うちの次男が素晴らしいと思う件その2

コロ休もそろそろ終盤に入ってきている昨今、いかがお過ごしでしょうか。

我が家はおかげさまでとても元気に過ごしております。

例に漏れず毛穴からケツの穴まで緩みまくっておりまして、今月から色々始まる?毎日弁当作るとかいやもうそれ現実?くらいに伸びきっております。

子どもたちも当社比2倍くらいの緩みようですが、考えてみれば時間に追われない生活って、なんて贅沢なんでしょうね。縄文だわ縄文だわ。コロちゃんサマサマ!

そんな中、今年小学4年生になられた長男が、5月中頃からてんこ盛り宿題を出されるようになり。

家庭自習なのに1時限目、2時限目ときっちりプログラムが組まれております。

「会ってなくてもみんなと繋がっているんだよ」

と、誰にも言われてないのにちゃんと8時半から自習を始め、時間になればちゃんと中休みも取って、けなげにやっております。

この人のこういうところ我が家の誰にも似てないのよね。監視の目がなければどこまでもだらける私は、思わず「アンタ真面目だね」と言ってしまうという、母親失格。

宿題の中身もほとんど見たためしがないので、彼が何をしているかすら知りませんw

登校日に戻されたプリントに珍しく目を通したら、

 

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小学4年生アホ真っ盛り。なにをやっておるのかね君は。

 

というコロど真ん中で、次男が6歳におなりあそばしました。

 

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(後ろにあるのは巨大な流しそうめん機w「何が食べたい?」で主役からのリクエストがコレ…)

米粉シフォンケーキの真ん中にクリーム突っ込むだけという、テキトーなケーキですみません。このまま長男カンフーLINEでオンライン呑み会のため飾りつけタイムがジリ貧で大変テンパってたんです~

そういや今年初めてこの人に生クリーム解禁したかも。すっげえうまそうに平らげておりましたwこの人食べ物の見た目関係ないので、だからこっちの盛り付けが雑になるのよね←言い訳

米粉シリーズを会得しておいたおかげでどれほどこのコロ休が救われたか…みるきさんありがとう!その中でもふわふわ米粉食パンは神です神!こんなに材料ヘルシーなのにヤマザキに余裕で勝ってる!

 

そしてね。

このコロ休の真っ最中に、順番が回って来たんです。

なんの順番か、っていうと。

 

次男の幼稚園は、それぞれの個に応じた保育にとても積極的です。

「みんな違ってみんないい」

それぞれの個性に合った保育って、言うのは簡単ですが、なかなか実践するのは難しい。

どうしても似たような箱に入れて、出資者である親に対しこれだけできるようにしましたよ、で子どもを「評価」しがちです。

評価も、それぞれの個性に合わせた評価ならまだ良いのですが、「こういう子が好ましい子」「こういう子が良くできた子」というのは、大人の思い込みであったり社会的通念であったり世間体だったり、という基準で設定されがちです。

そうすると、一般的な大人の思い込み基準に合った子、例えば誰にでも挨拶できるとか、文字を早く覚えるとか、運動会でプラカード持って先頭歩けるとか、たまたまそういう個性を持った子は高い評価をうけても、そうでない個性の子は「なぜそうなのか」の話を聞かれることもなくバツをされがちだったりします。

よくよく見てみると、「大人にとって好ましい個性の子」というのは実は本当にわずかであり、好ましく思える子も大部分は「好ましく見える自分を演技している」場合がとても多い。

本当の意見を言わず、お母さんや先生が期待する自分を演じる。若干4,5歳の子がそれをやるというのは、けなげな反面「どうせわかってもらえない」という固い仮面を一生かぶって生きていく可能性もなきにしもあらず、それほどまでに幼児教育は人生にとって重要な部分を占めると、私は思います。

そんな教育の中に突っ込むくらいなら、いっそどこにも属させずに縄文に戻したいとすら思ってしまう。まあ、私自身の色々なトラウマがねw

 

発達のテスト、というものが存在します。

「欧米か!」じゃないですけど←古、日本でない先進諸国では、この発達のテストをもう、2歳くらいの頃から受けるのが普通な国が多いのだそうです。

これは本来、知能の発達が遅いか早いかを見るものではなくて、誰にでもある子どもの「でこぼこ」、つまり「個性」を周りの大人が把握しておきましょう、という目的のもとに行われるものです。

例えば、集団で行動がのんびりな子がいるとすると、指導する側から見れば輪から外れるのは「大人にとって都合の悪い個性」であり、なぜのんびりしているのかというところにフォーカスせず、ともすると「この子は他の子と比べて発達が遅れている」と勝手に判断してしまうこともあります。

でもこの子どもがなぜのんびりなのかというのは発達が遅れているという理由とは限らず、例えば慎重な性格だったり、人の雑多なエネルギーが見える子だったり、周りのたくさんのことに気づく子だったり、と、色んなポジティブな理由があります。

