「容れ物」の大切さ
またまたお久しぶりになってしまいました、皆さまお元気でお過ごしでしょうか?
今年の夏は、日本人を殺しにかかってきてるんじゃないかと思うほど異常に暑かったですね~
周知のとおり私は中医学を勉強しておりますが、中医学的に夏と冬どちらが身体に厳しいかと聞かれたら、迷わず夏だ、と答えます。
冬は寒いですが、着込めばなんとかなります。
夏はどれだけ裸になっても、それ以上は脱げません。
「汗血同源論」と言って、私たちは、血と汗は同じもの、と考えます。(これは現代医学でも同様に言うようです。)
血は体にとって大事なガソリン、大量に汗を流すことはすなわち、体にとって大事なガソリンがダダ漏れになってしまうことであり、どんなに工夫しても汗をかいてしまう夏は、どうしても体力を奪われてしまうのです。
それで夏の終わりには夏バテになり、秋に移行する季節の変わり目はたくさんの人が体調を崩します。
今年のこの異常な暑さが今頃の体調不良を大量に生み出している一因であり、それによる免疫の低下が季節外れの学級閉鎖を生み出しているのではと勘ぐっております。
(ちなみにエアコンの中にいればいいかと言うと、エアコンは足ばかり冷やすので頭寒足熱の逆の状態になりやすく、また外へ出るとその温度差で余計に多く汗をかいてしまうので、やはり体力を消耗していきます。)
西原式育児13年目の長男様。
そろそろ育児というには無理のあるお年頃になってきましたが、西原式で育った子どもがどのような思春期を迎えるのか、というところも皆さんにとって関心のあるところではないでしょうか。
うちの長男は成長が速い方ではないので、まだ体も小さめで声も高くて毛も生えてきておりません(笑)今度の合唱祭ではソプラノを歌うそうだ…お前は米良美一か。
ですが頭も口も発達してきて、中学生特有の小生意気さはちらほら見えてくるようになりました。
時々私と小競り合いはやりますが、今のところ理不尽に暴れたり反抗したり、ということはないです。
ないですが。
最近、「容れ物のクオリティってこれほど大事なんだなあ」ということをしみじみ実感する出来事がありました。
今までほとんど大きな病気をしてこなかった長男ですが、2学期に入ったころ、初めて大きく体調を崩しました。
中学生になり生活も変わり、初めての部活やテストなど慣れない中学生生活が始まり、体力がひっ迫していたんだと思います。
昔からアクセルしかない性格の長男は加減というものを知らず、それがプラスであろうとマイナスであろうとなんでも全力でぶち当たっていきます。
あまりにも部活が楽しすぎてのめり込み、さらに生徒会なんかにも手を出し、テスト前に先生が1日4時間勉強しろと言ったら大真面目に真に受けて怒りまくる。
「ママ!ママの時は1日4時間も勉強したの?!」
「したよ~、ただし、本当に勉強したのは30分くらいだけどねw」
というわけで、先生が何を言おうとうちでは勉強の上限時間は1日1時間ですww
長くやってもどうせ身にならんというのは私が自分の人生で人体実験したもんね。
それより若い頃の睡眠時間の確保の方が長い人生どれだけ大切かって話で。
加えてこの夏の異常な厳しさで、体力もジリ貧に。
2学期に入ったくらいから、なんかいやにハイテンションだな?と思ってました。
毎日感情の起伏が激しく、やけに動き回っていて、エンジンが空回りしているというか、冗談で、「アンタ注射でも一本打って来れば?」と言ってたくらい。
「陰極まれば陽に転じる」「陽極まれば陰に転じる」
これを陰陽転化、と言います。
なんでも物事は極限までいくと、その反対に一気に振れるという、この世の法則です。
体力の限界で体の材料を使い果たしてしまい、陽の気が極限まで高まっていた長男は、ある時一気に陰に転じ、内臓が動かなくなってしまったんですね。
車に例えればラジエーターの水が枯渇してエンジンがオーバーヒートして止まってしまったような状態。
消化器(胃・小腸・大腸)が一気にダウン、15分毎の水下痢と強い腹痛が2週間も続きました。
消化システムという工場が稼働を停止するとどうなるかというと、口からお尻までのホースに水を流せば、どこにも引っかからずそのままジャバジャバ出てきます。
そういう水下痢。
ウイルス的なものも疑って、症状が始まった早いうちに、実に数年ぶりに小児科を受診しましたが、レントゲンも炎症反応も正常で、お医者様も「…夏の疲れの胃腸炎ですかねえ」と。
こんな風に体調を崩された経験がなく、ここまで手だてがないのも初めてだったので、正直死んじゃうんじゃないかとすら思いました。
中医学的には、腎に入っている「命門の火」が陰陽転化で消えてしまい、三焦という消化器全般がシャットダウンしてしまった状態でした。
再点火する手段があって本当に良かった…まだ若いからバックアップ電源も稼働しただろうしね。
自分で動かすにはコウケントーが一番効きました。ビバコウケントー!
最初のキッカケは、学校が終わってから家族でショッピングセンターへ行った時、車の中のエアコンで風邪をこじらせたんでしょう。
目的地に着いた時、彼は恐ろしく機嫌が悪くなっていました。
なんと、歩きながらその辺の看板にパンチを食らわせたり、フードコートのイスにわざと突っ込んでいって悪態をついたり。
物に当たるとか!こんなに機嫌が悪い長男は初めて見ました。これがウワサの積み木くずしか!?←古い
これは肝が燃えている!とその場で薬局に走って漢方(抑肝散)を買って飲ませ、肝が落ち着いたら今度はしくしく泣きだしてもう、暴走止まらず~
その夜から上記の体調不良で地獄の日々が始まったわけですが、この時のこの暴走を、本人は一切覚えていないのです!
