人間は考える葦であーる
お暑うございますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
うちの子どもたちも夏休みに入りましたが、外があまりに暑いので家の中でダラダラされております。子どもプールを出そうかとも思ったけど、うちはプールを出せるスペースにまるで日影がないのと、それを出す私の体力がもったいなすぎてどうしようかと思ってたけど、結局出しました。
水張って置いておいたら水が熱くなりすぎて、結局二人で洗車ゴッコになっていた(笑)
一般的日本の小学生の夏休みと言えば、宿題ですよね。
毎年この季節になるとこの話題書いてる気もするけど。
私と違って子どもたちは二人とも「とっととやってしまう派」なので、羨ましすぎます。
私は8月31日に泣きながらやってたクチなので~
そしてうちの子たちは、なぜか自由研究を最も楽しみに情熱を注ぐタイプ。
自由研究が一番苦痛という真逆の人生だった私は(最終日にまとめてやるんだからそりゃロクなものができるはずがない)、そんなまぶしすぎる男子どもになるべくやりたいままやらせようと、言われるがままの材料を買わされる。
1枚300円もする段ボール数枚とか、800円もするビーカーとか(゚д゚)くそぅ
私が子どもの頃、自由研究で光った作品を作ってくるやつは必ずお金と親の手を感じたものでした。
どこでキット買いました?日本にいるのその昆虫?くらい完璧な標本とかね。
子どもの時は羨ましかったけど親になってそこまで手を出すのも親の体面というか体面にかけるほどの情熱が面倒なのでw、実現不可能と思われる壮大な目標を立てられても抗わず、材料は買ってやるが後は放置してます。材料がないからできないって私のせいにされんの面倒だし。
次男は、放電?の実験。なんか、シャーペンの芯に電流通すやつ。
長男は、自動販売機を作るんだってさ。
過去にはゴミを吸うどころかまき散らすルンバ作ったりとかね、色々やらかしてくれてますが、今年はYouTubeで研究して一生懸命設計図書いてるから、もうちょっとマシなの作るかしら。
もうね、ここまで来ると女親には手に負えないので、おっぱいベースの母親の役割はほぼ終わったなと感じますね。まだ一緒には寝てるけどさw
少し前に長男が12歳を迎えまして。
めでたく干支を一周されました。
私がスポンジだけ焼いて、自分で形とデコをやらせてみた。
欲先走って盛り過ぎで遠目じゃないと数字に見えん。
10年ひと昔と申しますが、12歳ということは10年前の2歳の時の、あの思い出とかこの思い出とかよみがえってきて、あれから10年か~歳取るわけだあ~
しかしあの頃は育児ストレスの反動でママ友たちと毎日徒党を組んで遊びまくっていたので、楽しい思い出しかないのです♡この思い出だけで老後暮らせるってマジで思ったもんな。
12歳になりお年頃?な長男様、大人の階段登ってんなあと思うことしばしば。色気以外ですが。←全く発動してこない
相変わらずお友達命ですが、お友達の言い回しや考え方をまんまコピーしてくるので、その子と生活してんの?って思っちゃうくらい影響受けてる。
こないだ旅行へ行くのにフェリーに乗ったんだけど、フェリーを見たとき開口一番、
「やだ!怖い!!沈む!!」
って、それは一番仲の良い友達が言いそうなことで、3歳のころからディズニーランドのスタージェットで大喜びしてたお前が、富士急のFUJIYAMAに乗るのが夢のお前が(身長足りないw)、乗り物怖いとか沈むかもとかそういうキャラじゃねえだろ~
案の定すぐにテンションMaxで、船で跳ね回って迷惑だし、どこに船怖い要素があるんだ言ってみろってむしろ私が18時間の船酔い往復で懲りたわ。
まあね、私もいっぱい経験してます、好きな友達の色んなところコピーするの。特にネガティブな部分がカッコよく感じるんだよね。
それが自己の否定に繋がっちゃったり自分の生育環境を否定する始まりになったりする部分もあるだろうけど、人間として生まれてきてそれも経験したいことだし、そういうもんだよね。
成長するにつれて、直観で生きていた部分から、思考がどんどん大きくなっていくのを感じます。それを第二次性徴期というのかな。
人間は考える葦、と申しますが、その人間特有の思考する部分が、これまた人間特有の苦しみや自己へのジャッジ、否定の元になる。そうやって自分への勘違い自己を生成していくんだろうな。
思考が膨らめば膨らむほど悩みや苦しみの多い人生を歩むことになるそうで。
まあでも、「直観」で生きていた部分を忘れず継続できるかんきょうにあれば、思考が膨らんで辛くなっても、元の自分にある程度立ち返ることができるんじゃないかなと楽観的に捉えてます。
直感で生きる部分…、好きなことをすることを忘れない、ですよね。
長男様が、
「僕はピアノを弾いているときが一番楽しいんだ」
っていうから、
「その割に練習しないよね?」
と若干イヤミ含めて言ってみたら、
「ママ、あのね、やりたくない時にやっても全然上達しないんだよ、やりたい時にやるとすんごい進むの!」
と反論されてもう、ぐうの音も出ないっていうね。
そういうことなんでしょう、未来への不安とか過去へのジャッジとかで無理やりやっても否定が募って空回りするだけで。結局嫌いになってやめちゃうの。
我が家でお世話になっているピアノの先生はその辺をよくわかっていて好きなことや本人のペースを最優先させてくれるので、二人ともピアノ大好きを継続できているわけです。
これから成長するにつれて日本独特の教育システムに触れていくこともどうしてもあるでしょうから、そこを潰さないように、工夫して時間を確保してあげられたらなあと思ってます。
対して、まだまだ直観で生きている次男様は、好きも嫌いもない凪な人なので、わりと教室で人気者らしいです。
ひとりの女子に猛アタックされていて、2度の熱烈なラブレターと、七夕の短冊で愛の告白をされてましたw女の子はや~い!
やはり色気ゼロの次男、女心が全然理解ができないので返事もせず、見ている側はやきもきやきもき、コソコソ裏で親御さんにエクスキューズLINEする小心者の私w
この人もどんなふうに人間として成長していくのか、観察が面白くて仕方ないですww
老後の楽しみは幼児期の思い出だけじゃなかったのね~
というわけで、チビっ子だった子どもたちもこんな風に無事に育っております。
案ずるより産むがやすしってね。
また次回お会いしましょう~👋)))