとんどなく、今の現状を等身大で、ただ自分に正直に生きている。

「幼稚園で好きなお友達は?」と聞いても、

「わからない」

「苦手な友達は?」

「わからない」

…………

「そうか!やっとわかった!好きとか嫌いとか、ないんだね君は?!」

「そうだよ、そうなんだよ!」

樹 木 み た い な や つ だ な お ま え 。

来るもの拒まず去る者追わず、なんでこれほどこの人はたたずんでいられるのだろうか。

 

自信とは、自己肯定感とは何ぞや。低い日本人にはわりと課題な人が多い。もちろんそこを上げることも園の活動の大きな狙いのひとつです。

コロナで延びたけど、年長イッパツ目の大事な行事に、「こいのぼり作り」というものがあります。

大きなこいのぼりをクラスの園児で共同制作するのですが、そこはまだ5歳児同士なので簡単にはいかず、ああしたいこうしたい誰々はああいったこうやったなど様々なドラマを生み出しながらひとつのこいのぼりを作り上げていく。

これも制作を通して園児同士の関係性を築く狙いがあるのですが、もう一つ重要なことは、「作るのは『みんなの』こいのぼりである」ということと、「みんなのこいのぼりを作るには年少年中で自分のこいのぼりを作れていることが必要である」ということ。

自分のものを集中して作った経験があるから、全体のものを作ることができる。

みんなのものなんだけど自分のものでもある、という気持ちが大事なんだそうです。

そうやって自分の属する集団を信用し、本音を言い合う練習をしながら自分のありのままをさらけ出し安心できる仲間集団の中で、上下関係ではない対等な関係を築いていく。

みんなで作るこいのぼりの中の、自分で描いて自分で塗った色に自信を持つためには、その前に自分の作りたいこいのぼりををとことん作っておく必要があるのです。

ワンネス、ですよね。勝ち負けじゃない、お互いに認め合い調和のとれた世界を築く。

ワンネスとは、アリの集合意識みたいなもので、ひとつひとつの個体が意識を持ちながらも全体で大きな何かを成し遂げていくことです。

めっちゃマウンティングする俺様なアリばっかりだったら、その集団は到底巣には帰れませんw

人と比べて勝ったの負けたの、人を否定したり自分を否定したりして競争していくことは、いずれ疲弊して心か体がポッキリ折れてしまいます。

自分を信用し、他者を信用し、自分の属する集団を信用して安心できるからこそ、大きな何かを成し遂げることができる。これが争いのない平和な世界を創るカギですよね。

なんかこう、偏差値教育の競争世代には耳が痛い話じゃありません?w

お友達の息子さんが魚とりが上手で、大学生の今でも週3以上水に潜ってひたすら魚とりをしながら、自分の人生でやりたいことは何か、模索しているそうです。

とうとう見つかったらしいですが、したいことをとことんやった彼は自信にあふれ、教えてもいないのに宇宙の真理を語り始めた。悟りってやつだそれ。

こんな風に生涯自分のやりたいことととことん向き合えるって、素晴らしいことじゃないですか。

子の将来を心配し「ああしなければこうなる、こうしておかないとああなってしまう」と抑圧するのでなく、ただしたいことを徹底してやることを見守るだけの親であれば、どんなに子どもの人生は楽しく光り輝くのでしょう。

自分が自信にあふれれば、当然他者をも認めることができ、マウンティングの必要もない。

こんな人がたくさん増えれば、地球に大きくてステキなこいのぼりが創られますね。

 

長男の幼稚園も、規模や形態は違えどマインドは似た感じのところでした。

毎日いろんな公園で遊ぶだけの幼稚園で、知育もお遊戯も何もなく、ただ徹底して遊んだ3年間でした。

その長男が10歳になって今どうかというと、彼も自分や他者を否定しません。私の子なのにw

彼はたまたま勉強が好きな子なので、学校は全部楽しいし、宿題もいつの間にか勝手に終わらせているので母はますます母の仕事が楽でありがたいです。

別にたまたま好きなだけなので、これが学校の勉強が嫌いでやらなくても、代わりに好きなことができれいればいいと、私は思います。次に控えている次男がどう転ぶかもわかんないしさ。

そして特筆すべきは、そういう肯定感は、クラスをも全部上げてしまうのです。

人数は少なくても問題がないわけではないクラスですが、いじめのようなことは一切発生しません。クラスメイトが学校へ行きたくないと保健室登校になっていても、みんなで付かず離れず待っててくれる。お互いにまるっと認め合っているんですね。

さらに歴代の担任の先生は全て「アタリ」を引いてくる。

波動が高いというか、良いクラスなんですよ本当に。ありがたや~~

 

自己肯定感というのは、身体が不快でも下がったりします。心身は一体ですからね。

おっぱいやミルクでできるだけ育て少なくとも1歳半までは離乳食を与えず子どもの体に徹底して不快を与えない、と言うのが私がやっている西原式育児でありますが。

やはり、「立ち返るところがある」というのは、逆境に強いよなあと感じます。

先日、子どもらと「おっぱい談義」になりまして、おっぱいはどんな味だったか?に、元おっぱい星人の長男は、とにかくとにかく美味しかった、と。ミルクは甘いしおっぱいも甘いけど、おっぱいはちょうどよい甘さというか、とにかく美味しかった、とアツく語られました。さてはおぬしまだ未練があるな?w

でもね、10歳になってもここまでおっぱいの味を詳細に表現できるって、幸せなことじゃないですか?

もう10歳になって色んな、こんなイチゴだらけのスフレケーキとか世間的に「美味しい」と言われるものを食べてきていても(野菜以外…)、今までで一番美味しかったのはおっぱいだったと、これ40のおっさんになっても覚えていたらすごいことじゃありません?

そんなおっさんになってもおっぱいの幸福感を持っていられるって、大きなギフトだと思うんです。だいたいおっぱいが足りないから不足感に苛まれるわけだから。

これからの人生、色んな荒波も襲ってくるでしょうけども、潜在意識でそんな満ち足りた幸せ感があってさらに記憶に残っているとしたら、人生に絶望することなく乗り越えていけそう。

それでただ楽しいことだけをやれる人生だったら、最高ですよね。

この星に生まれてきた目的を全うできそうな気がします。

 

好きや嫌いすらない、樹木な次男はさらにその上を行きそうですがw

徹底してやりたいことしかやらないこの人がどう頭角を現してくるか見当もつきませんが、ただ信じて見守れる親でありたいと、今は決意できる…かな?(´Д`)

とりま合宿でつけさせたい力を考えねば~

次男に関しては、「その人が信じるに足る人物かどうか観察する癖がある」と言われたことがあります。

時間がかかっても、この世はステキなことで満ち溢れていて、ありのままでただ楽しいことをやるだけの信頼できるところであることがわかれば、飛び跳ねる樹木になれるんだろうな。

それも最強じゃん(゚д゚)

 

 

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