肝火上炎で一気に燃えあがり、心臓に火か入ったのでしょう、こういう時は記憶が飛ぶので嘘でなく本当に本人は覚えていないのです…難しくてごめんなさい、興味ある方は是非、拙講座「はじめての中医学」をマイルドに宣伝♡
いや、そういう小難しいことが言いたいんじゃなくて。
私はこの時、肉体という「容れ物」の状態が、人格にここまで影響するんだ、ということを目の当たりにしたんですね。
中医学では、臓器の状態と感情は密接に関係している、と説きます。
陰陽平和、といって、この臓器の状態が理想的であれば、性格も非常に温和である、とされます。
体に不調のない子は育てやすい、これは西原式育児の大原則ですが、物に当たったり暴れたり、ということを一切したことがなかったこの子が、体調を崩してここまで人格が豹変するという、奇しくもここにきて中医学と西原式の共通点を体感してしまったのです。
逆に言えば。
幼児期にイヤイヤで手が付けられなかったり、思春期に暴れたり引きこもったり、というのは、こういう、自分ではどうにもならない制御不能な気持ち悪さがキッカケになっている可能性も大いにある、ということです。
誰でも体調が悪いときは「いつもの私」でいられない。
今回のうちの長男のように、肝火が心臓に入れば、記憶が飛んで、自分のやったことや言動を覚えていない、ということも十分に考えられる。
その辛さをわかってあげられれば、待つ、ということや、不問にする、ということもできますが、感覚というのは非常に主観的なものなのなので、周りの人間には、当人がなぜ暴れているのか、なぜ暴言を吐くのか、全くわからなくて右往左往したり強力に支配したり抑圧しようとする。
どっちの立場にとっても「わかってもらえない」という悲劇が、積み木くずしや学校崩壊という現象として現れても仕方がないように感じます。
この世界は意識が創っているので、意識が変わればもちろん見える世界も変わるのですが、肉体側からのアプローチでもある程度やれることはある。
中学になると先生方の子どもに対する対応も変わるので、子どもたちもその環境の変化に戸惑ったり思った以上に体力を消耗したり、ということはあるでしょう。
思い返せば、幼稚園でも小学校でも、入園入学してしばらくは、入院レベルで盛大に体調崩す子が何人かいました。
成長が追い付いて体力が復活してくれば戻ることもできますが、毎日意味を感じられないことを繰り返すのは大人でも我慢が必要なことですから、そのまましんどさに負けることもあるでしょう。
一概にその子を否定したり根性を振りかざすよりは、「戻って来られる」環境を整え、「聴いてあげる」ことなのかなあ、と思いました。
私たち人間は、「片方の目」でしか見ることができないから、自分の価値観やこだわりだけで他人を断罪しがちだけど。
だって本人だって一生懸命戦っているんだもんね。
長男はこの一件をようやく乗り越えましたが、瘀血による体の痛みがまだあちこちに残っているようです。
まあね、あれだけ「陰」を絞り出しちゃったんだから仕方ないかな、あとは自力で頑張ってくれたまえ。
病気をすると一回り成長すると言いますが、禍いも決して無駄ではなく、意味があって起こってくる。
成長したのかな、やっと新しい生活にもこなれてきたように見受けられます。
ただし、中学になると色々と理不尽なことに気が付くようになるので(笑)、無駄に怒りだした時には引きずらないように「抑肝散」が活躍しています。
しゅ~って鎮火するから、思春期にわりとおススメな漢方ですw
ちなみに。
騒動が収まって少しして、同じ症状を威力1/3くらいで今度は次男がやりましたww
幼稚園通して無敗だったこの人が1週間も学校を休んで、同級生を大変に驚かせておりました。
(先生へのメールに「鬼の霍乱」って書いたら副校長先生レベルまで知れ渡ってしまった…)
長男でシミュレーションできてたから、動揺もせず無駄なこともせずにひたすらコウケントーだけで乗り切りましたよと。
結論・やっぱりあってよかったコウケントー(笑)
↓病気療養中にヒマで作った長男作のオリジナルレゴバイク。ちゃんとラジコンだったり。中学になってもこの人のレゴ熱はまだまだ健在ですわ。
というわけで、皆さまも暑すぎる夏と季節の変わり目にはお気をつけてくださいませ。
ではまた~!
もうひとつの卒業
またまたお久しぶりになってしまいました。皆様にはお元気でお過ごしでしょうか。
私がブログをサボっている間に、子どもたちは、長男が中学生になり、次男が小学3年生になりました。
おふたりともとっくに誕生日という関門もくぐり抜けられ。
この手抜きたっぷりのケーキを見ていってやってください…。
次男は初めて、仲の良いお友達をふたり家に呼んで、パーティをしました。
なかなか個性豊かなお友達で、3人の関係を見てるだけで私の心の中のツッコミ鬼が止まらなかった…
まだ「人にあげる」プレゼントという概念がないのか、自分の宝物の組み立てペーパー飛行機を「作らせてあげるだけ」という斬新なプレゼントアイデアを持参、次男に組み立てさせた後は当然持ち帰ったり、お母さんに持たせてもらった水鉄砲のプレゼントも当然のように持ち帰ろうとしたり(お迎えに来たお母さんにドタマはたかれてたw)、その飛行機をあまりにも欲しすぎる他の友達が、交換条件に自分のお姉ちゃんを差し出そうとしたり…(人身売買か?)そんなやり取りの横でクスリともせず黙々と紙飛行機を作る次男。
なにそれあんたたち、学校でもコレなわけ?担任の先生が笑い死んだりしないの??
こんな日常をまとめる仕事を日々されてるかと思うと、先生という職業がうらやましいようなそうでもないようなw
うちのお宝長男様は、複数方面から毎年毎年色んなものをもらえる誕生日を13回も経験してきているので、もはや「欲しいもの」が、ない。
彼が欲しいものはもう犬鳥かスマホくらいなんだが、当然生体は禁止だし(命を贈り物にしちゃうような扱いはしない)、我が家はスマホもまだ与えるつもりはない。iPadで充分だし、仕事場で仕事用のハイスペックなパソコンを使わせてやっているので文句も言わせない。
「何が欲しい?」
「うーん、…寄席の切符が欲しい。」
という、シブいお答え。
以前、上野の東京美術館の特別展示を見に行こうと出かけたら、コロナの規制だかで予約なしで入れず、悔し紛れに近くの鈴本演芸場で寄席を見たら、すっかり気に入ってしまったのでした。
寄席の公演は普通、午前と午後に分かれていて、1回の公演が4時間という長時間。
小学生に耐えられるかしら?と心配だったんだけど、予想外に楽しめたらしく、しかも小学生が寄席に座っているのはとても珍しいので、ずいぶんいじってもらいました。
↑ワイヤー芸の芸人さんに頂いた、アンパンマンのチーズといったんもめん。いったんもめんが秀逸すぎる。
落語は、子どもの日本語の習練到達度を計る、良いツールだな、と思いました。
うちではダンナが落語が好きで時々落語や漫談をかけ流ししたりしているので、独特の言い回しや単語などがわかっているからこそ、寄席も楽しめたんでしょう。
普段「古典」に触れていない同級生なんかは、落語を聴いても全く日本語には聴こえないらしいです。言葉は生き物だから、時代とともにどんどん変化して、使わなければ廃れていくものなんでしょうね。
長男と同い年の幼なじみの男の子に、何も教えていないのに幼稚園の頃「歌舞伎を習わせてください」と親に土下座して、歌舞伎座まで歌舞伎を習いに行っている子もいるので、こういうのに興味が沸くのは持ってる素質もあるんだろなと思います。前世の記憶がちゃんと消えてないとかねー。
ちなみにそのあと、ちゃんと「形のある」おもちゃもしっかり要求されました。
大きな公園へ遊びに行ったらコレで遊んでいる子がいて、その場でおねだりされた。
玄関先で嬉々として派手に梱包を開ける兄弟…イージーローダーというのか?ドリフトができてとても楽しいらしいです。
https://item.rakuten.co.jp/gooddoors/drifter-x/?variantId=558
落語を聴くかと思えばまだまだこういうのが楽しい、お子ちゃまですわ…
さてさて。
タイトルの「もうひとつの卒業」とはなんぞやというと。
うちの次男様が、3年生になって「通級」を卒業しました。
1年生の頃からお世話になっている通級、去年の12月ごろに、「来年はどうしますか?」と打診がありました。
本人に「どうする?」と聞いても黙り込み、返答期限になっても明確な返事が得られず。
通級が与えた彼の変化は目に見えて大きく、もう必要ないといえば必要ないかもだけど、1週間のうち勉強から離れられる2時間の息抜きがあることがまだ彼にとっては有益なんじゃないかなと感じ、見切り発車でもう1年延長することにしました。
すると、とっくに次年度も申し込んだ2月ごろに、
「やっぱり来年は通級行かない」
と。
今言うぅぅぅ!?