「どんな子であるか」を見える化することによって、集団の指導者がひとりひとりの個性に寄り添う指針を共有することができ、結果的に大人の思い込みによる個の埋没を防ごう、というものです。

 

でもこれね、日本では、

発達「障害」

という言葉にしてしまうのよね。

個性も障害も一緒くた。陰謀か?w

こういうテスト(田中ビネーといいます)はたいてい、療育と呼ばれる機関で行われており、もしや我が子が「障害」と診断されてしまうのではないか、そこに抵抗を感じない、その可能性にハードルを感じない親はいないはず。

しかも医師の診断書がなければ、幼稚園で加配サポートを受ける行政の支援は受けられないのです。(加配を受けるのに発達障害という診断名が必要、というわけではない)

ひとりひとりの子どもの個性を大切にするためにもうちの園はこのテストはみんなが受けてほしいと願ってますが、イメージ的に親がそもそも受け入れられないので当然ナーバスな問題であり(伝え方によってはトラブルになる)、見方によってはせっかくこの園にいるのにもったいないな、というケースも出てくるようです。

しかし園では積極的に、外部から講師を呼んだり講習会を定期的に開いたりしているので他の園よりは目覚めている親は多く(大学のゼミ室とつながっている)、意を決してテストを受けたいと該当機関に電話をすると「またおたくの園ですか」と言われる始末ですわw

 

そりゃ私だって最初はめっちゃ抵抗ありましたよ。

うちで見ている限りの次男は全く普通だし、むしろアップダウンのとても少ない「凪」な子で、この子が大人で周りが子どもすぎるのがそもそもの問題なんじゃねえの?くらいに。

「うちの子に文句あるんかいウラウラ」

て、ありがちなやつですな。

でもこれって私も、「親から見た都合の良い子でいて欲しい」という幻想の罠にハマってたってことなんですよね。

本当に子どもに文句がないところまで、子どもを受け入れていない証拠。

「子どもにとって一番幸せなのは、自分のペースで成長できること」

とことんまで我が子を受け入れているなら、徹底して子ども生来のペースを受け入れて、その上で環境を整えてやる覚悟ができるはず。

自分で言っといて自分でできてなかったんですな。

 

子育てって親がどれだけ子どもと向き合えているか、その一言に尽きる。

向き合うって、一緒に遊ぶ時間の長さとか、そういうことではなくて。

うちの次男はおねしょが長かったです。

膀胱は腎がコントロールする管轄なんですけど、中医学的に腎の成長は年齢によっていて、男は8の倍数、女は7の倍数で満ちていきます。

養命酒のCMでお馴染みのやつね。

つまり男の子は8歳、女の子は7歳までは腎がとても未熟なので、そのくらいまでのおねしょはあって当たり前なんです。

誰それはもうおむつ外れてるのにとかいつまでもおねしょが治らないとかお母さんが悩んで無理やり薬でなんとかしようとか子どもを脅したりなだめたりすかしたりしてもですね、腎が未熟なんでそもそも子ども自身にコントロールが無理なんです、無理。

むしろ「おねしょしたら怒るよ」なんて恫喝は子どもにとっては抑圧にしかならない。だって体が未熟なんですもの、「やらないように」なんてできるわけがないじゃん。

うちは、長男は腎の成長が早い方なのでおねしょもほとんどしたことがないのですが、それでも7歳くらいまで「やべ!」って起きたであろうシミパンがよく洗濯機に投げ込まれておりました。

次男も性器の成長とともに格段におねしょが減っていっていたのですが、まだ時々は不意打ちにあったりしてね、落ち込むのよ、そういう時に限ってガードしていないんだよ~(;ω;)

6歳前かな、ちょっとしたことが起きて、そうか私がこの子のままを受け入れてないんだ、と腑に落ちたら、そこからピタッとおねしょが止まりました。

なにか特別なことをするわけではない、なにか特別な言葉をかけたわけでもない、ただ私の「うちの子はこうあらねばならない」がふっと取れたら、「母から受け入れられたエネルギー」が彼に伝わったんですね。

全てのおねしょの原因がこれというわけではなくてあくまでもうちはこれだったというだけではありますが、それでも、人間関係って究極は、エネルギーなんだなあと体感した今ココ。

 

そんなタイミングで、田中ビネーを受ける順番が回ってきましたに話が戻る。

昨今はワクチン過多のお陰かどうかこの分野が大盛況で、順番待ち4ヶ月でした。NPO団体が主催されているものに申し込んだのでまだ早い方だったけど。

診断される方の言葉で一番引っかかったのは、

 「この問題の時はこういう答えを期待しているのですが、この子はこういう答え方をした」

という言い方。

以前の私なら、なにそれ、ってちゃぶ台ひっくり返して帰ってきたと思うわw

ずっと診断を聞いていると、次男は一貫して「自分のペースでやりたいことをやる子」であり、「彼にとって人にどう見られるかの評価は関係ない」ことがわかる。

なんだ、やっぱそうなんじゃん。つか田中ビネーすげえな、合ってるわ。←上からw

ひとつ、大きな収穫だったのは、自分のペースでやりたいことをやり他者の評価は関係ないので、言葉を発するという行為を通して自分で自分の場を作るという努力をしないもしくはあきらめてしまう、という彼の特徴が言語化できたこと。

