それぞれの成長

どうもどうも。

皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

我が家の5年生、1年生も毎日元気に学校に通っております。

1年生の次男は学校が楽しいそうで、先日珍しく「今日は楽しくなかった」なんていうからどうしたって聞いたら、「給食でサラダが出た」。

あっそう。サラダじゃなかったら?

「サイコーだった、カレーだったし。」

じゃあサイコーだったんじゃねえかそこの記憶データ書き換えられて良かったわ、と思ったので一日の終わりに感想を聞くのは幼少時代の記憶をなるべくポジティブに保つのに有効かもしんない。つーかお前の一日の判断基準給食かよって。

ちなみにうちの学校の給食は大変美味しいそうで、他の学校から転任されてくる先生たちが一様に感動してくれるらしいです。

うちの学校は小中一貫校なんですが、給食室は小学部にあるので、お昼になると分校舎にいる中学生がぞろぞろ小学部にやってきて給食を食べるっていう~

うちでは豆一粒食べない肉食長男が学校の給食は残さず食べるから野菜嫌いが先生にばれていないらしく、ちぇって感じ。

 

前回触れた次男の通級ですが。

こちらも大変楽しくお通いあそばしていらっしゃいまする。

最初はどんなことするのかなあという不安もあったようですが、行ってみるとただただ楽しいし、「通級がある日は一日が早く終わっていい」んだそうでw

そうだよね、若干6歳やら7歳で1日中ずっと座って黒板見ていることがアタリマエなんて、私たち大人の感覚の方がおかしいわ。

友達で小学校時代はオーストラリア在住だった人がいるんですが、4年生までは決まった机すらなかったそうです。うん、それが自然だと思う。

先日の通級では彼の大好きな工作をやり、その時作った「飛ばすUFO」は、「人に向かって飛ばさないと決めた人だけ持って帰れるんだよ」と嬉しそうに次男が言ってて、誰も否定しないし押し付けない、自分で決める力を促す素晴らしい指導だな、と感動しました。見習おう~

というか、私が住む市の通級は本当に素晴らしいそうです。

ひとえに星山先生ご尽力のおかげ。

他の市に引っ越した同じ園出身のママ友によると、そこでは「通常クラスについていくための通級」という位置付けだったらしく、母の目的地とはかなり違ったので、見合わせたそうです。

ひとつの価値観に揃える教育ではなく、みんな違ってみんないいが実現できる世の中になるといいな。

と、ここで映画を紹介しておこう。

私たちの運営するオンラインサロン「アンテナ」で自主上映会を行ったばかりです。

ひとりひとりがそのままでどれだけ貴重な存在なのか、どれほど私たちひとりひとりがオンリーワンの存在であるのか、言葉でなく体に入る体験ができる映画でした。

観終わった後のシェア会はみんな言葉が出なくて全く盛り上がらないというw

「1/4の奇跡」→ https://iriefumiko.com/1_4/

オンデマンド配信はこちら→ https://vimeo.com/ondemand/yonbunnoichi

 

おかげさまで次男はすっかり、我が道を行ける男に成長しつつあります。

先日ワークショップで革のキーホルダーをお作りあそばしたのですが、2時間みっちりほぼひとりで仕上げる集中力と、どんだけ利便性を説いても絶対に自分のオリジナルデザインを曲げない固い意思が育っておることを改めて確認しましたよとwランドセルに付けるオプション金具をあれほどつけたほうが良いとアドバイスしたのに…

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 ちょっとセンターがずれたけど、穴あけデザインの彼のオリジナルです。たくさんの見本を出してもらったのに、どれも参考にしない感じの悪いやつ。

↓ちなみにこちらは、長男の作品。ばあばとねえね(ダンナ妹)にあげるんだって。

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こういうところもキャラが全然違うんだよなー

 

5年生になった長男の方は、思春期突入の年齢らしく、転校生の増加も相まってクラスに色々と波乱が起き始めているようです。

今までの生ぬるいお風呂に突然の冷や水投入にわあびっくり!的な、でもそれも彼らが選んだ必要な体験だしね、私たち親は見守るしかない。

ここが例えばオルタナティブスクールだったり私立の学校だったりすれば、わりと「似たタイプ」の子どもたちが集まったりするんだろうけど、うちの学校は団地も低層も入り乱れた、家庭環境もほんと様々な子どもたちが集まる公立学校です。

だからいろんな子どもたちがいて、いろんな価値観があって、その中で認め合ったりときには否定しあったりして、楽しい時もあればしんどい時もあり、特に5年生という立場が勉強や宿題が増えたり学校での責任が大きくなったりで、「さすがにキャパオーバーかな?」と思う時も多々あります。

そういう時、親としてどう在ったらいいのかな?と、この私でも少しは考える。少しだけど。

自分が子ども時代を思い返してみて、一番の宝物&一番の悩みどころは、友達関係でした。

勉強なんて1ミリも覚えてない。なんなら長男のひっ算やれ言われたら左巻きで瞬足で逃げる。

やっぱり友達関係を、良くも悪くも命いっぱい味わわせることが、彼の人生を形作るんじゃないかな。

と、放課後は学校にほど近いうちの仕事場で、友達と勝手に遊べる環境を提供しています。イマドキ子どもらが集まって遊べる環境ってなかなかないですもんね。

「全面的に信用」しているので、全てを彼に任せている。

私がぎゃんぎゃん言わなくても、友達たちもちゃんとルールを守って遊んでおりますね。

ぶっちゃけ心配な友達関係もありますけどねもちろん、あえて口を出さない。

私は感情の受けとめ場に徹しようかな、と。

 