そうか忘れてた、この人は寡黙なわけでも何も考えてないわけでもない、結論出すのに時間がかかるってだけだったわ!!
その昔幼稚園で、運動会に飾る旗を書くのに紙を前に3日も黙って座ってて、期限切れでしびれを切らした先生がやっと聞きだしたら、
「………、横顔が描きたい」。
そこまで待ってくれる先生方にも感謝なのですが~(私は待てないw)
通級に関して行きたくない理由を聞いたら、行ってる時間分勉強が遅れるのが嫌だ、と。
小学校から大学4年に至るまで一切授業を聞かないで出てきた私から見ると、本当に私の子?!と驚愕の発言w
みんなが漢字や筆算で頭を痛めている間、ゲームしたり工作したりフルーツポンチ作って食べたり、そんな魅力的な権利を自ら手放すなんて全く信じられないんですが、本人がそう言うんだからもはや卒業時なのでしょう。
ただ、手続きが間に合わないので、3年生になって1か月くらいは通っていただき、円満退級してきました。
通級には本当に感謝していて、彼が彼の意見をはっきりと言い、感情をしっかり出せるようになったのは通級のおかげでした。
「くやしい」と人前で泣けるようにもなりました。
今や彼はクラスでも人気者らしく(無害だからw)、先日忘れ物を届けに行ったら本人でないクラスの半分くらいの子が一斉に駆け寄ってきて私から届け物を奪い、我先に次男に届けてくれました…その後ろをゆっくりを歩いてくる次男、何その重役出勤みたいな態度(# ゚Д゚)私が用があるのはアンタなんだけど?
退級して不都合なことがあるとすれば、今までは通級に参加するたびに担当の先生と担任の先生で交わしていたお便りのコメントが彼の現在を把握するのにとても役立っていたんですが、退級したらそれが一切なくなってしまったので、それでなくても家で学校のことを話さない息子の現在地を失念しがちでそこがビビりますw
相変わらず今しか生きていないので、学校で起こった色々なことを家に持って帰ってこないんですね。
ちょっと人とコミュニケーションを取ったり距離感をつかんだりするのがが下手な転校生女子にしつこく付きまとわれているらしいんですが、それも同じクラスのママ友に報告されて知りましたもん。
「ゆーりくんね、心底うんっっっざりした顔してたよ(笑)」
本人に、そうなの?って聞けば答えるけど、別に家に帰ってまで自ら話すような案件でもないらしく。
この辺、長男は何かあるとうっとーしいくらい家で愚痴るので、同じように育てたつもりでもこんなに個性って違うんだなあ、としみじみします。
幼稚園の先生の、「2年くらい通級の下駄を履かせてあげると、この子はそのあとスムーズだよ」という予言がドンピシャでした。さすが海千山千。
通級も、園児みんなに勧めるわけでもなく、行かない方がよい子もいるらしいので(授業を抜けるのがストレスになるとかね)、その辺プロのアドバイスってすごいなあと思います。
うちの次男様の場合は、
「大人すぎた」。
生まれたころからお兄ちゃんしか見てこなかった次男にとって、同い年の集団はとても幼く感じ、どうふるまっていいのかわからなかったんですね。
「人ってね、実際の年齢じゃなくて、精神年齢が同じくらいの子とお友達になることが多いのよ、そうでないと話が合わないでしょ、ゆーりは身に覚えがあるんじゃない?」
と言ったら、深―くうなずいていました。
学校は実年齢だけで横切りするので、それで浮いてしまったりお話しできなかったり、という子はたくさんいると思います。
でも自分を表現する手段が拙いから、周囲にわかってもらえず、学校が楽しくなくなってしまう。
そういう多様性を鋭く見抜き、コミュニケーションを取れるよう訓練してくれる、決して「勉強が追い付かない子が普通級の子に迷惑がかからないようにおとなしくさせる」ことではない、という信念をしっかり持った先生方にお世話になって、本当にありがたかったです。
私も、「待つ」ということはどういうことか、を学ばせていただきました。
先日、道徳授業の公開講座がありました。
子どもたちが受けている道徳の授業を参観し、それについて保護者や先生方が意見交換をするという場です。
道徳の、「あなたはどう感じますか、この主人公はどう感じていると思いますか」という問いについて答えるのは、国語や算数という、答えがはっきりしているものとは切り口が違い、とても深く考える必要があって、子どもたちはすらすらと答えることができません。
見ている保護者にとってその姿はとてもじれったく、
「インプットがあってアウトプットがあるのではないか」(つまり子どもに答えを教えていないから答えられないのでは)という意見がいくつも出されました。
でもね、道徳の答えなんて、子どもたちも今までの人生の経験で充分培ってきていて、すでに彼らの中に持っているものだと思います。
それを言語化する難しさ、答えのない「答え」という葛藤、そこが道徳の授業の狙いであり、教えられたことをただ答えてできるできないを競う他の授業とは一線を画すものなんだと思います。
そうやって考えて子どもたちが自分の言葉で発するというのがかけがえのない人生の経験であり、親はそれをじっと「待つ」、という忍耐が要求される、私は次男を通じてそこを教えてもらったように思います。
答えを言ってしまうのは簡単ですもんね。
大勢の子どもたちをできるだけ同じように育て上げなければならないという環境の中で、「待つ」ということがどれだけできるかというと、先生方のご苦労がしのばれますが、少人数という環境と通級を通して最大限「待ってもらってる」次男がとても幸せに感じました。
あとは私の忍耐が育ってくれることを願うのみ…例に漏れず「早く早く」は口癖だし、運動会の旗に横顔描きたいって3日も黙り込まれたら、私ゃ待てる自信はないわいな…
というわけで、また次回~
みなさん、こんな亀速な私を待ってくれてありがとう(´;ω;`)
卒業しました!
またまたお久しぶりになってしまいました、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。
なんとなんと、うちの長男様が先日、小学校を無事に卒業いたしました!