なるほど彼に対する違和感はそこか、と。

子どもが一人の時は親もひとりだけ見ればよいのでチャンネルも合わせやすいのですが、二人になると二人の中間点というか最大公約数に合わせて行動するので、言葉が達者だったり意思がハッキリしているひとりめに焦点を合わせがちになっちゃう。

特にうちは長男がやりたいことを積極的にやる好奇心旺盛な性格なので、弟はただついていくだけで色んな収穫が得られてラクなんですよね。

「あなたはどうしたいの?」と聞かれる機会が格段に少なかった。はい私ですね反省してまーす!

そしてフロンティアなひとりめと、おとなしいふたりめができあがる。あるある。

ここに「加配」と呼ばれる保育サポートをつけると、日常の保育で付かず離れず見ていてくれて(付かず離れずが重要)、ここ、という時に、「こう言いたいんだよね」とか「こんな風に言ってるみたいよ」とか橋渡し的役をしてくれる大人がいてくれることによって、集団の中で自分に心地よい場を作り上げていくコツを身に付けていく、ということらしいです。

まあここも結局は親である私の向き合い方なんだろうなとは思うのですが、残り少ない幼児教育期間を有意義に過ごす環境を作ることはやぶさかではないので、加配サポートを申し込みました。

まだコロ休だけどさ。

 

そもそも3歳や4歳の子どもが大人数の集団にそんなに簡単になじめるかというと。

3歳はまだ「個」の年頃なんで、お互いに勝手にやってるからそれほど問題もないのでしょうけど、4歳代になってくると、それでなくても人間始めの子どもたちが大勢たかって口でも体でも主張しあうんですから、そりゃ苦手な子も出てくると思いますよ。

大人だってね、何しでかすかわからない集団の中で自分らしさを保てるかといったら、無理でしょう。たとえは悪いかもしれないけど自分がもし突然見知らぬ刑務所とかに突っ込まれたらどうふるまえるか、想像してみなされ。

長男は小人数の幼稚園だったし、なんなら小学校はさらに少人数だったので、そういうショックを受けずにここまで来たというのもあるかもしれないです。

だからといって大人数がよくないかというと、それはそれでいいところもあるしハードルが高めな分クリアできる問題も多いでしょうし、なによりこの人が選んだ人生ですからね。

少人数で育ってるうちの長男に問題がないかというと、この人はこの人で注意されることにすごく弱い人なのでね、「褒めて育てる」の罠にハマったなと( ノД`)私もひとりめはお母さん初心者ですのでね、幼児教育に明るい人は子どもの「できる」を基準にはしない子育てができてうらやましいなと思ったりします。どうしてもね~、よくできたねすごいね、って言っちゃうのよね~~

 

発達のテストは、知能とは別で、「漠然とこの子が心配」とか「人と比べてもしや遅いのでは」などという動機ではなくて、この子の個性を存分に発揮するために周りの大人がサポートをするための認識を共有する目的として受けるなら、プラスになるのではと思います。

実はこの世は全てがエネルギー、子育ても親がどんなエネルギーを乗せるかで結果は全く変わってきます。特に子どもは言葉以外の見えない領域にとても敏感ですから。

このコロ休中に、うちの屋根のひさしに巣をつくっているムクドリのヒナが落下してきまして、奇跡的に生きていたのでレスキュー、2週間ほど継母やって数日前に無事自然に還りました。

2時間毎に練り餌やらミルワーム潰したエサやらを与えるという、子どもの離乳食だってろくすっぽ作ったことがないこの私が、と思いつつ、夜はがっつり寝てくれるので、夜間授乳がないだけ人間の子育てよりははるかに楽でした。しかもあっという間に巣立つし。人間マジめんどくさい(;´Д`)

でもね、相手は野鳥だし飛ばすの前提だからなにひとつ期待してないし、なにひとつ将来の心配もしてないから、純粋にヒナ育てが楽しめるし、飛び立った後はもう、彼の身に何が起ころうとどうにかできるわけではない。本当にスパっと手が離れる。

人間の子育てもこんな風に純粋に、なにも心配しないで受け入れて、ただ温めてお腹を満たしてあとは愛だけで繋がれたら、本当に幸せな育児ができるんだろうなと思いました。

やっぱり目指すのは縄文だね!

 

ではまた~♡

 

ムクドリのムックン。

落ちてきた最初はヒヨドリだと思ってたから、ひよちゃんだったw

コロ休狙って落ちてきたとしか思えん~

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