よく、親は説教するんでなく子どもの話を聞け、とか感情を聞け、とか言いますよね。

わかるけど!わかるけどさ!という場面に何度も遭遇するのが子育てというもんだと思いますがw、なぜそれが効果があるのか、を説明する方程式に最近出会いまして。

 

人はそれぞれひとりひとり、「男性性」と「女性性」を内包しているんだそうです。

このバランスが全てこの宇宙の根源だと。

女性性は感情を司り、男性性は愛することを司る。

内側の女性性が愛を受け入れないと内側の男性性は存在できないし、男性性は内側の女性の話を聞かず解決策ばかり講釈垂れれば、内側の女性性は愛されていないと感じてしまう。

その内側の男女の関係がそのまま外側の関係に反映されている。

いうよね、男性は解決脳で女性は共感脳だって。

その両性を皆がひとりひとり内側に持っているんだそうです。

女性の話を聞かない、はつまり、「感情を感じてあげないこと」。

寂しい、悲しい、辛い、などの感情を、内側の男性性は、「それはこうやってごまかせ、こうやって我慢しろ」と言って話を聞かないわけで、これで自分の感情がわからない人間ができあがってしまうのだとか。

お金のために我慢や競争を教育されてきた現代人は、男性も女性も内側の女性性がないがしろにされている。

真の「男尊女卑」ですね。エリート意識や女性の自立を国やメディアが煽れば煽るほど、男女の同権からどんどん遠ざかる。

そもそも「若干6歳やら7歳で1日中ずっと座って黒板見ていることがアタリマエ」なんて我慢をこんな幼いころから強要しているんだしね(;´Д`)

自分の中の男女のバランスが偏っているので、自分がわからない、感情がわからない、生きる喜びがわからない。

これが不幸せの大元になっている。

ゆえにこれからの新地球は女性性の復活が最重要な時代に突入するんだそうです。

私は息子の話をつい自分の男性性で聞いてしまい、「それはこうしたらいいんじゃん」と頼まれもしないのに解決策ばかり提案してちゃんと彼の内側の女性性である感情を聞いてあげてなかったな、これでは息子の女性性が存在できないから愛されていないと感じてしまうかもしれない、と気づき。

こういう機序で「とにかく話を聞く」ということがどれだけ大事かということが、ようやく腑に落ちました。

長男だけデートに連れ出し、ただ一緒にお茶とケーキを食べながらゴジラの話とか聞いているだけで、何をするわけでもなく彼の中がすっと落ち着き、バランスが整う感じがします。

そして相手は自分の鏡だから、相手の話を聞くことで自分の中の男女のバランスも整うわけですね。

これが親子共々思春期というものを味わうコツなのかな、とも思ったりします。

願わくばゴジラブームは終わって欲しいところだけどさ(;´Д`)ミニラの顔が坊さんぽいとか知らんがな~

 

保健体育の授業なんかも始まって、あの、ひたすらおっぱい飲んでた子がいよいよ人として一歩を踏み出してきたなあと思うと感慨深いです。

そりゃ親としてみれば怖いこととか嫌なことからはなるべく守ってやりたいし起こって欲しくないというのが正直なところではありますが、良いこともそうでないことも体験しにこのエキサイティングな地球に生まれてきてくれたわけですから、ひとつひとつを丁寧に味わおうと向き合うのが一番効率的な地球ゲーム攻略法な気がします。

親子の関係が人生の思考の全てを創ってしまうらしいですしね。

我が家では今年もまた、うちの屋根の上から目も開いていないムクドリのヒナが巣落ちしてきまして、育てて先日空へ還しました。

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あれだけベッタベタの甘えん坊だったムクちゃんが、外へ出しても怖がって私の肩から離れなかったムクちゃんが、全てが満ちて整って彼的に「スタンバイOK」になった時、全く後ろも振り返らず何の躊躇もなくまっすぐ仲間という「全体」へ合流していきました。

残された私たちはムクちゃんロスに陥ったわけですが(´;ω;`)

心配は尽きないですよ、ちゃんと自分でバッタ取って食べてるかとか、ちゃんと寝床は確保できているのかとか、猛禽にやられてないかとか、ヨソサマの頭にウンコ落としてないかとか。

でもね、たまに洗濯物干してると電線の上にやってくるムクドリが「…あれはムクちゃんかも?」と思う時があって、彼女(彼氏かもしれんが)連れだったりして、まあヨロシクやっているんだなとw

この先はどれだけ心配してもどうにもならないこれがムクちゃんの選んだ人生であって、ここまでどれだけ向き合ったかがすべての「やり切った感」であり、お互いの真の自立であり。

人間の子育てもこんな風にやり切れたらサイコーですけどねー

 

ちなみに学校では家庭科の授業も始まり、明日の調理実習が地獄だとテンション下がってるから、「なんで?」と聞いたら、茹で野菜を作って食べないといけないからウツなんだそうでw

相変わらずの肉食男子でしたと。

夕飯のメニューが魚で家出した中学男子の話があったけどな、うちも今のうち覚悟しとこう~

 

それではまた~♡