このブログを始めるきっかけになった主人公で、あれから丸11年。
当時あまりにマイナーだった西原式育児を赤裸々に書くことで、これから実践しようという方に少しでも情報提供してお役に立てれば、と遅筆ながらも書き続けて11年、ひとつの区切りまで来たように思います。
入学時と同じ桜の木の下で。
「この学年は桜に始まって桜で終わったね」と副校長先生に言われました。
こうやって並べても、6年前とあんまり変わらないように見えるんだよな(笑)
「小ぶりでピカピカの子に育つ」と西原先生が言われるまま、確かに小ぶりで、健康上もトラブルの少ない男子に成長しております。
・12歳にして身長は140センチ弱です。これから大きくなることでしょう(笑)
・めだった疾患はありません。
・虫歯は相変わらずゼロです。ちなみにほとんど歯を磨いていませんw
(次男に至っては生まれてから多分5回くらいしか磨いていないけど、虫歯ゼロ)
ちょっと前ほとんど初めて歯医者へ行ったのですが、歯医者のイスに座ってうがい用の水をウエルカムドリンクと思って飲んでましたww知らんにもほどがある~
・運動神経はとても良いですが、同級生に比べて背が低いので、コンパスが短く短距離走や走り幅跳びが不利です。
・絵や工作、音楽がとても好きです。合唱の伴奏などもとても気持ちを入れて弾くことができます。
・耳は良いと思います。ベビーの頃からオルゴールを聴かせていたのは効果があったと思います。
・お野菜嫌いは相変わらずです…そろそろ克服してほしいところですが、からかい過ぎたせいかますます意地でも野菜食べない、になってしまっている…とくにブロッコリー…給食の野菜は食べてくるんだけどなあ~
・ipadで普通にお友達とマイクラにハマってます。なんであんなに好きなのか理解できん。
なにより一番、これは西原っ子の役得だなと思うのは、体に不快なことの少ない幼少期を送っているので、基本的に「邪」が少なく、このくらいの年齢になってもベースが無邪気であることです。
だから、老若男女にとても好かれます。
次男も同じで、攻撃性がなく「無害」な人種のフォルダに入るのか、常に周りに人が集まってくる状態です。
人は実は、自分自身を目の前の人に投影して視ているのだそうです。
ということは、自分に対して否定的な思い込みが多ければ多いほど、目の前の人に攻撃性を感じ攻撃的になり、人間関係の構築が難しくなっていきます。
コミュニケーションが取れない人の実態は、自分とのコミュニケーションが取れないことによるものだそうです。
体と心が一体であることを思えば、身体の不快が少ないことはイコール自身への否定が少なくなることに繋がり、否定的でない環境で幼い頃を過ごすことは、子どもの人間性を育てることにおいては非常に有利に働くのでは、ということを実感しております。
からだについては、自分のコントロールできる範囲で成長している、と感じます。
大きい事、背の高い事が良い事、のように見られる昨今ですが、体が大きくても精神が幼かったり、転んで簡単に骨折したり、というのでは、成長のバランスが整っているとは言えないかもしれません。
昔の日本人はそんなに背が大きくなかったと思うから、しっかり身が詰まっていればこれはこれでいいのかな、と思います。
あのね、成長グラフの角度がずっと変わらないんですよ。急に大きくなるとか横ばい期間になるとかないの、ずっと同じだけ地味~で緩やかな右肩上がり。
この人もこれから第二次性徴期という思春期がやってくることでしょう。
幼少期を邪の少ない環境で過ごせたこの人が、どのような思春期を過ごすのか、また引き続き定点観測してご報告したいと思います。
くそばばあ、のくの字でも言ったら首が後ろに回るくらいぶん殴る自信ありだぜ。
中学では吹奏楽部に入りたいそうです。
トランペット?ヤマトでも吹くつもりか?
中学生って青春だもんね。せいぜい謳歌してくれたまえ。
長男が数か月前に指先で描いたアニメーションを置いていきまーす。
テーマが「インコと戦闘機」(笑)
音はそのうち付けるそうですので、良ければ観てってやってください♡
それではまた~!!
自走式になった日
だいぶお久しぶりになってしまいました。
みなさまお元気でお過ごしでしょうか?
アップがうっかり年末マジぎりぎりになってしまいました…。
色々書いてはいたんだけど、書いては消し書いては消し、という癖が出てしまい~。
唐突ではございますが。
我が家の小2、小6の坊主どもは、公立の小中一貫校に通っております。
狙ってそうなったわけではなくて。
かつてこの辺りは、巨大な団地が建ち、たくさんの人たちが住んで、小学校は3つもあり、東京のベットタウンとしてそれはそれは活況を呈した地帯でした。
しかしベッドタウンの宿命として、一斉にこの地域にやってきた人たちは一斉に子どもを産み、その子どもたちは一斉に巣立って、急激に増えた人口は急激に減って今はすっかり過疎化、子どもの声はほとんど聞こえなくなってしまいました、一応東京都なのに(笑)
生き残りを図るべく地域の方々が一丸になって、3つあった小学校は実質ひとつになり中学校と一貫にして、子どもたちの学校は地域連携校として再出発したのでした。
小中一貫校だから、普通の小学校と何が違うかというと、そんなに違いはわかりません。
時々合同でやる行事があったり、中学部が小学部低学年に読み聞かせをしてくれたり、あと給食室が小学部にしかないので、お昼になると週の半分は別校舎にいる中学生がぞろぞろ小学部の校舎にやってきて給食を食べています。中学生は元々あった中学校校舎と小学部校舎にふたつ教室を持っていて、ゼイタクにスペースを使っております(笑)もう意図しなくても最初からナチュラルソーシャルディスタンスだもんねww
小中一貫校なので、我が校の校長先生は当然、小学校の校長先生でもあり、中学校の校長先生でもあります。
今年度から新しい校長先生が赴任され、慣れ親しんだ前校長先生は栄転されてしまって少なからず保護者には動揺があったのですが、PTAで新しい校長先生と座談会を開催するという初の取り組みを試み、新しい校長先生の考えや思い、これからどのような方向へ特化していくのか、など腹を割ってお話し合うことができ、大変有意義でした。
実はこの手法は私が次男幼稚園時代に入手してきたものを小学校で実現させたものですが、学校と保護者の距離を縮めることにとても有効でした。
やはり子育ては学校と保護者の両輪がうまく回らなくてはお互いに不満や疑心暗鬼しか生まない、ボクシングでも相手との距離を縮めると戦いにならないそうですが、お互いの意思の疎通に苦労されている全国の悩める保護者やPTAの方々には是非お勧めしたいです。
ちなみに月イチで「親が勝手に保健室登校の会」というものも企画開催しています。
養護の先生と保護者がぶっちゃけた性の話をしまくっていて、一見エロおばちゃんの昼呑みの会みたいな盛り上がりなんですが(笑)、だんだん子どもが成長してくるとそれに伴って悩みの質も変わってきているのに、内容が内容なだけに相談するところも手段もないというのを、毎回みんなで話して笑い飛ばして、すっきりして帰ってくる、という趣旨の会です。
あまりに盛り上がるので、とうとう養護の先生が他の学校の養護の先生におススメしているらしいです(笑)
というわけで、公立にしては楽しい学校ライフを送っている我が家です。
ただこの学校は隣の学区ですこし遠く、うちの子どもたちは30分ほど歩いて通っているので、放課後の友達との過ごし方が課題。
なぜなら学校から帰ってきても近所に学校の友達が住んでいないからです。
たまたまうちは学区内に仕事場があるので、長男なんかは朝は家から学校へ行っても帰りは仕事場へ帰り、友達と遊ぶことができています。
仕事場が男子小学生のたまり場と化しておる…広くない玄関が男子の靴で埋め尽くされ、臭い(゚д゚)
問題は次男。
今のところクラスの半分ほどの人数が利用している学童へ行くことにより、放課後友達と遊ぶ、という環境を何とか確保できているものの、コイツもいずれ学童を退所するときがくる、その時どうするか?と1年生の頃から漠然と対策を考えていました。
次男同級生にはうち以外にも学区外の子どもが多く、長男と同じようにうちの仕事場で遊んで、というわけにいかないので、ハードルは長男より高いのが現状。
加えて、積極的な長男とは対照的な静かな次男、「友達がいない」と甚だ誤解を招く発言をするようなマイペースな男なので(過去記事参照w)、なかなか近未来の姿がつかみにくいのです。
先日、学童にお迎えに行った帰り、次男が車に乗り込むなり、
「今度の土曜日、Kちゃんの家に遊びに行っていい?」
(……はやる気持ちを抑えて)
「いいけど、約束したの?Kちゃんは良いって言ってるの?」
「うん、遊びに来てって。」
「じゃあKちゃんのお母さんに連絡とってみるね。」
あのね、そんなことアタリマエのご家庭にはわかってもらえないかもだけど、私的には、
赤 飯 を 炊 き た く な る ぐ ら い
嬉しい案件でした!
初めて!自分で!友達の家に遊びに行く約束を取り付けてきた!!
やっと自走したーーーー!!
(この辺の話は次男幼稚園ママ友が一番よく共感してくれる、なんならママ友の方が涙にじませてくれたりする、そういう幼稚園~)
どうしても長男優先で、長男はいつもたくさんの友達と遊ぶ環境に連れていってやれてたんだけど、次男は抱っこひもに入れて連れていく扱いだったので、次男に対して同じ環境を提供することが難しいことに罪悪感を感じていたのでした。
幼稚園も小学校も遠いので、次男の友達を家に呼んで、ということはほとんどなかったんですね。ママ友とは濃密だったんだけど。
ある程度育つと、子どもによっては小学校にあがるくらいから、友達が命になる。
親は衣食住以外なんもできないんだな、と感じることが多くなる。
親がなんか言うよりは、友達や、親以外の大人の言うことの方が救いになったりする。
だから友達と学校以外でもつるめる環境がとても大事で、長男幼稚園の園長先生もそこを強く仰ってた。
友達と遊ぶなんてあたりまえにやってた昭和には理解できないんですが、今は子どもたちが遊ぶ環境も親が提供しないと難しい時代です。
それが良い悪いではなくて、勝手に遊んでも社会的にもスペース的にも大丈夫だった昭和とは色んな意味で状況も違うし、一概には語れない。
そんな中で長男界隈は、ママ友たちと協力して自走させてきたのです。
次男はKちゃんの家で2時間ほど遊ぶデビューを無事果たしました。
あまりにうれしかったので、
「今度うちでお兄ちゃん6年生たちが集まってクリスマスパーティをやるんですが、ご一緒にどうですか?」
とうっかり誘ってしまい、さらに他の仲良いお友達も誘って、総勢10人くらいのでっかいパーティになってしまいましたw
張り切って2台もケーキ焼いちゃったよ。
6年生組と2年生組に分かれてね、そりゃあもう家の中しっちゃかめっちゃかだけど、なんかすごい楽しくて、こういうのもお母ちゃんの醍醐味だよね、とヘルプに来てくれたママ友としっとりお茶を飲みながら暴れている子どもたちを眺めていたパーティでした。
通級のおかげか、ずいぶんしっかり自分の意見を言えるようになってきた次男。
感情を乗せず淡々と言うので、その場で終わり引きずりません。
うまいなあ…と、たいへんにコミュニケーションが下手だった自分の幼少時代と比べてしまいます。
まあ私の時代はそんなこと学ぶ方法もないし重要度も低かったもんね。
私もなんらかの特性があったはずなんだけど、フォーカスされず自力でジタバタしているうちに埋もれて感じなくなってしまったんだろうな。
特性なんてみんなあるよね。
自分らしく生きることにハードルの低い今の子どもたちの将来が、とても楽しみです。
↑自走長男。
6年生5人で初めて電車に乗ってしながわ水族館へ。
「あのさあ、中央線って、各駅停車なの?ずっと全部の駅に停まったんだけどさ。」
「(あ、それ言うの忘れた…)、中央線ってね、『快速』ってやつに乗るとね、なぜか各駅停車なのよ、『中央特快』ってやつに乗らないと急行にならんの。」
「……、クソがーーーー!!」
あの距離を各停で帰って来たのかそれはごくろうさまだw
という東京都下あるある地元ネタでした。
それでは皆様、良いお年を♡
来年はアップ忘れないように書きますんで、もしよかったらまた来てください(笑)
人間は考える葦であーる
お暑うございますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
うちの子どもたちも夏休みに入りましたが、外があまりに暑いので家の中でダラダラされております。子どもプールを出そうかとも思ったけど、うちはプールを出せるスペースにまるで日影がないのと、それを出す私の体力がもったいなすぎてどうしようかと思ってたけど、結局出しました。
水張って置いておいたら水が熱くなりすぎて、結局二人で洗車ゴッコになっていた(笑)
一般的日本の小学生の夏休みと言えば、宿題ですよね。
毎年この季節になるとこの話題書いてる気もするけど。
私と違って子どもたちは二人とも「とっととやってしまう派」なので、羨ましすぎます。
私は8月31日に泣きながらやってたクチなので~
そしてうちの子たちは、なぜか自由研究を最も楽しみに情熱を注ぐタイプ。
自由研究が一番苦痛という真逆の人生だった私は(最終日にまとめてやるんだからそりゃロクなものができるはずがない)、そんなまぶしすぎる男子どもになるべくやりたいままやらせようと、言われるがままの材料を買わされる。
1枚300円もする段ボール数枚とか、800円もするビーカーとか(゚д゚)くそぅ
私が子どもの頃、自由研究で光った作品を作ってくるやつは必ずお金と親の手を感じたものでした。
どこでキット買いました?日本にいるのその昆虫?くらい完璧な標本とかね。
子どもの時は羨ましかったけど親になってそこまで手を出すのも親の体面というか体面にかけるほどの情熱が面倒なのでw、実現不可能と思われる壮大な目標を立てられても抗わず、材料は買ってやるが後は放置してます。材料がないからできないって私のせいにされんの面倒だし。
次男は、放電?の実験。なんか、シャーペンの芯に電流通すやつ。
長男は、自動販売機を作るんだってさ。
過去にはゴミを吸うどころかまき散らすルンバ作ったりとかね、色々やらかしてくれてますが、今年はYouTubeで研究して一生懸命設計図書いてるから、もうちょっとマシなの作るかしら。
もうね、ここまで来ると女親には手に負えないので、おっぱいベースの母親の役割はほぼ終わったなと感じますね。まだ一緒には寝てるけどさw
少し前に長男が12歳を迎えまして。
めでたく干支を一周されました。
私がスポンジだけ焼いて、自分で形とデコをやらせてみた。
欲先走って盛り過ぎで遠目じゃないと数字に見えん。
10年ひと昔と申しますが、12歳ということは10年前の2歳の時の、あの思い出とかこの思い出とかよみがえってきて、あれから10年か~歳取るわけだあ~
しかしあの頃は育児ストレスの反動でママ友たちと毎日徒党を組んで遊びまくっていたので、楽しい思い出しかないのです♡この思い出だけで老後暮らせるってマジで思ったもんな。
12歳になりお年頃?な長男様、大人の階段登ってんなあと思うことしばしば。色気以外ですが。←全く発動してこない
相変わらずお友達命ですが、お友達の言い回しや考え方をまんまコピーしてくるので、その子と生活してんの?って思っちゃうくらい影響受けてる。
こないだ旅行へ行くのにフェリーに乗ったんだけど、フェリーを見たとき開口一番、
「やだ!怖い!!沈む!!」
って、それは一番仲の良い友達が言いそうなことで、3歳のころからディズニーランドのスタージェットで大喜びしてたお前が、富士急のFUJIYAMAに乗るのが夢のお前が(身長足りないw)、乗り物怖いとか沈むかもとかそういうキャラじゃねえだろ~
案の定すぐにテンションMaxで、船で跳ね回って迷惑だし、どこに船怖い要素があるんだ言ってみろってむしろ私が18時間の船酔い往復で懲りたわ。
まあね、私もいっぱい経験してます、好きな友達の色んなところコピーするの。特にネガティブな部分がカッコよく感じるんだよね。
それが自己の否定に繋がっちゃったり自分の生育環境を否定する始まりになったりする部分もあるだろうけど、人間として生まれてきてそれも経験したいことだし、そういうもんだよね。
成長するにつれて、直観で生きていた部分から、思考がどんどん大きくなっていくのを感じます。それを第二次性徴期というのかな。
人間は考える葦、と申しますが、その人間特有の思考する部分が、これまた人間特有の苦しみや自己へのジャッジ、否定の元になる。そうやって自分への勘違い自己を生成していくんだろうな。
思考が膨らめば膨らむほど悩みや苦しみの多い人生を歩むことになるそうで。
まあでも、「直観」で生きていた部分を忘れず継続できるかんきょうにあれば、思考が膨らんで辛くなっても、元の自分にある程度立ち返ることができるんじゃないかなと楽観的に捉えてます。
直感で生きる部分…、好きなことをすることを忘れない、ですよね。
長男様が、
「僕はピアノを弾いているときが一番楽しいんだ」
っていうから、
「その割に練習しないよね?」
と若干イヤミ含めて言ってみたら、
「ママ、あのね、やりたくない時にやっても全然上達しないんだよ、やりたい時にやるとすんごい進むの!」
と反論されてもう、ぐうの音も出ないっていうね。
そういうことなんでしょう、未来への不安とか過去へのジャッジとかで無理やりやっても否定が募って空回りするだけで。結局嫌いになってやめちゃうの。
我が家でお世話になっているピアノの先生はその辺をよくわかっていて好きなことや本人のペースを最優先させてくれるので、二人ともピアノ大好きを継続できているわけです。
これから成長するにつれて日本独特の教育システムに触れていくこともどうしてもあるでしょうから、そこを潰さないように、工夫して時間を確保してあげられたらなあと思ってます。
対して、まだまだ直観で生きている次男様は、好きも嫌いもない凪な人なので、わりと教室で人気者らしいです。
ひとりの女子に猛アタックされていて、2度の熱烈なラブレターと、七夕の短冊で愛の告白をされてましたw女の子はや~い!
やはり色気ゼロの次男、女心が全然理解ができないので返事もせず、見ている側はやきもきやきもき、コソコソ裏で親御さんにエクスキューズLINEする小心者の私w
この人もどんなふうに人間として成長していくのか、観察が面白くて仕方ないですww
老後の楽しみは幼児期の思い出だけじゃなかったのね~
というわけで、チビっ子だった子どもたちもこんな風に無事に育っております。
案ずるより産むがやすしってね。
また次回お会いしましょう~👋)))
近況つらつら
だいぶお久しぶりになってしまいました。
皆さまお元気でしょうか?
我が家は元気…と言いたいところですが、4月初めくらいに流行り病を頂いてしまい、10日間の出禁を食らいました〜
子どもは12時間くらいで終わったし、私も喉が痛い程度。
人生振り返ればもっとキツい風邪はたくさん引いてきたしなあ。
しかしそこは中医学お勉強中のおしげさん、転んでもタダでは起きません。
ヤツの正体と対処法をがっつり体験学習してまいりましたよw
適切な対処を知っているということは、無駄に怖がったり長引かせたりしなくて、おトクです。
身体的なことを抜きにしても、10日間何もしなくていいなんて経験は人生でほとんどできるものではないので、貴重な体験でした。
支援物資のでかい箱が3つも行政から送られて来るのですが、ここまでレトルトに頼ったのも、そしてここまでネトフリに頼ったのも初めてでw
10日間子どもたちも道連れ籠城ですもん、もう仕方ないですよね、毎日がドラゴンボール三昧。
私も一緒にダラダラと観てましたが、何気に人生初ドラゴンボール、なんだよこれ里見八犬伝の焼き直しか?と毒づきつつフリーザがなんなのか、スーパーサイヤ人がなんなのか、初めて知りましたよと。
しかしなんなんだあの「最強詐欺」は!
戦っても戦っても最強が出てくるからいつまで経っても番組が終わらないんですけど?!
←力ばかり欲する男性脳に若干イラッとしている…
ダンナが、「キャンディキャンディにしとけ」とYouTubeで検索して観せたんだけど、当然男子どもにはヒラヒラスカートと縦ロールヘアに憧れる女子脳のことはさっぱり理解できず。
男女はここまでわかりあえない、と、妙に感心すらしてしまった。
さてさて。
ここにきてようやく我が家が子ども部屋を作るために重い腰を上げ、二段ベッドを買いました。
なんか、ものすごい頑丈な2段ベッドらしい。
プロモでデブのおっさんが飛び跳ねていた。
あったよね昔、象が踏んでも大丈夫な筆箱とか。
今までは、私を真ん中に、左に長男、右に次男と、川の字になって寝ていました。
長男11歳、次男8歳、私の中ではまだ授乳の延長上だったw
そんな大きくなってまだママと寝ている?!と思われそうだけど、私自身、中学3年生まで母親と寝ていたので、そんなに違和感がない。単に貧乏で高1まで自分の部屋がなかっただけなんだけど。
なんなら私はまだまだ絶賛モテ期継続中で、私の体の真ん中での国境紛争が絶えない。
さすがに長男はそろそろいいだろうけど、次男が8歳じゃひとり寝がまだ早くねえ?と思っていたら、実は長男の方が、例えるならゴールデンレトリバーのような性格で、大変な甘えん坊。
部屋ができて机があてがわれたこと、自分たちの二段ベッドが入ったこと自体は大変大喜びしたのですが、フタを開けてみれば私が枕をもって、夫婦のベッドと二段ベッドの上下を交互に夜鷹する日々です…。
まあ大型犬に添い寝していると思えばな。
子どもにとって、誰と寝るか、誰と食べるか、というのは大人が想像する以上に大きな問題のようで。
よく、「自立」させるために早くひとり寝させる、ということがあるようですが、私は、十分に満たされて自分から布団を出ていくまでは無理に追い出さない方が、「埋まらない何か」を引きずる可能性が低くなるんじゃないかなと想像してます。
自然に卒乳と考え方は同じかな~
ほっといてもそのうち自分の世界を創るようになるんだしさ~
次男は、2年生になって早々に、8歳の誕生日を迎えました。
流行病以降恐ろしくやる気の木が枯れていたので、ケーキがひどいアリサマで。
一応「8」の字にしたものの、あったよね昔こういうお菓子…メガネのマーブルチョコレート?みたいな出来…まあこの人はフルーツさえ乗ってれば喜ぶのでヨシとしよう。うん。
次男の新しい担任の先生は、2日に一度、作文の宿題を出す人です。
簡単なその日の出来事を書けばいいだけ(先生が子どもを把握する目的もあり)、なんだけど、作文がものすごく苦手と主張する次男が本気で涙目になってまして。
去年1年間、勉強というものに全く関わってこなかった私だけど、作文は確かに最初は辛いだろうし、特に今しか生きてない次男にその日の出来事書けなんてそもそも覚えてないだろうしw、でもこういうのは慣れだからありがたい宿題だろうし、ここは私が少し教えた方がいいのかな?と、珍しく向き合ってみたものの、涙目変わらず。
ただ私がイラッとするだけなので、10分もたたずに放棄w
じーっと涙目で方眼を見てた次男、突然鉛筆を動かして一気に書き上げ、ランドセルにしまいました。
あんだけ涙目だったのにさ、何書いたか気になるじゃん。
「今日はかみのけを切りにいきました。さきさきした音がきもちよかったです。」
さきさき!
さきさきした音!!
すげえ表現力〜!!なんて瑞々しい!!
苦手と得意は表裏一体。
ほんっと、なんも心配することないんだな子どもって。彼の宇宙をなんとかしようとか、心配とか、ほんとおこがましいと反省したでござるよ🐵
8歳になって、カンフーも習い始めました。
お兄ちゃんはすでに習っているんだけど、私がストップをかけていた。
あまり小さい頃から激しい運動をするのも、と思っていたのもあるのですが、お兄ちゃんが、弟が自分より早くから始めるのを嫌がったという経緯もありw
さてこの人は格闘技系はどうかな~?と思っていたら、意外にも真剣にやる。
「なんでしょうね、この人、意外に楽しそうにやっているんですよね」
と言ったら、次男が、
「なんでかボクもわからないけど、楽しい」
と言った。
何でかわからないけど、楽しい。
思考ではわからないけど、感覚では楽しい。
これって誰かに見られるから、評価されるから、という動機(思考)でなく、自分の感覚とちゃんと繋がって楽しんでいるということで、それはすごいことだなあ、と思って。
彼は普段結構力が抜けていて、クニャクニャしていることが多く、ああもうもうちょっとシャッキリせいい!ってイライラすることも多々あるんですが、力が抜けているゆえに、ここぞという時に集中力や力を発揮するという利点がある。
普段から無駄に緊張していないんですよね。
私たちの時代は、ピシッとしなさい!きちんとしなさい!と怒られて育てられてきたので、いつも評価を恐れびくびく緊張しながら過ごしていたような気がする。
私の子どもの時もクニャ系やウロウロ系や学校イヤイヤはいたけど、「決まった価値観」以外での存在の仕方を許してもらえなかったと思う。
今はこういう個性も認めてもらえる、良い時代だなあと思います。
私なんか学校の選び方も、関心ごとはただ偏差値が少しでも高いかどうかでしかなく、「なにがしたいか」なんて考えたこともなかったなあ。
時代はどんどん進んでいく。
この子たちが職を得るころには、AIが台頭して、今の職業の70%はなくなると言われているそうですが。
世界でたった一人しかいないその子の個性が存分に発揮されれば、自分の感覚と繋がった仕事で、楽しく人生を歩める確率は高くなるんだろうな、と思います。
そう考えると、幼児教育、小学校教育がどこに重点を置いているのか、とっても大事になってくるでしょうね。
今月は、長男が12歳を迎えます。
来年は中学生だってさ~やんなっちゃうねえ。
ではまた~!
反抗期の正体?
雪国にはあり得ない雪画像ですw
こんなに雪がなくてどうやってダルマ作ったのかと子どもの頃10年ほど雪国に住んでいた私は突っ込みたくなる。
あれですよ、雪国では雪は遊ぶものではなくて戦うものなので、雪で遊んだことなど数えるほどしかありません。
かまくら1回作ったかな?通る人に「なにやってるの?」と真顔で聞かれるw
なんならスキーだって関東に引っ越して大学生になるまで未経験だったもんね。
こんにちは~
お元気でお過ごしでしょうか。
世間が騒がしくはありますが、我が家の小5、小1も元気でございます。
学級閉鎖に備え、市からひとり1台支給されているタブレットを毎日持ち帰っておりますが、今のところ学校がお休みになることはないようです。
というか、この子たちは入学以来一度も学級閉鎖を体験していません。
人数が少なくてナチュラルソーシャルディスタンス状態ということもありますが、1クラス5人の規模でもし4人休んだら、残りの出席者がひとりになってしまうわけですよw
「その場合学級閉鎖はしますか?」の問いに、
「ひとりでも授業をやります!」という力強いお言葉を頂いた長男小1の思い出。
雪が降った日学校から電話があったので、これは明日はお休みという連絡かな?と出たら、
「明日は雪遊びをしますから、相応の装備をさせて登校お願いします」
うちの子が通う学校は本当に公立ですか?と小一時間…
そんな環境で育った長男も5年生になり、転校生が次々にやってきて、クラスが5人から10人に。
反抗期真っ只中の子も増えてきて、そろそろお年頃に突入です。
あの天真爛漫な長男様がどんなふうに変化していくのか、絶賛定点観測中。
それは、
「先生が嫌い」
から始まりました。
あれほど学校が大好きで、人生に「好き」しかなかった長男に、「嫌い」ができた!
私たち彼の親は、今までほとんど彼を「怒る」ということがなかったので、彼は怒られ慣れていません。
それは長男が怒らなきゃならないようなことをしない、というだけで、私たちがそういう方針でも人間ができているわけでも、もちろんないです。
怒られ慣れていないので、少し注意されても、自分でない他の子が怒られても、いちいち真に受けてえらいことへこんでしまうのです。
嫌いになった原因は別に、はたから見たらそこまで極端に理不尽なものでもなくて。
彼の作品に「ケチ」をつけられるとか、渾身の作の書初めにダメ出しをくらうとか、そんな程度。
先生が嫌で学校が嫌と泣いて嫌がるようになり、行きたくないとびっしょりと枕を濡らす。
「嫌なら行かなくていいよ」
と言っても、
「さぼるのはダメなんだよ!!」
と。
真面目かよ(゚д゚)
先生が嫌い、から、どんどん、あの子が嫌い、この子が嫌い、と嫌いがたくさん出てきて、ついに世の中の不平不満を言うようになってきました。
年頃といえば年頃、世間で言う反抗期といえばそうなんだろうけど、はて、何が原因でこんなに思考が固まってしまったのかな?
今まで比較的バランスよい物の見方をしていたのが、急に偏ったように感じるなあ?
と、なにかキッカケがあるように思ってて。
わかった、ディベートだ!
うちの学校では5年生になると、ディベートの授業があります。
最初なので、お題は本当に簡単に、
「あなたは犬派か?猫派か?」
とか
「住むなら都会か?田舎か?」
とか。
それぞれ論客に分かれ、ジャッジ役がついて、どっちの主張がよりわかりやすかったかを判定するもの。
本来ディベートというのは、物の見方を拡げる取り組みであり、二極に分かれた相手の意見を聞く練習をするもの。
こんないいところもあるね、こんな考え方もあるね、と多角的視点を持つことによりお互いに理解を深め合うことを目的とするものですが、「競技」としてジャッジメントがあるがゆえに、
「相手を言い負かす」
という間違った目的を持って勉強しがちです。←私自身が大学の時経験済みw
自分の意見が正しい、相手の意見は間違っている、主張が認められたら俺の勝ち、相手に勝った俺は正しい。
急に正義に偏った彼の目の前には、自分とは正反対の間違ったもの、正しくないものが映るようになり、今までそこまで気にならなかった先生の言動などが、強烈に許せなくなってきてしまった、というのがコトの真相なんではないかと。
人がバランスを欠く思考に陥ると、否定したものが目の前に現れる、無意識とはそういう仕組みになっているそうです。
アンパンマンが正義の味方になればなるほど、バイキンマンとドキンちゃんが悪さをしてあの村にはいつまでも平和が来ない、という、仕組み。
なるほど、これが反抗期ってやつ?
人を不幸にするのは物の見方だけ。
第二次性徴期という体が変化する時期でもあり、さらに思考に言語が追い付いてきた年頃で、今まで親や先生にジャッジされ否定されてきたと感じたことから復讐に転じて自分も他者にジャッジを始めるものが、反抗期の正体なんじゃないかと思いました。
長男の担任の先生がそんなに理不尽な先生かというと決してそうではなく、むしろ長男のことはとても気にかけてくださり自由にさせてくれている先生です。
長男が授業中、「眠い」と言ったら、「じゃあ4分だけ寝ていいよ」と言ってくださったそうで、寝ていいとか言ってくれる先生なんて生涯出会ったことありませんけど私っ!!
そんなわけで、長男に、
「ママから宿題!今日から1日3個先生の良いところを見つけておいで!」
ええ~絶対ムリ~~!!
ってブーブー言ってたくせに、1週間もすると、
「最近、先生、マシになった。」
でも、正義に偏っている原因は解決していないので、彼の攻撃はウマの合わない友達に矛先が変わるだけで、彼が振り回されている「大変さ」は変わらないわけです。
でもね。
幼い頃体に不快があまりなくほとんど「嫌」がなくやってきた長男には、実は人を浄化する力があると思っています。もしかして親バカだったらすみませんw
人は、自分に「嫌」があると、それを他人に映して攻撃をします。
これが「偏った見方」です。
相手の1%も見えていないのに、そこに自分の嫌なところを映して他人を嫌ったり評価したりマウントを取ったりするのが、人なのです。
つまり、「嫌」があると、相手に「愛」を見いだせなくなる。
本当は自分に愛が見いだせなくなっただけなのに、相手に愛がないと、自分の愛をわかって欲しいと、攻撃を始めるのです。
自分の愛をわかって欲しい、認めてほしい、そうやってお互いに向き合った結果、ケンカや戦争になります。
対して、自分がジャッジされる体験がなければ、自分をジャッジしないので、他人もジャッジしない。
ジャッジがなければ、相手のそのままを受け取ることができる。
「わかってほしい」を向けていた相手は、自分のそのままを受け取られたことにより、浄化され、自分や相手に愛を見つける関係に変わることができます。
おかげさまで幼少期の頃より「嫌」が少なかった長男はこうやって、周りを浄化してきたように、私には見えています。
前述した「ウマの合わない友達」も、最近急に丸くなって仲良くなったそうです。
今はね、彼にもこの世の生まれた課題を消化する必要があるでしょうから、ジャッジという体験も大事な体験なのでしょう。
だから親としては、信じて観ているしかないのかな、と思います。
過保護とは、親自身が自分を信じられないことにより、子どもも困難を乗り越えられないんじゃないかという不信からくるのだそうです。
まあねー、一生足元にじゅうたん敷いてバラの花びら撒いた上を歩くような生活するんだったら、どこへでもついていって口出して温室育ちにしてもいいんだろうけどね、それじゃ成長しないし逆に子どもに恨まれるだろうしね。
受け入れると幸せが始まり、拒否すると不幸が始まる。
という格言がございまして。
私の一生終わらない反抗期は、嫌な体験への拒否(逃げ)から来ていたんだな~と思う今日この頃。
良い体験もそうでないと思われる体験も、ノージャッジで受け入れることにより、自分の人生を歩むという幸せへの第一歩になる、と信じて、見守っていこうと思っております。
反抗期と思われる時期のリスクはだいぶ軽減できているように思うので、やはり身体の不快を最小限に育児できる環境は本当にありがたいな、と多感な年頃を前にしみじみ感じています。
西原先生との出会いに感謝です。
亀もびっくりのスローペースではありますが、体に不快のない育児がどのように影響していくのか、これからもちまちまと正直更新していこうと思います。
ではでは、また~!